「世界のサッカー美女8人」はこちら>> セリエAが終了した。本来ならば5月24日に終了するはずが、コロナ禍で約3カ月中断。それでも約1カ月半遅れで閉幕できたのは、週に2試合のハイペースで残りの日程をこなしたからだ。この難しいシーズンに2人の…
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セリエAが終了した。本来ならば5月24日に終了するはずが、コロナ禍で約3カ月中断。それでも約1カ月半遅れで閉幕できたのは、週に2試合のハイペースで残りの日程をこなしたからだ。この難しいシーズンに2人の日本人DFが挑んでいた。21歳の冨安健洋(ボローニャ)と31歳の吉田麻也(サンプドリア)。2人に共通するのは、非常に評価が高いことだ。
「DFのジョリー」
イタリアのメディアは冨安のことをそう呼ぶ。「ジョリー」はイタリア語でジョーカーのこと、つまりオールマイティーのカードという意味だ。彼の本来のポジションはCBだが、左右のSBとしてもプレーすることができ、「バックスの問題をすべて解決してくれる」と地元紙には書かれている。
今季ボローニャに移籍、29試合に先発。ミラン戦ではゴールを決めた冨安健洋
今シーズンはほとんど右SBでプレー、シニシャ・ミハイロビッチ監督の構想でもともとのレギュラーだったイブラヒマ・エムバイェとの序列をくつがえしたと言われている。その証拠に、29試合でプレーし、そのすべてがスタメン出場だった。
6月のリーグ再開以降は、第36節のアタランタ戦まで、全試合でプレー。フィールドプレーヤーで唯一、ほぼ週2試合という過酷な日程をこなし、チームのセリエA残留に貢献した。ミラン戦では、チームは敗れたものの、サッカーの殿堂サンシーロスタジアムでセリエA初ゴールを決めている。拍手を送るサポーターがその場にいなかったのが残念だ。
ただシーズン終盤は、さすがに疲れが見えてきた。10日間で4試合をこなした後、アタランタ戦で右のハムストリングを負傷。2週間のストップがかかり、最後の2試合をプレーすることなくシーズンを終えた。
ミハイロビッチ監督も彼が疲弊していることはわかっていて「休ませたいとは思っていたが、結局、彼の代わりはいなかった」と告白している。冨安は今やボローニャにはなくてはならない存在なのだ。
優れたテクニックと強靭なフィジカル。まだ21歳だが、将来有望な若手というよりは、すでに出来上がった選手の貫禄さえある。現地メディアでは、これまでイタリアに来たなかでもトップクラスの日本人選手だと言われている。
ボローニャは冨安を、シント・トロインデンにいたころから数カ月にわたり追い続け、説得してチームに連れてきた。この賭けにボローニャは勝った。その証拠に、多くのチームが今は冨安を欲しがっている。この5月にはローマがオファーをしてきたが、ボローニャは断っている。
「彼の適正価格がいったいいくらなのか、まだ誰にもわからない」と、ボローニャのテクニカル・ディレクター、ヴァルテル・サバティーニは言う。
その評価額は実際うなぎのぼりだ。1000万ユーロ(約12億円)で移籍した冨安には、今や2000万ユーロ(約24億円)以上の値がつくと見られている。パリ・サンジェルマンのコラン・ダグバ、アーセナルのエインズリー・ナイルズ、アヤックスのノゼア・マズラウィ、マンチェスター・ユナイテッドのディアゴ・ダロトに匹敵する評価の上がり方だと報じるメディアもある。ローマ以外にもバイエルン、レバークーゼン、インテル、そして最新の情報では9連覇を果たしたばかりのユベントスが、彼に2500万ユーロ(約30億円)を提示したという。
しかし、ボローニャは今のところ一貫して、売らない方向でいるようだ。「冨安はリッカルド・オルソリーニとともにアンタッチャブルだ」と、前出のサバティーニは言う。「冨安は来シーズンのボローニャのプロジェクトに欠かせない選手である」とも。
監督のミハイロビッチも、最終戦の後の記者会見で、来シーズンの構想に富安がいることを表明しており、「新シーズンからは彼を本来のCBで使う予定だ」と公言した。
冨安自身もボローニャというチームに愛着を持っていることを、イタリアの有名スポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで述べている。
「最初の数カ月は本当に大変だった。すぐに溶け込むことができず、戦術に苦労し、必死で練習した。でもチームや周りが助けてくれたおかげで、すべてはうまくいったし、たぶん人間的にも成長できたと思う。サイドバックというポジションも、自分のもののように思えてきた。でももちろんセンターでも問題ない」
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ミハイロビッチの存在も彼を大いに勇気づけてくれたようだ。ミハイロビッチは冨安が移籍した直後に白血病が発覚。しばらくは入院し治療に当たっていたが、今はベンチに復活している。入院中にも試合にかけつけるなど、その不屈の精神は選手たちにも大きな影響をもたらした。
「誰もが彼のために勝ちたいと思った」と、冨安は言う。
そしてこんなエピソードを紹介している。
「遠征試合の帰り、チーム全員がバスでそのまま彼の入院している病院へ行き、病室の下でチャントを歌ったんだ。すばらしかった。皆がひとつになった瞬間だった。ボローニャというのはすばらしいチームだと思った」
一方、今年1月、守備にケガ人が続出し、早急に強力なDFを求めていたサンプドリアが冬のメルカートの最終日に獲得したのが吉田麻也だ。
サンプドリアを率いるクラウディオ・ラニエリ監督は、テクニカル・ディレクターから「日本人の吉田を獲得しようと思う」と言われた時、最初は誰かわからず怪訝な顔をしたという。だが、かつてプレミア時代に何度も対戦したサウサンプトンの吉田であるとわかると、即OKを出したという逸話がある。
ラニエリの期待を裏切らず、吉田はシーズン後半を不動のレギュラーとしてプレーした。吉田の加入時にはB落ちの危険性もあったサンプドリアだが、4試合を残して無事A残留を確定。イタリアのどのメディアもその理由を「1月の補強が大きかった」としている。
特にカリアリ戦、ユベントス戦での吉田の活躍はすばらしく、地元メディアは彼に10点満点中7という高評価をつけた。これはクリスティアーノ・ロナウドと同じ評価である。『ガゼッタ・デッロ・スポルト』は「吉田、なんという安定感だ!」という見出しで称えた。
吉田はドリアーノ(サンプドリアサポーター)の心もがっちりと掴んでいる。移籍直後のインタビューでは「チャニンチャニン(少しずつ)」というジェノバ弁を使って話題となったが、最終節終了後のチームの公式チャンネルでは、細かい文法にまで気を使った見事なイタリア語で受け答えをし、称賛の声が上がっている。
吉田本人によると、シーズン最後にイタリア語でインタビューを受けることを目標に勉強していたという。ロックダウンの期間には、地元のコメディアンを先生にジェノバ弁のレッスンをしている動画を公開もしている。やはりイタリア語が流ちょうな長友佑都からは「吉田先生」の称号をもらった。
このインタビューで、吉田は今後の去就についても語っていた。
「今は何とも言えないが、もう1年ここでプレーする可能性はある。チームにとっても自分にとっても、長いタームの契約は有利だ。とにかくこの休暇の間にチームと話し合いをしたい」
吉田はサウサンプトンから期限付きでサンプドリアにレンタルされていた。サウサンプトンの契約は今季で満了(本来は6月30日で満了だが、今シーズンは特例でプレーしているリーグが終了するまでに変更された)。吉田のレンタルにはオプションがついていて、10試合プレーしたところでその後の決定権が選手に与えられる。吉田はすでに14試合サンプドリアでプレーしているので、本人が希望すれば2021年6月まで契約延長ができる。
年俸150万ユーロ(約1億8000万円)についても話し合いがされているようだ。ただ、サンプドリア側は吉田に年俸100万ユーロ(約1億2000万円)の2年契約をオファーしており、今後さらに話し合いが必要だろう。また、今シーズンの活躍を見て、トルコやフランス、UAE(アラブ首長国連邦)からもオファーが来ていると言われている。
実は吉田はイタリアのサポーターの前でプレーしたことがない。彼がサンプドリアでデビューした時はすでに無観客試合になっており、再開してもスタンドはシーズン終了まで無観客のままだった。ドリアーノとしてはぜひ彼のプレーを生で見たいことだろう。
セリエAの新シーズンは9月19日から始まる。今年は地元の練習場で8月20日前後から始動するチームが多いようだ。来季こそ、ノーマルな状態でプレーする2人を見たいものだ。