MotoGP最速ライダーの軌跡ケーシー・ストーナー 下世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っ…

MotoGP最速ライダーの軌跡
ケーシー・ストーナー 下

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。 3人目は、ケーシー・ストーナー。類まれな才能で圧巻のレースを繰り広げたその歩みをたどる。

 2011年にドゥカティファクトリーからレプソル・ホンダ・チームへ移籍したケーシー・ストーナーは、開幕戦のカタールGPで優勝を飾った。2位に3秒440の差をつける圧勝だった。



東日本大震災後の日本へエールを送るケーシー・ストーナー

 カタールGPは、ナイトレースでの開催が毎年恒例になっている。上空を飛ぶヘリコプターがとらえる空撮映像は、砂漠に囲まれたロサイル・インターナショナル・サーキットの周囲に広がる漆黒の夜闇と、コースを昼間のように照らすまばゆい灯りのコントラストが、幻想的な雰囲気を際立たせる。

 決勝レース後、カクテルライトに照らし出される中、表彰式に登場したストーナーは、「ガンバレ日本」と大書された日の丸の旗を表彰台の上で大きく掲げた。

 このレースが行なわれたのは3月20日、東日本大震災の発生からわずか9日後のことだ。未曾有の大災害に襲われた日本では、「この先いったいどうなってしまうのか……」と、人々が不安と心細さで落ち着かない日々を過ごしていた時期だった。

 日本語を解さない世界中のファンやレース関係者は、ストーナーが頭上に掲げた旗の文字を判読できなかったかもしれない。しかし、その意味は即座に伝わったはずだ。人々は壇上に立つストーナー、そして彼が掲げる旗に大きな拍手を送った。

 実は、この日の丸の旗は、震災前からカタールで開幕へ向けたテスト走行を行なっていたHRC(ホンダ・レーシング・コーポレーション)のスタッフが、現地の日本大使館から借り出してきたものだった。つまり、旗に記された言葉は、彼らから故国へ向けたメッセージでもあった。

 カタールGPを終え、次戦からは舞台を欧州大陸に移す。第2戦スペインGPは、イベリア半島南部のヘレス・サーキットで開催された。土曜の予選でストーナーはポールポジションを獲得。翌日の決勝レースも優勝候補の筆頭と目されていた。

 その決勝レースで事件は起こった。

 ストーナーが順調にトップを走行していた8周目に、後方から追い上げてきたバレンティーノ・ロッシが、1コーナーでイン側を突いて前に出ようとしたものの、フロントを切れ込ませた。そして、ストーナーを巻き添えにする格好で転倒。ロッシはマシンを引き起こして即座にレースへ復帰したが、ストーナーはその場でリタイアとなってしまった。

 5位でチェッカーフラッグを受けたロッシは、レースを終えて即座にレプソル・ホンダのピットへ謝罪に訪れた。ロッシはヘルメット被ったままの姿だったが、ストーナーはすでにレザースーツを脱いでチームウェアに着替えていた。

 ヘルメットを被ったまま謝るロッシに対して、ストーナーは意外にも笑顔で握手を受け入れた。「肩、大丈夫だった? 前から痛めていたところだろ」と、そう言って、左手でロッシの右肩を何度か軽く叩いた。そして笑顔のまま続けた。

「どうみても自分にできやしないことを、やろうとするからだよ」

 ロッシにしてみれば、狙ったオーバーテイクが自らの力量を超えていたなどと評されるのは、歯噛みしたいほどの屈辱だ。ストーナーが笑顔でさらりと吐いたこの言葉は、強烈な嫌味以外のなにものでもない。だが、転倒の過失が自分にあるだけに、ロッシは言い返すわけにもいかなかった。それにしても、9回の世界チャンピオンを獲得した人物にこのような台詞をさらりと言ってのけることができる人物は、ストーナーの他にいないだろう。

 余談になるが、11年シーズンに10勝を挙げて年間王座に就いたストーナーが表彰台を逃したのは、このレースのみである。

 ものおじせず忌憚(きたん)のないこのような物言いには、彼の性格のある一面がよくあらわれている。だが、一方では、謙虚で正直な態度もまたストーナーという人物を特徴づける要素だ。後者の性格がよくわかる事例をひとつ、紹介しておきたい。

 11年は、シーズンが進むにつれ、「日本に行きたくない」というライダーたちの声が大きくなっていった。ツインリンクもてぎへ行くと、「原子力発電所事故の影響で自分たちも被曝してしまうのではないか」という懸念がその理由だった。

 今から考えれば、過剰反応というほかない。だが、日本より情報量の乏しい当時の欧州では、煽情(せんじょう)的で怪しげな風説も少なからず流布していた。

「ガンバレ」と応援し、〈With you Japan〉とマシンにステッカーを貼って走行しながらも、もう一方では科学的根拠の乏しい情報に左右され、「日本へ行くのが恐い」と言う。



「がんばれ日本!」と記されたステッカーをマシンに貼ってレースを走るストーナー

 そんな彼らに対し、「たゆまぬ応援と支援には日頃からとても感謝をしています。しかし、あなた方の言動は矛盾しているのではないですか」。そう問いかけてみたことがある。

 社交辞令的な返答に終始したり、あるいは話を逸らしてみたり、もしくは「僕も同じ意見」と面倒な意思表示を避ける選手もいた中で、ストーナーは視線を逸らさずに真っ正面からこちらを見て自らの思うところを述べた。

「日本を支援したい気持ちは、これまで同様に何も変わることがない。しかし、自分たちが今、日本へ行けばかえって迷惑になるという場合だってあるかもしれない。それに、たとえ僕たちが行かないとしても、日本の復興を応援する気持ちに変わりはない」

 その後、多少の紆余曲折はありながらも、秋の日本GPは無事に開催された。そのレース後にもあらためて、「当初に感じていた不安と比べて、実際にもてぎでレースを終えた今、日本に対するリスク評価は変わりましたか」という問いを投げかけてみた。

 この時も、ストーナーは態度をはぐらかすことなく、以前に抱いていた印象とレース後の考えの変化について、真摯な口調で述べた。

「僕が思うには、何カ月も前から選手たちは(日本に行くことに)プレッシャーや不安を感じていたんだ。時間の経過とともに状況が明らかになってきたので、渡航を決断するのはそう大変なことではなくなった。実際に(日本に来て)この目で見てみると、問題はなさそうだとわかった。まだ断定的なことは言えないのかもしれないけど、来年になれば状況はもっとハッキリしていると思う」

 この日本GP忌避(きひ)を巡る一連の質問では、ストーナーは常に誠実な対応に終始してくれた印象が強い。彼には今も強い敬意を抱くゆえんである。

 そして日本GPの翌戦、2週間後の母国オーストラリアGPで、ストーナーは自身2回目となる最高峰クラスチャンピオンを獲得した。ドゥカティでタイトルを獲得した07年以来、彼はこのホームGPで毎年優勝を飾っている。地元スターの優勝、かつ王座獲得という離れ業に、満場のファンが歓喜に沸いたことは言うまでもない。

 翌12年シーズンも連覇を期待されたが、シーズン序盤のフランスGPで突然の引退を発表したのは、この連載の前々回冒頭で記したとおりだ。

 開幕戦は3位、第2戦スペインGPと第3戦ポルトガルGPで連勝。この時すでに、13年のオファーをホンダから受けていたという。提示された契約金額も破格だった。しかし、ストーナーは心中で引退を決意しており、ここで引退を翻すようなことをすれば、金のために己の気持ちに嘘をつくことになってしまう。それをよしとしない潔さもまた、いかにもストーナーらしい。

 12年シーズン中には腕上がり(酷使などによる腕の筋肉疲労)や脚の負傷などもあって、前年度のような破竹の連勝劇には至らず、王座の連覇達成はならなかった。それでも、最終戦を次に控えたオーストラリアGPでは07年以来の地元連勝記録をさらに延長。現役最後のホームレースを9秒差の圧勝で飾った。

 最終戦バレンシアGPでも3位を獲得し、この年は5勝を含む10表彰台でランキング3位とした。現役最後のレースを表彰台で飾ったストーナーに涙はなく、その顔はうちから湧き出る自然な笑みに満ちていた。

 12年シーズン最後のレースを終えた月曜日のバレンシア・サーキットでは、11年間のグランプリ生活を圧倒的な記録とともに駆け抜けたストーナーが、日々の生活を過ごしたモーターホームの後片付けを行なっていた。ストーナーは、友人や知人へのあいさつをひととおり終えた昼すぎ、いつものようにさりげなくサーキットを後にした。

 そしてその時刻、前日までストーナーのいたレプソル・ホンダ・チームのピットガレージでは、翌年から最高峰クラスへ昇格する19歳のマルク・マルケスが、翌日のテスト走行に備えてチームとミーティングを行なっていた。

(ホルヘ・ロレンソの回へつづく)

【profile】 ケーシー・ストーナー Casey Stoner
1985年10月16日、オーストラリア・クイーンズランド生まれ。イギリスやスペインのロードレース選手権参戦を経て、2002年からは世界選手権入り。06年にMotoGPクラスにLCR所属でデビュー。07年にはドゥカティのファクトリーチームに移籍し、初の年間王者を獲得する。レプソル・ホンダチームに移った11年にもシリーズチャンピオンに輝いた。12年に二輪界から引退した。