歩みを止めず、絶え間なく成長していくこと 早大在学中の1984年にロサンゼルス五輪に出場した経験を持つ奥野景介氏(昭63教卒=広島・瀬戸内)。現在は水泳部競泳部門のコーチを務め、男子200メートル平泳ぎの元世界記録保持者である渡辺一平(平3…

歩みを止めず、絶え間なく成長していくこと

 早大在学中の1984年にロサンゼルス五輪に出場した経験を持つ奥野景介氏(昭63教卒=広島・瀬戸内)。現在は水泳部競泳部門のコーチを務め、男子200メートル平泳ぎの元世界記録保持者である渡辺一平(平31スポ卒=現TOYOTA)やリオ五輪で男子200メートルバタフライで銀メダルを獲得した坂井聖人(平30スポ卒=現SEIKO)の指導を主に行なっている。学生時代「奇跡が起こったら行けるかもしれない」というほど大きな目標であった五輪出場に向けて、全てを賭けて取り組んだ結果、代表選考会で優勝を果たし五輪への切符を手に入れた。非常に困難な目標を達成したことはその後の人生にも大きな影響を与えているという。コーチとして東京五輪に向けて進む現在、延期を経ても「常に成長を続けられるように」「やれることをきちんとやる」と選手の歩みを支えている。


学生時代から早大水泳部の名を背負ってきた

 「自分の専門だった自由形は、当時世界と最も大きな差がある種目であったこと。五輪の出場権争いという点でも、あまり有力な立場で臨んでいなかったこともあり出場しただけで満足してしまった」「五輪の代表になるということを目標としていたので、代表になったらどうするのかというのをもっと明確にしておけば良かった」と当時のことを振り返る。1984年のロサンゼルス五輪では29種目が競泳で実施されたが、アメリカが21個の金メダルを獲得(同着1位種目あり)し、アジア人は1人も表彰台に立っていない。今でこそ日本は毎大会メダリストを複数名輩出するような強豪国となっているが、当時は体格や環境などに起因する差も大きかった。世界に全く歯が立たなかったと感じた自身の五輪出場ではあったが、その経験はコーチとなった今『世界に伍する』という早大の精神を体現しようという原動力に通じている。自身の出場から約30年後、奥野氏は2016年開催のリオ五輪日本選手団のコーチに名を連ねる。早大水泳部の部員及び卒業生は8人出場し、指導する坂井は男子200メートルバタフライで『水の怪物』マイケル・フェルプス(アメリカ)に次ぐ銀メダルを獲得した。

 「日本代表ヘッドコーチの平井伯昌(昭61社卒=現東洋大学)さんは現役時代に早大水泳部でお世話になった恩人のような存在なんです」という奥野氏。選手として水泳部に在籍していた際、練習メニューを作るなど強化の中心的な役割を担っていたのが、北島康介ら多数のメダリストを育ててきた名伯楽・平井氏だったのだ。「僕としては平井さんに協力していただいて五輪出場を成し得たと思っています」。その平井氏にとっても企業に就職をするのではなく、水泳のコーチになろうと考えたきっかけが奥野氏の五輪出場だった。バブル期の真っ只中に大手企業の内定を蹴り、競泳の指導者の道に進むという決断。この出来事が日本の水泳界に及ぼした影響は計り知れない。『センターポールに日の丸を』を合言葉に強化を続けてきた競泳日本代表はリオ五輪で7つのメダルを手中にしている。


リオ五輪で銀メダルを獲得した坂井、写真は2018年早慶戦

 

 そして2020年。競泳の代表選考会である日本選手権開幕の1週間前、東京五輪の延期が決まった。東京五輪の延期はもちろん選手にとって大きな出来事であり、モチベーションの維持という点でも難しいところはあるという。しかし「常にパフォーマンスを向上させることの重要性」や「選手が歩みを止めず、絶え間なく成長していくこと」は日頃から意識していたことであり、五輪の延期は「それを発揮する場が延長されただけ」であるという見方をしている。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府の緊急事態宣言を受け、渡辺と坂井が拠点としていた味の素ナショナルトレーニングセンターも閉鎖され、早大の施設も使えなくなり、練習が止まった。自宅でできる陸トレやランニングを行い、学生についても7時半から8時半くらいまでZOOMでリモートトレーニングを毎日実施した。練習再開後1ヶ月ほど経った現在、選手の調子は良くなってきてはいるものの最も良いときと比べると、依然5割から6割ほどの状態であるという。また再開後の味の素ナショナルトレーニングセンターには指導者は入れず、選手が1時間ほど自主トレができるに留まるといった状況となった。そのため、より多くの練習を積むために、卒業生2人も現在は早大を練習場所としている。何より、大会が多く中止になり自粛期間中それぞれが1人で不安な時期を過ごしたことからも、制限下でも皆で集まって「頑張ろう」という雰囲気をもつことは、改めて歩み出していくためにも大切なのではないかと考えている。

 もちろん現実には課題も多く先行きが見通せていない部分も多い。競泳は外国での高地合宿が速さを支える大きな糧の1つとなるが、新型コロナウイルスの流行により外国への渡航が困難となり、東京五輪までの1年、長期の合宿はできそうにない。「アメリカのフラッグスタッフなどは街全体が標高が高く低酸素の状態にあり、回復力は遅れるがハードなトレーニングをするためには最適」であり、奥野氏も「影響は非常に大きい」と今後の強化への影響を懸念する。国内にも準高地プールや低酸素の設備が僅かながらあり、それらを活用していくことはできる。しかし海外合宿で得られるものは大きく「わざわざ外国に行き、日本とは違う状況にきちんと適応しながら外国の異文化に触れたり、食生活に対応するよう努力するなどの生きていく上での工夫がアスリートとしての成長だったりその先の人生にも繋がるような貴重な経験になれば」と、トレーニング以外の側面からも選手を刺激してきた機会が得られないことは惜しまれる。さらに海外試合もなく、国内試合も限られる中どのようにパフォーマンスを上げていくかという点も課題だ。「特に国際試合でメダルを取りたいと考えている選手にとっては、強豪選手と競い合うというのは非常に大事」であり、選手は実際の勝負を通して、練習の中では得られない経験値を積むことができる。実戦の機会がない中でどのように勝負勘を養っていくのか、選手が今まで試合で得てきた部分をどのように補うのか工夫が求められる。


早大水泳部員を指導する奥野氏

 自身が生まれる直前に開催された1964年の前回大会について人々が語るのを耳にし、「当時5歳くらいだった人たちの記憶にさえも、ずっと残り続ける」と地元開催の五輪の特別さを実感してきた。来年の東京五輪の重要性についても同様に、「この困難を経た大会になることもあり、2070年、80年くらいまでは直接語られていくものになるのではないか」と考えている。現在は「そういった特別な大会の中で選手が良いパフォーマンスが発揮できれば良い」と期待を寄せるとともに、改めて指導に尽力している奥野氏。「自国開催のオリンピックというのは他の国際大会よりもずっと注目されて、みんなが応援してくれるので、頑張ろうという気持ちになれる大会なのではないかと思います。是非そういうところで自分の持てる力を全て出せるようにしてもらいたいし、世界一になるということができればいいと思いますね」。

(記事 青柳香穂)