サッカー名将列伝第6回 ルイス・ファン・ハール革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回はアヤックスやバルセロナを率いたルイス・ファン・ハール監督。オランダ式を突き詰…

サッカー名将列伝
第6回 ルイス・ファン・ハール

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回はアヤックスやバルセロナを率いたルイス・ファン・ハール監督。オランダ式を突き詰め欧州を席巻したあと、数々の成功と失敗を繰り返した。高い指導力が認められる一方で、評価には賛否両論があった。

◆ ◆ ◆

<高い指導力>

 マンチェスター・ユナイテッドは、ルイス・ファン・ハール監督が率いた最後のチームである。指揮を執ったのは2シーズン。当時のキャプテンだったウェイン・ルーニーは、「ファン・ハールを解任したのは間違いだった」と話している。



欧州のトップクラブで高い指導力を発揮した、ファン・ハール監督

「解任は大きな間違いだった。2シーズンで、ほかのどの監督よりも多くのことを彼から学んだ」(ルーニー)

 ルーニーは「ほかのどの監督よりも」と言っているので、アレックス・ファーガソンよりもファン・ハールから学ぶものが多かったということになる。指導力は高く評価されていた。一方、ユナイテッドから放出されたロビン・ファン・ペルシーは「冷淡だった」と振り返る。

「『私は監督、君は選手だ。君は出て行かなければいけない。ここでの時間は終わりだ』と言われた。プレシーズンでは紅白戦にもプレーさせてもらえなかった。とても冷淡だった」(ファン・ペルシー)

 白黒はっきりつける。わかりやすいと言えばそうなのだが、ファン・ハールには全くグレーゾーンというものがない。違う言い方をすると空気を読めない。おそらく読む気もない。

「若返りのために誰をとるべきかをクラブに伝えたが、ひとりも来なかった。買うべきはナンバーワンの選手であってナンバー7ではない」

 当時のユナイテッドの選手たちは歳をとりすぎていて、「チャンピオンになるだけのクオリティがなかった」と、ファン・ハールは退任後に話している。2億6700万ポンド(約494億円)をかけた補強も失敗だったと言っているわけだ。

 アンヘル・ディ・マリア、マルコス・ロホ(以上アルゼンチン)、ルーク・ショー(イングランド)、ラダメル・ファルカオ(コロンビア)、メンフィス・デパイ、ダレイ・ブリント(以上オランダ)、アントニー・マルシャル(フランス)、バスティアン・シュバインシュタイガー(ドイツ)、アンデル・エレーラ(スペイン)……。

 これだけ獲っておいて「ひとりも来なかった」はないだろうと思うが、獲りたかった選手は来なかったのだろう。

 とても正直なので嘘は言っていないと思うが、これでは同情よりも反感を買うだけだ。ファン・ハールにとってはどっちでもいいのかもしれないが。

 コーチだったライアン・ギグスは選手の放出について「激しく議論もしたが、彼には確固たるポリシーがあって、進言はほとんど受け入れられなかった」と言っている。

 指導力は高い。空気は読めない。自分の考えを曲げない。ユナイテッド関連のコメントを拾っただけでも、ファン・ハールという監督がどういう人なのか、なぜ賛否両論がつきまとうのか、かなりはっきりとわかるのではないか。

<ヨハン・クライフとの確執>

 同じオランダ人なのに、ファン・ハールはヨハン・クライフと犬猿の仲だった。

 バルセロナを率いていた時、何かとクライフから批判されていたことが発端らしい。ファン・ハールは選手時代にアヤックスのリザーブチームにいた頃、トップチームのエースがクライフだった。監督としてもアヤックスからバルセロナという進路が同じ。志向する戦術もほぼ同じ。それなのに、このふたりは決して相容れることがなかった。

 自信満々で理想に向かって突っ走るところも、ファン・ハールとクライフはじつによく似ている。ただ、何かが決定的に違っていた。

「最悪なのは、人のアイデアを間違って理解することだ」

 これは1960年代の名将エレニオ・エレーラの言葉だが、クライフがファン・ハールを嫌っていた理由はおそらくこれではないかと思う。ファン・ハールとクライフの理想はじつは同じだ。ところが、そこに見ているものがまるで違っていたのだろう。

 ファン・ハールが理想のオランダ的なスタイルを追求すればするほど、クライフから見れば「そうじゃない。全然違う」ということだらけだったのではないか。

 ファン・ハールは指導力に定評があった。どういうサッカーをすべきか、そのために個々がどうプレーすべきか、事細かく丁寧に指導していく。理想に向かって邁進するので妥協はない。

 ファン・ハールが最初で最大の成功を収めたアヤックスは、彼の理想を体現する選手たちで固められていた。とくに無敗でリーグを制し、チャンピオンズリーグも優勝した1994-95シーズンのアヤックスは、まるでウイニング・マシーン。有無を言わさず攻めまくり、勝ちまくった。

 バルセロナでもオランダ人選手を大量補強し、”アヤックス・カタルーニャ”と揶揄され、批判もされたが、リーガ・エスパニョーラを連覇している。ただ、バルサではエースのリバウド(ブラジル)との確執があり、3シーズン目に失速して解任された。その後、再度バルサを率いているが、フアン・ロマン・リケルメ(アルゼンチン)と合わず12位と不振を極めて、1シーズンもたずに退任している。

 自分のお気に入りの選手を並べ、自らの理想どおりにプレーさせた時のファン・ハールのチームは、恐ろしく強い。半面、自分に従わない選手がいる時は失速する。相容れない選手は容赦なく放出するのだが、看板スターの場合はそうもいかない。不思議なのは、00-02年にオランダ代表を率いた時に、予選敗退で本大会出場を逃していることだ。

 ファン・ハール方式を理解しているはずの、オランダ人で編成された代表チームで、なぜ失敗してしまったのか。簡単に言うと、この時のオランダは出来上がりすぎていた。ある意味、ファン・ハール特有の失敗で、それはおそらく、たとえばクライフ監督のチームなら起こらない現象だったのではないかと思う。

<出来上がりすぎて失敗する>

「誰でもボールに触りたいものだ。子どももプロもそれは同じ。ボールをプレーすることに喜びがある。だから選手は15メートルの幅でプレーすればいい。全員がプレーに参加するにはそれが適しているからだ」(クライフ)

 ポゼッションとポジション、この2つはオランダサッカーのベースだ。では、なぜそうなのか。よいプレーをするため、試合に勝つためなのだが、クライフはプレーする喜びのためだとも言っている。

 オランダ人が信じている”本当のサッカー”への情熱において、ファン・ハールはクライフに負けていない。ただ、ファン・ハールはやりすぎてしまうのだ。その結果、いつしかプレーする喜びはどこかへ置き去りにされ、選手は理想を実現するための部品のようになり、チームも機械になっていく。

 最初のオランダ代表での失敗は、出来上がりすぎているがゆえに、プレーが単調に陥ったことが大きい。ファン・ハール流が浸透するとパスは回る。ボールは支配できる。規則的にボールはサイドへ行き着き、そこからクロスボールが大量生産されるのだが、それがあまりに繰り返されると対戦相手が守り慣れてくるのだ。

 ところが、出来上がりすぎているがゆえに、同じ攻撃を繰り返してしまう。

 二度目のオランダ代表を率いた時は、ブラジルW杯で3位。オランダ方式から逸脱したカウンターのスタイルで勝ち上がった。

 ファン・ハールには、クライフにない戦術の引き出しがあった。AZをオランダ王者にできたのもそれゆえだ。ただ、ファン・ハールにとっては理想的なチームではなかったはずだ。

ルイス・ファン・ハール
Louis Van Gaal/1951年8月8日生まれ。オランダ・アムステルダム出身。選手時代はMFでプレー。監督しては91年から率いたアヤックスでリーグ3連覇、チャンピオンズリーグ優勝など、チームの黄金期をつくる。その後、バルセロナやAZ、バイエルン、マンチェスター・ユナイテッドなどの監督を務めた。オランダ代表も2度率い、14年ブラジルW杯で3位の成績を収めている