サッカー名将列伝第4回 ジョバンニ・トラパットーニ革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介。今回はイタリア伝統の堅守速攻を整えて、国内、欧州を席巻し、アリゴ・サッキのミランに…

サッカー名将列伝
第4回 ジョバンニ・トラパットーニ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介。今回はイタリア伝統の堅守速攻を整えて、国内、欧州を席巻し、アリゴ・サッキのミランにも対抗。その後もヨーロッパ各国のクラブでタイトルを獲得した、ジョバンニ・トラパットーニ監督を紹介する。

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<不老の大ベテラン>

 最初に実物を見たのは、ユベントスを率いて来日した1992年と記憶している。日本代表との試合を終えたあと、都内のホテルでパーティーがあった。プレシーズンということもあったかもしれないが、立食パーティーの大広間にはタバコの煙が蔓延していた。火災報知器が鳴るんじゃないかというぐらい。チームでタバコを吸わないのは、ロベルト・バッジョとジョバンニ・トラパットーニ監督だけだった。



02年の日韓ワールドカップの時のトラパットーニ監督

 その後、02年日韓ワールドカップの前にもイタリア代表監督として来日している。千葉県の稲毛海浜公園でトレーニングしていた。その時何と、トラパットーニ監督は選手に混じってミニゲームに参加していた。もう60歳を超えているというのに、パオロ・マルディーニやフランチェスコ・トッティに混じってボールを蹴っている姿に驚かされたものだ。

 選手時代からスタミナには定評があった。63年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝、ミランのトラパットーニはベンフィカのエウゼビオをマークして勝利に貢献している。69年、二度目のヨーロッパチャンピオンになった時には、アヤックスのヨハン・クライフをマークした。選手時代の鍛え方なのかもしれないが、引退してからも相当に節制していないと還暦を超えて現役選手に混ざってプレーできるわけがない。

 監督としてのキャリアは最初から華々しかった。ミランで短期的にケアテイカー(暫定監督)を務めたあと、76年から10年間にわたってユベントスを率いた。その間、セリエA優勝6回、コッパ・イタリア優勝2回。そして、チャンピオンズカップ、カップウィナーズカップ、UEFAカップの、欧州主要3大会を制覇した。インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)も獲った。

 ユベントスのあともインテルを率いてセリエA優勝、ドイツ、ポルトガル、オーストリアでもリーグ優勝。異なる4カ国でリーグ優勝した監督は、エルンスト・ハッペル(オーストリア)、トミスラフ・イビッチ(クロアチア)、カルロ・アンチェロッティ(イタリア)、ジョゼ・モウリーニョ(ポルトガル)とトラパットーニの5人だけ。UEFAの3大カップを制覇したのは、トラパットーニのほかにウド・ラテック(ドイツ)がいるだけだ。

 40年にわたる長いキャリアのどこに焦点を当てるべきか難しいが、やはりもっとも多くのタイトルを獲ったユベントス時代になるだろう。

<ジョコ・アリタリアーナ>

 トラパットーニ監督はイタリアの伝統を踏まえたスタイルから、ジョコ・アリタリアーナ(イタリア式のゲーム)と呼ばれていた。

 自身が選手としてプレーしたミランの、ネレオ・ロッコ監督からの影響が強いようだ。ロッコはカテナチオを代表する監督のひとりだった。相手のアタッカーを漏れなくマンマークし、リベロがその背後をカバーする厳重な守備。攻撃は縦に速く、カウンターアタックを狙う。ミランでは司令塔としてジャンニ・リベラがいて、リベラのパスで3トップを走らせてゴールへ迫っていた。攻守のバランスは守備が5~6人、攻撃が4~5人という分業制である。

 トラパットーニはさまざまなシステムを駆使し、戦術も時代に合わせて変化しているが、守備重視、マンマーク、縦に速いカウンターというところはロッコ監督を踏襲している。

 1984-85シーズン、チャンピオンズカップに優勝したユベントスは、トラパットーニ監督らしいチームだった。

 リベロにガエタノ・シレア。冷静なカバーリングだけでなく、ビルドアップ能力も優れたイタリアを代表するリベロである。ふたりのセンターバック(CB)はマンマーク要員で、ルチアーノ・ファベロとセルジオ・ブリオ。そして左サイドバック(SB)にアントニオ・カブリーニ。DFは4人だが、並び方が変則的なのが特徴である。右SBがいないのだ。

 ファベロとブリオの2ストッパー(CB)は、相手の2トップを厳重にマークする。左はカブリーニが普通にSBとして固定されているが、右サイドは主にMFのマッシモ・ボニーニがカバーする。攻撃の時はファベロが右SBの位置に出るが、守備ではマンマークして中央に絞るのに連動してボニーニが引いてくる。

 この右側だけが時計回りに引いてくるシステムはややこしい感じもするが、イタリアではこれが一般的で、代表チームも長年このやり方だった。

 MFはボニーニが右サイド兼任のゾーン。マルコ・タルデリが攻撃をサポートしつつ、相手のプレーメーカーをマークする。つまり、守備要員はリベロ、2ストッパ-、左SB、ふたりのMFの計6人だ。このうち左SBカブリーニとMFふたりは適宜に攻撃に参加するが、基本的に6人は守備の人である。

 攻撃は司令塔にミシェル・プラティニ。バロンドールを3年連続で受賞したスーパースターだ。かつてのミランにおけるリベラの役回りである。カウンターのロングパスと中盤の構成を司り、プラティニの場合は得点力もあった。守備のタスクはあまり重くなくて、守備陣前面の中央のスクリーン役という程度。

 FWは2トップ+ワーキング・ウインガー。85年のチャンピオンズカップファイナルではパオロ・ロッシとズビグニェフ・ボニエクの2トップに、マッシモ・ブリアスキが右ウイングとMFを兼任する役割だった。

 この組み方もイタリア式。中盤とサイドを動き回るワーキング・ウインガーとしてはフランコ・カウジオ、ブルーノ・コンティ、ロベルト・ドナドーニが歴代イタリア代表で活躍してきた。システムは違うが、06年ワールドカップで優勝した時のマウロ・カモラネージもタイプとしてはこれだった。

 伝統のイタリア式は左右非対称な並びのうえ、攻撃陣もポジションというより選手の個性に応じて役割が割り振られていて、かなり特殊なシステムなのだが、イタリアではこれが普通だったわけだ。

 アリゴ・サッキ監督のミランがゾーナル・プレッシング(日本ではゾーンプレスと呼ばれた)でセリエAに新風を起こし、ディエゴ・マラドーナがナポリでプレーしている時期、トラパットーニはインテルを率いて1988-89シーズンのスクデットを獲っている。新しくもないし、スーパースターもいない、古風とさえいえるイタリア式に則った手堅いスタイルだった。

 トラパットーニはコテコテのイタリアンだ。喋り方もイタリア語のせいか巻き舌の江戸っ子みたいで、感情表現も豊か。ユーモアに溢れ、とてもチャーミングである。

 戦術は保守的であまりにもイタリアンなのに、外国でも成功しているのはパーソナリティも含めた総合的な監督力なのだろう。

ジョバンニ・トラパットーニ
Giovanni Trapattoni/1939年3月17日生まれ。イタリア・ミラノ出身。現役時代はミランのDFとして活躍。イタリア代表で62年チリW杯に出場。監督としてはユベントスで数多くのタイトルを獲得したのち、インテル、バイエルン、ベンフィカ、ザルツブルクを国内リーグ優勝に導いた。イタリア代表(00-04年)やアイルランド代表(08年-13年)監督も務めた