元世界ランキング4位のロビン・ソダーリング(スウェーデン)が、テニスをやめる決断につながったパニック発作との格闘について語った。伊ニュースサイトUBI Tennisが伝えている。【実際の映像】…

元世界ランキング4位のロビン・ソダーリング(スウェーデン)が、テニスをやめる決断につながったパニック発作との格闘について語った。伊ニュースサイトUBI Tennisが伝えている。【実際の映像】滅多に見れない、ナダルに全仏OPで勝利するソダーリング

35歳のソダーリングは、世界ランキングでキャリア最高4位を記録し、「全仏オープン」で初めてラファエル・ナダル(スペイン)を破った選手として知られている。彼がナダル相手に驚くべき勝利を挙げたのは2009年のことだった。

しかしながら、彼はテニス界で有名になると同時に、自分自身の心の内にあった闇にも対応しなければならなかった。スウェーデンのラジオ番組に出演したソダーリングは、伝染性単核症と診断されて31歳で現役引退を強いられるより前から、心の健康と格闘していたことを明かした。

「常に不安を感じていて、心の内側でそれに悩まされていた。部屋の中に座ってぼんやりして、ほんのわずかな音でパニックになるんだ。玄関マットの上に手紙が投げ込まれた時は、パニックになって床に倒れ込んでしまった。電話が鳴る度、恐怖に震えていた」とソダーリングは語った。

ソダーリングによると、不安との闘いは2009年にナダルに勝利してからほどなくして始まった。この勝利によって彼は急激に注目を浴びるようになったのだ。周囲からの期待が膨らんだことで、彼はその高い期待に応えなければいけないと感じるようになった。

ソダーリングは、「負けてもいい相手は3人しかいなかった」と、ビッグ3を指して言った。「それ以外の選手にはすべて勝たなければならなかった。もし負ければ気分が落ち込み、それは失敗で、自分は負け犬だと感じた」

現役時代にはグランドスラムの決勝に2度進出し、ATPの大会で10度優勝したが、そのうち7回は「全仏オープン」でナダルを倒した後に果たしたものだ。パリで彼にとって唯一のマスターズ1000大会のタイトルを獲得し、キャリア最高位を記録したのは2010年のことだった。

ソダーリングがプロとして最後に出場したのは、2011年に自国スウェーデンで開催された「ATP250 バスタッド」。決勝でダビド・フェレール(スペイン)に6-2、6-2で勝利を収め、最高潮で現役生活を終えた。この時点ではまだ伝染性単核症とは診断されておらず、テニスを引退するという決断には至っていなかった。

決勝の後、すぐにモンテカルロの自宅に戻ると、再び格闘が始まった。「パニックになって、泣き出した。ひたすら泣いていたよ。ホテルに戻ってベッドに身を投げ出したけど、コートに足を踏み入れることを考えるたびにパニックになった。この時初めて、自分がどんなに望もうとそれはできないと感じた。こめかみに銃を突き付けられたとしてもできないと」

インタビューの中で、最も不調の時には「自殺のやり方」を検索するところまでいったが、実行に移す気はなかったと率直に明かした。その当時は「何であってもこの地獄のような人生よりはまし」と感じていたという。

ソダーリングは心の健康のための自身の格闘について公にしたが、これはスポーツ界では「めったに」話題になることがないトピックだと彼は考えている。個人的な問題について自ら打ち明けた選手はほとんどいない。

「スポーツ界の偉大な選手たちが抱える精神的な問題に話が及ぶことはめったにない。だからこそ、僕が一歩前に踏み出してそれについて話そうと思ったんだ。スポーツとそれを取り巻く環境にいる人たちには、一生懸命に訓練して、でもうんと気楽でいるようにと言うよ」

「自分の経験から、プレッシャーを理由にスポーツをするのではなく、やっていて心地が良いという理由でスポーツをして欲しい。成功をおさめている時こそ、大きな視野を持つように努めて、あまり影響されないように意識して欲しい。それができれば、何も問題は起きないだろうから」

ソダーリングは現在、「デビスカップ」スウェーデンチームのキャプテンを務めている。

(テニスデイリー編集部)

※写真は2011年「全仏オープン」でのソダーリング

(Photo by Alex Livesey/Getty Images)