男子テニス界の頂上征服は、29歳のアンディ・マレー(イギリス)にとってやや拍子抜けの形で起きた。 フランス・パリで開催されている「BNPパリバ・マスターズ」(ATP1000/10月31日~11月6日/賞金総額374万8925ユーロ/室内…

 男子テニス界の頂上征服は、29歳のアンディ・マレー(イギリス)にとってやや拍子抜けの形で起きた。

 フランス・パリで開催されている「BNPパリバ・マスターズ」(ATP1000/10月31日~11月6日/賞金総額374万8925ユーロ/室内ハードコート)のシングルス準決勝を前にミロシュ・ラオニッチ(カナダ)が棄権を表明し、不戦勝での決勝進出が決まったとき、マレーは7年もの“待ち時間”に終止符を打ち、世界ナンバーワンの座を確実にした。

 マレーはラオニッチの脚の故障について、準決勝のわずか1時間前に知らされた。ビッグサーブで知られるラオニッチは、5日の16時半以降にマレーと対戦する予定になっていた。

 「今日それが実現したときは、かなり奇妙だった」とマレー。「言うまでもなく、僕は昨夜は寝床に就く前に、コート上でそれをやってのけることを想像していたから。試合後のコート上で起きるところを頭に思い描いてね」。

 ラオニッチの棄権にも関わらず、マレーはパリのファンに対して楽しみを提供した。彼はコートに出て練習を行い、ボールボーイやボールガールたちと少しラリーを行った。

 「月曜日にはきっといい気分になっていると思う。でもルール上、これが正しいことかどうかはわからないよ。もし明日の決勝も不戦勝だったら、僕は今週の成績からポイントを得られないんじゃないかな」とジョークも言った。「だから決勝では間違いなく最良のプレーをするようにしないといけない。手にラケットを持ち続けてね。そうすれば月曜日には、すべてがいい状態になっているだろう」。

 準々決勝でノバク・ジョコビッチ(セルビア)がマリン・チリッチ(クロアチア)に敗れたため、マレーは1位の座をジョコビッチから奪うために、決勝に進出すればよいだけだった。

 「こんな形で実現したのは残念だった」とマレーは言った。「でも、ここに至るためには、何年にもわたって努力する必要があったんだ」。

 月曜日にATPランキングが更新されると、マレーは初めて世界2位となってから7年以上をかけて、最低でも5ポイント差をつけてジョコビッチを追い抜くことが保証されている。

 そして、彼らの覇権を巡る戦いは今月半ばにロンドンで始まる「ATPファイナルズ」で再開することになる。

 マレーは日曜日にジョン・イズナー(アメリカ)と決勝を戦う。イズナーは18本のサービスエースを奪い、チリッチを6-4 6-3で下した。

 この決勝の結果が何であれ、マレーは世界ランキング1位となる初めてのイギリス人選手となる。彼はまた、1974年に30歳で1位となったジョン・ニューカム(オーストラリア)に次いで、初めて1位になったときの年齢が高い選手となるのだ。

 ロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、そしてジョコビッチがテニス界に君臨した時代に世界の頂点に至るというのは、マレーにとって非常に長い道のり、長い挑戦だった。彼は76週を世界2位として過ごしてきたのだ。

 「僕の周りの選手たち、僕よりも上にいた選手たちが本当に優秀だったから、僕のキャリアの間に世界1位になるというのは本当に達成するのが難しいことだった」とマレーは言った。

 「彼らはテニス界に存在した世界最高峰のプレーヤーたちの一角だ。彼らが送った年月は凄すぎて言葉にならないよ。僕が1位となるためには、本当に素晴らしい一年を送る必要があった」。

 マレーにとってのターニングポイントは、2011年にイワン・レンドル(アメリカ)をコーチとして雇ったときに訪れた。彼らがともに働いた最初の期間では、レンドルはマレーをグランドスラムで4度準優勝した男からグランドスラムで2度チャンピオンとなる男へ変貌させた。

 マレーは2012年にロンドン五輪で金メダルを獲得し、その少しあとに全米オープンで優勝した。そして2013年にイギリス人プレーヤーとしては77年ぶりとなるウィンブルドン優勝を果たしたのだ。

 全米で優勝する前のマレーは、グランドスラムの決勝で0勝4敗だった。1968年のオープン化以降の時代で4つのグランドスラムの決勝で負けたことがあるプレーヤーは、マレーのほかにたった一人しかいない----それがレンドルだったのである。チェコ生まれのベースラインプレーヤーであるレンドルは、その後8つのグランドスラムのシングルス・タイトルを獲得し、17年のキャリアの中で270週を世界ナンバーワンとして過ごした。

 2014年にマレーはレンドルの代わりに、アメリー・モレスモー(フランス)をコーチに選んだ。それは、レンドルがツアーの旅ばかりとなる生活を長く続けたがらなかったためのコーチ交代だったという。

 モレスモーは故障から復帰したマレーがランキングをふたたび上る手助けをしたが、ふたりのパートナーシップは新しいグランドスラム・タイトルをもたらすことはなく、今年5月で終わりを遂げた。

 そして6月のウィンブルドンの前に、レンドルがジェイミー・デルガドとともにフルタイムのコーチとしてマレーのチームに戻ってきたのだ。それは、マレーが全仏でジョコビッチに敗れた1週間後のことだった。

 この変化はすぐに成果をもたらした。マレーは2度目のウィンブルドン優勝を遂げ、リオ五輪でも2度目の金メダルを獲得した。そして10月に入って北京、上海、ウィーンと3大会連続優勝を遂げ、マレーは全仏以降わずか3試合しか落としていない。

 「明らかにイワンはともにすごした期間に僕を大いに助けてくれた。最初のときには、僕はキャリア最良の時期を送ることができ、そして、今年ふたたびチームを組んでからのウインブルドン以降もすばらしい時間を過ごすことができている」とマレーは言った。

 ジョコビッチは122週連続で1位の座をキープした(合計では223週)。しかし、先の6月に全仏で初優勝を遂げ、生涯グランドスラム(4つのグランドスラムのすべてで優勝すること)を達成して以来、調子を落としている。彼はウィンブルドンの3回戦でサム・クエリー(アメリカ)に敗れ、リオ五輪ではフアン マルティン・デル ポトロ(アルゼンチン)に初戦敗退を喫した。そして全米オープンの決勝では第1セットを取ったものの、そのあと3セットを連取されて、スタン・ワウリンカ(スイス)に逆転負けしていた。

 週明けのランキングでマレーが1位となることが確定したとき、いち早く彼に祝辞を送ったのが母ジュディだった。

 「長い道のりを歩いてきて、ついにやったわね、ベイビー」----ジュディ・マレーはツイッターに、ふたりがコート上にいる古い写真とナンバーワンの文字、そしてハートマークの祝辞を投稿した。(C)AP