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アイブロックス(グラスゴー)

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 ベニート・ビジャマリンの回でも述べたが、グラスゴーはセビージャ同様、人口に対して「座席数」の割合が高い街だ。

 セルティックのホーム、セルティック・パークの収容人員は約6万人。ナショナルスタジアムであるハムデンパークは約5万2000人。そしてレンジャーズのホーム、アイブロックスは5万817人だ。

 座席総数は約16万3000。グラスゴーの人口は約63万人なので、人口に対して座席数が占める割合は約26%となる。セビージャ(約25%)を、ほんの僅かではあるが上回る。観戦環境に世界で最も優れた街--とは筆者の印象だ。

 そしてそのうちの2つが、UEFAから、最上級を意味するカテゴリー4の認定を受けている。アイブロックスとハムデンパーク。ロンドン、ロシア、バルセロナ、マドリード、イスタンブール、リスボンなど、カテゴリー4のスタジアムを2つ持つ都市は他にもあるが、人口100万人以下の都市に限るならば、グラスゴーの他にはリスボンだけだ(セビージャにある4つ星はオリンピコだけ)。

 セルティックかレンジャーズか。スタジアムで優劣を競うなら、筆者の印象でもUEFAの評価と同様、アイブロックスが上になる。収容人員ではセルティック・パークに約1万人劣るが、それを圧してあまりある魅力がある。



レンジャーズ(スコットランド)の本拠地、アイブロックス

 まずアクセスがいい。グラスゴーは街の中心地を環状で走る地下鉄が一番の交通機関になる。山手線の3分の1程度の規模ではないかと推測するが、アイブロックスはスタジアムと同名の駅から徒歩数分の距離にある。街の中心地から、30分も費やさずにスタジアムに到着することができるのだ。

 見た目にも優れている。煉瓦を積み上げたような外装。その赤茶色の中にチームカラーである青を差し色として施したそのデザイン性が光る。青とひと口にいっても種類は無限だ。青は赤より、ともするとパンチに欠けるが、レンジャーズの青には華を感じる。スコットランドのどこか荒涼とした空気感とマッチする魅力的な青だ。

 客席はすべてその独得の青でペイントされている。スタンドの造りは箱形だ。まさに英国調である。連想するのは同じ青をチームカラーにするチェルシーのスタンフォード・ブリッジになるが、UEFAの認定どおり、アイブロックスの方が上になる。青の鮮やかさでもチェルシーに勝っている。

 密閉性が高く、音の反響率も高い。

 時は2000-01シーズン。チャンピオンズリーグ(CL)の1次リーグ最終戦(第6節)だった。

 シュトルム・グラーツ(勝ち点9)、ガラタサライ(7)、レンジャーズ(7)、モナコ(6)で争われるD組は、最終節を前に4チームすべてに突破の可能性が残されていた。そうした混沌とした状況に拍車を掛けていたのが直接対決のルールである。当時、順位化する手段として、勝ち点の次に得失差でなく直接対決の結果を優先していたのはUEFAのみ。日本人には目新しいルールだった。

 2000年11月7日。アイブロックスで行なわれた一戦は、3位対4位の対戦だった。レンジャーズ対モナコ。同時刻にイスタンブールで行なわれた2位対1位の対決、ガラタサライ対シュトルム・グラーツ(監督はイビチャ・オシム)の試合の行方を、記者席に備え付けのモニターで確認しながらの観戦になった。

 CLでは試合前、選手が正面スタンド前に整列すると大会のテーマ曲が流れる。どのスタジアムもこの習わしを終えると、スタンドの盛り上がりは最高潮に達する。この日のアイブロックスも例外ではなかった。耳をつんざく莫大な音量。当時のノートには「これまで聞いた中で一番」と記されていた。何と言っても拍手が凄まじかった。観衆全員が力一杯叩くと、密閉された箱形の空間に、まさに割れんばかりに轟いた。

 ブラバン演奏がそれに続いた。ブラバン演奏といえば、オランダ式応援に欠かせない道具だが、この頃のレンジャーズにはオランダ人が主力として在籍していた。監督はディック・アドフォカートだった。この試合、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルストは欠場したが、アーサー・ニューマン、ロナルト・デ・ブールなど、当時のオランダ代表がスタメンを飾っていた。

 そして開始3分、レンジャーズがニューマンの折り返しから、スコットランド人FWケニー・ミラーが押し込み先制すると、箱形スタンドのボルテージはこの日の最大値を更新した。しかし、シュトルム・グラーツ、ガラタサライに対して直接対決ルールで優位な立場にあるモナコは、この騒ぎに目もくれず反撃に出る。そして前半39分、同点ゴールを叩き込んだ。

 ハーフタイム。CLの現場では記者はホームクラブから食事を振る舞われることが慣例になっている。UEFAから各クラブに「そうしてください」と通達が出ていることもあるが、日本との決定的な違いでもある。この時、何が振る舞われたかは記憶にないが、忘れられないのはハーフタイムが終わり、正面スタンド2階席にある記者席に戻った時のことである。

 英国紳士風の年のいったおじさんが、記者席にやってきてひとりひとりに話を聞いてはメモをとっていた。

「紅茶にしますか、コーヒーにしますか?」

 ほとんどの人が紅茶と答えていたので、郷に入れば郷に従えではないが、紅茶と答えれば、ほどなくすると熱々のアップルパイが手元に届けられた。 

 ナイフとフォーク付きであることに感心していると、その後、運ばれてきた紅茶も紙コップではなく、ソーサーにスプーンが乗った陶器のカップだった。飛行機のビジネスクラスに乗ったような気分を、騒然とした雰囲気のスタジアムで味わうアンバランスに、なんとも言えぬ感激を覚えた。日本では味わえないカルチャーに酔いしれることになった。

 この間に、レンジャーズは勝ち越しゴールを奪い、2-1としていた。このまま終われば、イスタンブールのアリ・サミ・イェンで行なわれている試合の結果にかかわらず、CLでは初となるベスト16入りが決まる。

 ところが78分、事件が起きた。かつてフィオレンティーナなどで活躍したイタリア代表歴のあるCBのロレンツォ・アモルーゾがミスを犯し、レンジャーズはモナコに同点とされてしまうのだ。

 試合終了のおよそ1時間後、地下鉄アイブロックス駅の混雑は潮を引き、時計と反対回りに回る環状線の内回り線は、乗り込んだ全員が座っても、シートにはまだ十分なゆとりを残していた。1人の青年が勢いよく乗り込んできたのは3つ目のケルビンホールという駅だった。

「今日の試合どうだった?」。目をパチクリさせながら、彼は車内の誰とはなしに問いかけたが、すぐに反応する者はいなかった。グラスゴーの地下鉄は、ロンドンの地下鉄より小さい。奥の方に座っていた青年が、密室の重苦しい空気に耐えかねるように「2オール」と発するまで、時間はとても長く感じられた。

「じゃあ、ダメだったわけ、1次リーグ突破は......」

 瞳を閉じ、じっとしていた年配のファンは、青のマフラーがきつく巻かれたその太い首を2、3度横に振り、渋面を際立たせた。

 翌朝、グラスゴー市内から空港に向かったタクシーには、どういうわけかバルセロナのステッカーが貼られていた。「バルサファン?」と運転手に尋ねれば「イエス」の答え。筆者がライターで、CL第4週に行なわれたミラン対バルサ戦をサンシーロで観戦したと伝えれば、「リバウドがハットトリックをした試合を見たのか」とキレのいい答えを返してきた。

「レンジャーズとバルサ、どっちが好きかって? それはレンジャーズさ。当たり前の話だ。俺が一番見たいのはバルサ対レンジャーズ。やっぱりサッカー観戦はCLに限るよ。スコットランドリーグより断然レベルが高くて面白い。で、今日はこれからどこへ行くんだい? マンチェスター? げっ。俺はあのチームが大嫌いだ。スコットランド人は皆そうさ」

 ドライバーがレシートを差し出しながら最後に発した台詞がイカしていた。

「来シーズンのCLにまた来なよ。待っているから」

「オッケー!」

 そして約束どおり2001-02シーズン、グラスゴーを訪問した。レアル・マドリード対レバークーゼンのCL決勝を観戦取材するためだ。訪れたのはハムデンパーク。ちなみに、UEFAは決勝の舞台として当初、アイブロックスを希望したそうだ。しかしスコットランド協会が、ナショナルスタジアムであるハムデンパークでの開催を望んだとのこと。次にグラスゴーで決勝を開催するなら、ぜひアイブロックスでお願いしたい。