『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者の歩み』第I部 五輪での戦い(1) 数々の快挙を達成し、フィギュアスケート界を牽引する羽生結弦。そこには、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦い…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者の歩み』
第I部 五輪での戦い(1) 
数々の快挙を達成し、フィギュアスケート界を牽引する羽生結弦。そこには、常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱がある。世界の好敵手との歴史に残る戦いやその進化の歩みを振り返り、王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



ソチ五輪フィギュア男子シングルSPで演技する羽生結弦

 2014年ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル。強い思いを胸に秘めて臨んだ、初めての五輪の大舞台で、羽生結弦は優勝を果たした。個人戦SPでは世界最高得点を記録し、金メダル獲得はアジア勢初の快挙だった。

 羽生にとって幸運だったのは、個人戦を前に、この大会から正式種目になった団体戦を経験できたことだった。団体戦ショートプログラム(SP)をノーミスで滑り、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)や、パトリック・チャン(カナダ)というビッグネームの選手を上回った。その勢いが、個人戦SPの驚異的な得点獲得による首位スタートにつながった。好発進を切った羽生だが、フリープログラムでは”五輪の魔物”が襲い掛かったのだったーー。

 14年2月14日、金メダルを決めた羽生は演技後、自らの夢を現実にしながらも、冷静な表情でこう話した。

「優勝という結果は、すごく誇りに思います。でも、自信がある3回転フリップでミスをしてしまったり、満足できる演技ではありませんでした」

 ソチ五輪の初演技は、開会式前日の2月6日の団体戦SP。羽生にとって子どもの頃から憧れたプルシェンコと初めて戦う場でもあった。プルシェンコは、02年ソルトレーク五輪から3大会連続で銀、金、銀と、メダルを獲得した地元ロシアの英雄。しかし、羽生は重圧に負けることなく、軽やかに舞った。

「プルシェンコ選手は僕の憧れで、彼がいたから五輪を目指すようになりました。一緒にリンクに上がっているだけで、足が震えてくるような大きな存在です。実際、僕にとっての五輪は、彼と(アレクセイ・)ヤグディン選手(ロシア)がすばらしい戦いを繰り広げた舞台という印象があります。団体戦で同じ試合で滑ったことは、夢のような時間で、本当に光栄でした」

 羽生のSPは前年と同じ『パリの散歩道』。手中に収めたという表現がふさわしい、完成された演技でミスをする気配は毛ほども感じさせなかった。結果は97.98点で1位。ほぼノーミスで滑ったプルシェンコを6.59点上回った。さらにジャンプのミスで3位に留まったチャンと比べても、羽生の演技の仕上がり具合は際立っていた。



演技後、ブライアン・オーサーコーチに笑顔を見せた羽生

「ソチへ入って最初の公式練習は、体が全然動かなくて、『これが五輪なんだろうな』という感覚はありました。それでも滑っているうちに”普通の試合”だと思えてきました。いい感覚で個人戦に入れそうです」

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 また、「五輪の魔物は見えたか」という質問に、「見えたんじゃないでしょうか。ただ、それに捕らわれず、やるべきことを一所懸命にできたと思います」と笑みを見せた。

 2月13日の個人SP。羽生にとって残念だったのは、プルシェンコと個人戦を戦うことができなかったことだろう。プルシェンコは演技直前に、古傷の腰を痛めて棄権。地元の英雄の欠場に会場は、落胆の色が濃かった。

 そうした状況で、羽生の演技は驚くべきキレだった。すべての要素を完璧に決めると、技術点・演技構成点共に団体戦を上回り101.45点を獲得。公式戦の世界最高得点かつ、史上初の100点超えで首位に立ったのだ。

「100点超えは考えてもいなかったけれど、五輪の舞台で達成できたのはうれしいです」

 2位のチャンはSPで97.52点。羽生が優勝争いで先手を取った格好だった。だが、フリーは、それまで息を潜めていた五輪の魔物が、姿を現したのだった。

 21番滑走の羽生は、直後にチャンが控えていることもあり、緊張で体がまったく動かなかったのだ。

 フリーの羽生の滑りは、これまで見たことがないほどぎこちなかった。最初の4回転サルコウで転倒。その後、4回転トーループは決めたが、続く3回転フリップで再度転倒する驚きの展開だった。スピード感と自信に満ちたいつもの演技とはまったくの別物だった。

 羽生は「後半になるに従って脚が動かなくなり、体力もなくなってマイナスな気持ちが出てきてしまいました。そういった中で演技をするのが大変でした」と振り返る。

 フリーの得点は178.64点で合計は280.09点。優勝の2文字は、彼の手のひらからスルリとこぼれ落ちていったように思えた。

 しかし、世界選手権3連覇中のチャンにもまた、魔物が襲い掛かった。金メダル獲得の絶好のチャンスが転がり込んできたことで、プレッシャーがかかったのかミスを連発。最初の4回転+3回転を決めたものの、単発の4回転トーループと、トリプルアクセルでは手を突いてしまう。さらに終盤のダブルアクセルでもミスをして、結局、178.10点で羽生を上回ることができなかった。

 負けたとばかり思っていた勝負に勝利した羽生は、「びっくりしているとしか言いようがありません」と述べ、同時に「五輪の本当の怖さを知った」と神妙な面持ちで語った。

 五輪の大舞台で、完璧な演技をするのは至難の業。優勝を決定づけるのは、選手のもっている底力の証明とも言えるだろう。その意味では、羽生がこのシーズンをケガなく過ごしたこと、グランプリシリーズ3試合でのチャンと直接対決で着々と力を蓄えていったことが、勝因になったのかもしれない。
(つづく)

*2014年2月発行『Sportivaソチ五輪・速報&総集編』掲載「羽生結弦 19歳の飛翔」に一部加筆

【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追い続けている。