フィギュアスケートファンなら誰もがあるお気に入りのプログラム。ときにはそれが人生を変えることも--そんな素敵なプログラムを、「この人」が教えてくれた。私が愛したプログラム(6)小塚崇彦『雨に唄えば』カート・ブラウニング 僕が一番影響を受け…

 フィギュアスケートファンなら誰もがあるお気に入りのプログラム。ときにはそれが人生を変えることも--そんな素敵なプログラムを、「この人」が教えてくれた。

私が愛したプログラム(6)
小塚崇彦
『雨に唄えば』カート・ブラウニング

 僕が一番影響を受けたプログラムはカート・ブラウニングさんの『雨に唄えば(Singing in the rain)』(振付/サンドラ・ベジック)です。

 1994年に制作された『You Must Remember This』というテレビ番組のビデオ映像に入っているプログラムで、テレビ局がセットを作って、実際にリンクの中に雨を降らせて、ミュージカル映画『雨に唄えば』の世界を作って、カート・ブラウニングさん自身が好きだったという主人公役のジーン・ケリーになりきって滑っている映像です。



「メダル・ウィナーズ・オープン2012」で『雨に唄えば』を披露するカート・ブラウニング

 両親(父・嗣彦氏は元フィギュアスケート選手で、1968年グルノーブル五輪出場)がスケートをやっていた関係で、フィギュアスケートのビデオテープがよく家に届きました。このビデオは確か、佐藤信夫先生のところから来たものだったと思います。この映像は母親も好きでした。当時はVHSのビデオでしたが、テープがすり切れるほど見ました。僕は小さい時からカート・ブラウニングファン、「カートオタク」で、そのビデオばかりずっと見ていました。

 このビデオを僕が見たのは小学1年の時でした。祖父(祖父・光彦氏は元フィギュアスケート選手で、指導者として「フィギュア王国」愛知の基礎を築いた)が開いていた小塚杯という大会があり、僕は小学2年の時に、カートさんの真似をして、『雨に唄えば』のプログラムを滑りました。

 ちょうどこの時期は、フィギュアスケートにコンパルソリーがなくなり、ショートプログラム(SP)とフリーの2つで競うことになって、フリーでは表現力を上げていかなければいけないという趣旨で、ジャンプ抜きの大会が小塚杯でした。

 僕はジーン・ケリーのことは知らなかったんですけど、演技をしているカートさんの身のこなしが、見ていて気持ちよかったです。ステップもスピンもジャンプも、何をやっても絵になっていました。どの場面を切り取っても絵になるような演技だと思います。そこがすごく格好いいなと見ていました。中でも好きな場面を言うなら、傘を開きながらストップするところと、トーステップで歩道と車道を行き来しながら前に進んでいくところです。

 このプログラムから僕が感じたのは、氷の上でも陸の上みたいに何でもできるんだなということ。氷の上で、できないことはないということです。映画で踊っているジーン・ケリーの動きを、そのまま氷上でカートさんが演技しているわけじゃないですか。遜色ないということは、「氷の上では何でもできるんだな」と。

 だから選手時代は、カートさんのように脚(スケーティングやステップ)で見せていく選手に自分もなっていきたいというのがひとつの目標として目指したことでした。

 そんなカートさんとは、2012年の「スターズ・オン・アイス」で共演させてもらい、すごくうれしかったです。映画『オーシャンズ13』のサウンドトラックにある『スネーク・アイズ』で、このアイスショー用のプログラムを作ってもらい、一緒に踊りました。

 カートさんが作るプログラムは、滑っていてしっくりくるんです。僕はトーステップやコンパルソリーで絵を描くなど、氷と遊ぶような育ち方をしてきたので、それをもっと高度にした感じのプログラムで遊ぶ感覚でした。

 憧れのカートさんは4回転ジャンプを最初に降りた人です。何でもできるオールラウンダーなところがすごいですし、魔法を掛けたようなスケートができるスケーターです。

 いつでも気さくな方ですが、ちょっと落ち着きがなくて(笑)、思いついたことをすぐに氷の上でやってしまうようなところがある。ふっと思いつくことを、氷の上でちょろちょろと試すのですが、繊細で天才的なところがあります。静かに流れるような曲でも、ジャズとか激しいアップテンポな曲でも、どんな曲調でも踊れる感性はすごいなと思います。

 それはカートさんにしかできないスケートで、彼は唯一無二の存在です。だから、僕は最終的に「自分は自分」というものがあったので、あの人には近づけるけど、同じレベルになったり、追い越したりすることはできないと思っています。

『雨に唄えば』を振り付けたサンドラ・ベジックさんは、ブライアン・ボイタノや陳露(ルー・チェン)、タラ・リピンスキーにもプログラムを作った振付師です。

 僕の2008-2009シーズンのSP『テイク・ファイブ』は、佐藤有香さんとサンドラさんが一緒に作ったプログラムです。ただし当時、僕が2008年のスケートアメリカに出る時に、サンドラさんはNBCのキャスターを務めていて、名前が出せないということで、サンドラさんの名前は出さなかったです。

 そのシーズンのエキシビション用として、彼女に最初に振り付けしてもらったのが『セーブ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー(ラストダンスは私に)』でした。僕はこのシーズンに転機を迎えており、僕のよさだったり、僕の持っている技術だったりを、うまくプログラムに取り入れて前面に押し出してくれている感じでした。サンドラさんの振り付けは、選手個々のパーソナリティーをうまく引き出している感じですね。

 そのシーズンのフリー『ロミオとジュリエット』も、彼女に「いましかできないから、いまやりなさい」という感じで勧められたものです。

 僕にとっては「自分の自然体をうまく生かしてくれる」振り付けの先生じゃないかなと思います。選手に寄り添って、「この選手はこういう特徴でこういう性格だから、こういう感じでいこう」というイメージを作る。だからカートさんの『雨に唄えば』や、オリンピック金メダリストたちに作ったプログラムが見事にはまっているのだと思います。

 僕の十八番プログラムといえば、やはり『テイク・ファイブ』かな。一番転機になったプログラムだと思います。音の取り方などが独特で、僕の体の動きに合っていたし、僕のバイオリズムに合っていたプログラムでした。

 髙橋大輔選手の演技が、表現としてひとつの舞台を見せるというタイプなら、僕の場合は、ひとつの楽器となってオーケストラやバンドの一部になるような感覚の演技方法。ジャズのショーを見てもらっているような感じになってもらえばいいなというのがあります。

 いまになってそういう言葉がちゃんと出てきますけど、あの当時は「音を表現する」が僕のテーマだったと思います。この時のコスチュームで思い出に残っていることは、近くのショッピングセンターで買った有香さんのスカートの一部を、金色と黒と白の生地ですが、襟と背中の部分につけたことです(笑)。

 僕にとってプログラムとは、自分を成長させてもらえるものだと思います。いい意味でも悪い意味でも自分に合ったものを作るのですが、それだけで終わりじゃないんですよ。

 振付師の先生が、どう成長させようかという思いで作ってくれるプログラムなので、それを滑りこなせば、自分を成長させ、周りからの評価も高めてくれる。技術的にも評価的にも自分を成長させてくれるものだと思います。

小塚崇彦
1989年2月27日生まれ。ジュニアGPファイナル、世界ジュニア選手権に優勝してシニアデビュー。主な成績は2008年GPファイナル2位、2010年バンクーバー五輪8位、2011年世界選手権2位など。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍するかたわら、さまざまスポーツの普及活動を行なっている。