サッカースターの技術・戦術解剖第20回 リオネル・メッシ<どの瞬間も「止めて」「蹴れて」「運べる」> リオネル・メッシについては語り尽くされているが、あえて技術面にフォーカスしてみたい。先日、風間八宏氏(元川崎フロンターレ、名古屋グランパス…

サッカースターの技術・戦術解剖
第20回 リオネル・メッシ

<どの瞬間も「止めて」「蹴れて」「運べる」>

 リオネル・メッシについては語り尽くされているが、あえて技術面にフォーカスしてみたい。先日、風間八宏氏(元川崎フロンターレ、名古屋グランパス監督など)にメッシについて話を聞いた。



メッシのドリブルは、足元からボールが離れない

「止める、蹴る、運ぶ。それぞれの技術が傑出しているけれども、特徴的なのはそれらがすべて同時にあるところ」

 風間氏が技術指導をする時、「止める」「蹴る」「運ぶ」をそれぞれ別々に教えるところから始めるが、実際の試合ではそれが連続的に行なわれている。そして、メッシに関してはそれらがすべて同時に「ある」状態だという。

 たとえば、メッシはドリブルしている時に足元からボールが離れない。だいたい左足の前にボールがある。トップスピードで走っていてもボールが離れないのは、メッシの特徴だ。

 そして、いつでも次のプレーができる。ドリブルのままパスも出せるし、シュートも打てる。違う言い方をすると、パスを出さない、シュートを打たないまま、ドリブルを継続することもできる。

「蹴る場所がなければ、止める場所もない」

 風間氏は「止める」について「ボールを静止させること」と定義しているが、ただボールが静止しているだけではあまり意味がない。その止まっている場所は、ただちに次のプレーができる場所であるべきだと言う。

 メッシの場合、強烈な低いシュートも、GKをあざ笑うようなループも、即時に蹴れる場所にボールを置いている。静止させた時だけでなく、ドリブルの最中でも常に蹴り出せるポイントにボールを置いている。メッシとボールの関係性がほとんど変わらないのだ。

 フィールドの右寄りから左方向へ斜行していくドリブルはメッシの十八番で、これをやられると相手はまず止められない。メッシがただ左斜めにドリブルしていくだけで、ひとり、ふたり、3人と、DFがバタバタと倒れていくこともある。

 メッシはシュートする雰囲気を出しているだけで(少しステップの幅を変えているが)、キックフェイントらしきものもしていないのに、DFはシュートを予期して次々に体を投げ出してしまうのだ。これも常に蹴れる場所にボールが「ある」からだ。止める時も運ぶ時も、メッシとボールの関係性が一定で、常に「蹴る」ポイントにある。つまり、すべて「ある」状態のままプレーしているわけだ。

<滑るような走り方>

 止まっていても動いていても、メッシとボールの関係はほぼ一定。どの瞬間でも、何でもできる状態にある。言葉にすれば簡単だが、それをあのスピードでできる選手はほとんどいないだろう。

 風間氏はボールがメッシから離れない要因は、走り方にあるのではないかと言っていた。

「ほかの選手と比べると、メッシは走っている時に靴底が見えていない。後方への蹴り出しで推進力を得る陸上競技とは違う走り方」

 モモもあまり上げないし、後方への蹴り出しも少ない。たんに速く走るなら、陸上競技の走り方は理にかなっているはずだが、ボールと共に走るのはまた別なのかもしれない。

 メッシは滑るように走っている。交互に足を前に出すのが速く、常にボールの側に足がある。ボールなしならメッシより速い選手はいるだろうが、ボールと一緒に走るならメッシはおそらく最速の部類に違いない。

 メッシのプレー集を見ると、たくさんのゴールシーンがあるが、ほとんどリプレーのように同じような得点シーンが繰り返されている。その点で、同じアルゼンチンの天才でもディエゴ・マラドーナが何をするかわからないのに対して、メッシはわかっていても止められない選手といえる。

 ドリブルで抜く時もほぼ毎回同じ。複雑なフェイントはなく、右足を一歩踏み出して左足のアウトサイドで運んで外すことが多い。相手がそれに反応してくると、見透かしたように足の間にボールを通すか、普通に右側へ運んで外してしまう。

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 相手の動きを読み切っていて、ほぼ癖のように抜いてしまっている。速いのは間違いないが、速さだけで抜いているわけではなく、相手の反応が手の内に入っていて、将棋でいえば常に王手飛車取りのような状態。足を出さなければ通過、出せば股抜きという具合である。

<ミニマリズムのプレーぶり>

 ジャン=ピエール・パパン(フランス/1980年代後半から90年代に活躍)が、現役時代にシュート練習のシーンを集めたビデオを出したことがある。

 ドリブルシュート、コントロールしてからのシュート、クロスボールをダイレクトで、ボレーで、オーバーヘッドで、さまざまなシュートを当時まだ新しかったスーパースローを駆使して見せていた。

 スーパースローを見て気づいたのは、パパンがボールを蹴る時の足のポイントが常に同じだという点だ。ドリブルシュートでもオーバーヘッドでも、足のどこでボールの中心を叩くかが一定だった。蹴ることに関して、パパンとボールの関係性ができあがっていたわけだ。

 メッシのキックにも同じことが言える。パス、シュート、FKと、どのキックでも一定しているが、メッシの場合はトップスピードのドリブルでもボールとの関係性が一定なのは前記のとおりである。その結果、プレーが広い意味でパターン化されているように見えるのだと思う。

 サッカーでまったく同じ状況はないが、同じような状況はある。そこでどういうプレーをするかは自由度の大きいスポーツなのだが、合理的な選択をすると実はそんなに多彩である必要はないのかもしれない。メッシが毎回同じようなプレーをしているのは、それで用が足りているからだ。

 たとえば、FKの得点率がすごいことになっているが、メッシのFKのシュートにことさらすごいという印象はない。カーブをかけて落とす、球筋は至って普通で、いわゆる魔球の類ではない。仮に、もう少しゴールが小さければ、あの弾道では入らないのではないかと思うこともある。

 正確に隅をついている。GKとの駆け引きもあるだろう。ただ、どうにもならないシュートには見えない。しかし、現在のゴールならあれで十分入る。この過不足のなさは、FKだけでなくメッシのプレー全体の印象でもある。

 無駄を削ぎ落としたミニマリズム。どこまでも簡素。あまりに研ぎ澄まされ、すごすぎて、かえってすごさがわからなくなりそうだ。メッシがプレーした時代に居合わせたのは幸運なのだろうが、メッシが基準になってしまう次世代の選手たちにとってのハードルは高い。

 メッシを見慣れてしまったファンは目が肥えすぎて、メッシが引退したら本当に満足を得ることが難しくなってしまうのではないだろうか。