※オンラインサロンの情報はこの記事の最後に ヒップホップ文化の要素の一つであるブレイキン(ブレイクダンス)を通して、長年に渡ってシーンの最前線で活躍しているKATSU ONEこと、石川勝之氏。プレイヤーとして数々の大会で優勝した実績を持つ…

※オンラインサロンの情報はこの記事の最後に

ヒップホップ文化の要素の一つであるブレイキン(ブレイクダンス)を通して、長年に渡ってシーンの最前線で活躍しているKATSU ONEこと、石川勝之氏。プレイヤーとして数々の大会で優勝した実績を持つだけでなく、株式会社IAMの代表取締役、公益社団法人日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス部の部長として活動し、2018年ユースオリンピックの日本代表監督も務めた日本ブレイキン界の最重要人物に、ブレイキンの魅力と現状、自身の熱い想いと未来構想を聞いた。

——まず初めにブレイキンについて教えてください。ようやく日本にもヒップホップが文化として根付いて来た感がありますが、「ブレイキン(=ブレイクダンス)」の名前は知っていても詳しくは知らない人も多いと思います。ブレイキンとはどういったものなのでしょうか?

石川勝之氏(以下敬称略)ブレイキンはニューヨークのストリートから生まれたヒップホップカルチャーの中のひとつで、日本に入ってきたのが1983年と言われています。ヒップホップは「DJ」、「MC」、「グラフィティ」、「ブレイキン」の4つの要素に分けられて、ダンスを踊るブレイキンの一番の特徴は、やっぱり“バトル”ですね。ダンスというとショーケース的なイメージがあるんですけど、ブレイキンは違う。踊りながら“戦う”っていうところが一番の面白さだし、見所だと思います。

——ブレイキンの要素としては、立って踊る「トップロック」、屈んだ状態で地面に手をつきながら素早くステップを踏む「フットワーク」、肩や背中、頭など体の様々な部分で回転する「パワームーブ」、これらの一連の流れから音楽に合わせて体の動きを止める「フリーズ」があるということですが?

石川 はい。基本的にはその4つが柱としてありますが、その形にこだわり過ぎる必要はない。体が柔らかい人は自分の特徴を活かした踊りをすればいいし、足さばきだけで魅せる人もいたりする。それぞれの踊りにオリジナルの要素があって、一人一人のスタイルは全然違ったりする。そういうところが面白い。それにやっぱり、単純に“カッコいい”という部分が大事だと思います。僕自身、最初にブレイキンに出会った時、単純に子供心として「かっけー!」っていう思いがあったし、スポーツでもアートでも、そういう入りの部分は大事なんじゃないかなと思います。

——石川さん自身はいつブレイキンに出会ったのですか?

石川 僕が最初に踊ったのは13歳くらいですね。でもその時は、それがブレイキンだっていうことも知らず、ただテレビで観たものを真似して、友達と一緒に体育館で踊ってみた感じ。それが実は、後から思えばブレイキンでしたっていう話です。高校時代は部活で忙しかったですし、本格的にのめり込んでいったのは大学に入ってからですね。

——高校卒業後は日体大に入学して体育教師を目指していたそうですが?

石川 はい。父親が学校の先生をやっていた影響もあって、大学では体育の教員免許を取ったんです。でも、教育実習に行った時に「まだ自分には何の経験もない」、「人に教えられるようなものを持ってない」って思った。もちろんダンスをやりたいという気持ちがあったんですけど、大学を出てそのまま先生になるということに対しての違和感がめちゃくちゃあった。だからまず、「自分の経験値を上げよう」って思ったんです。

——そこからブレイキンの道を突き進み、数々の大会で優勝します。2009年には韓国で開催された世界大会「R16」で見事、世界一になりました。そして2010年、永住権取得を目指してオーストラリアに渡りましたが、その時の思いは?

石川 それまで先進国から発展途上国、モナコ公国から東南アジアの貧しい国まで、いろんな国のいろんな場所で踊って、「ダンスだけで生きていく」っていう夢は叶ったんですが、同時に「こんなもんか」という気持ちも心の中に生まれた。世界の情勢というものを目の当たりにして、「結局、世界を牛耳っているのは白人社会だ」っていうことを改めて思い知った(白人差別の意味では思ってないです)。それは黒人発祥のヒップホップのルーツにも繋がるんですが、そういう中で「日本人として西洋文化の中で何ができるのか、どこまでできるのか」ということを考えるようになった。その時に漠然と会社を作りたいと思ったんですけど、その前にダンサーのKATSU ONEではなく、一人の日本人の石川勝之として、どこまで通用するんだろうと試したくなった。そのためには西洋文化の中で生活をしてみないといけないと。一度、ダンサーという肩書きを全部捨てて、もう二度と帰ってこないつもりで日本を離れましたね。

——それでも実際はダンスとの縁は途切れず、2013年には永住権も取得した。海外生活の中で改めて気付いたこと、得たものはありましたか?

石川 そうですね。結構ありましたね。一番は、「誰が何人?」とか、国籍について何も思わなくなったことですね。オーストラリアには移民の方も多くて、アフリカだったり、ボスニア・ヘルツェゴビナだったり、相当苦労して今の生活を手に入れた人たちがいて、彼らと出会って、彼らの過去の話を聞いたりすると、改めて「ビビらないで、やれることは全部やった方がいい!」という気持ちにもなりましたね。

——ブレイキンの発展でいうと、2018年のユース五輪で正式種目になり、石川さんはそこで日本代表の監督も務めました。そこでの経験は?

石川 まずブレイキンがスポーツになるというところに、最初は驚きがありました。いろいろと心配はあった。でも、五輪が目指している「世界平和」っていうテーマは、僕たちが今まで触れてきたカルチャーとも重なるものがあった。例えば選手村ですね。試合は勝つためにやる訳ですけど、選手村は違う。そこでいろんなイベント、交流があって、そういうところでもストリートと同じようにB-BOY、B-GIRLの輪が自然と出来上がる。そこでお互いのムーブをシェアし合って、それを他のアスリートたちも見てという形でショーケースになる。誰かにやらされているんではなくて、自然発生的にそういうコミュニティが出来上がるのは、すごくいいなと思いましたね。そういうことは、自分がそれまでオリンピックをテレビで見ていただけでは体験できない部分でしたね。

——しかし、これまでカルチャーとして発展してきたものを、新たにスポーツにしようとすると当然、違和感を感じる部分があるでしょうし、難しい面があると思いますが?

石川 当然、そうですね。スポーツにしてしまうと、どうしてもカルチャーとしての良かった部分が消えてしまうことにもなりかねないですし、反対の声も少なくなかった。でも、すでに世界大会ではポイント制のものもありますし、実際にやってみても、それほど違和感はなかったかなという印象です。それにユースオリンピックの時はまだ基盤もぜんぜん整っていない中での大会だったので、ルールとかも含めて新しいものを作るという楽しさ、新鮮さもありました。

——ユース五輪に続いて、2024年パリ五輪の追加種目にブレイクダンスが選ばれました。大きな注目を集めることになると思いますが、今後へ向けた課題はどういった部分になるでしょうか?

石川 やっぱり、もうちょっとわかりやすくしないといけないのかなっていうのはありますね。一番難しいのが採点だと思いますけど、個人的には嫌ですが、片手で何回転したら何点っていうことを細かく決めていくとか出てくるかもしれません。ただそれだけじゃなくて、「カッコいい」っていう表現の部分と「何をしてもいい」っていう部分もなくしちゃいけない。そのバランスが大事になる。あとは組織体制。今までやってきた僕らのコミュニティとダンススポーツ連盟が一緒になって、しっかりとした組織を作り上げないといけない。あとは、B-BOY、B-GIRLの意識も変えていかないといけないと思います。正直、「ブレイキンが五輪なんて…」って思っている人も多いと思う。でも徐々に「あれはあれでいいんじゃない?」っていう風になってきた感じがある。そこがさらに前向きなものになれば、五輪の盛り上がりも変わってくると思う。

——今年は世界的な新型コロナウイルス感染拡大の影響で活動に制限がかかっていますが、今後、ブレイキンの世界も新しい様式に変わっていきそうですか?

石川 オンラインを使った活動は増えていくと思います。そこにはメリットも多くて、例えばお金がない発展途上の国、例えばアフリカの子たち、なかなか海外の大会に参加するのが難しい子たちも オンライン上の大会だと参戦できる。もちろん生身のイベント大会はなくならないにしろ、新しい波としてオンラインの大会はさらに増えていくのかなと思います。同じ競技をやっていても、生まれた場所や環境は選べないですから、そういう格差がオンラインを使って少しでも解消できることになればいいなと思います。

——石川さん自身、新型コロナウイルスが収まってから何がしたいですか?今年の3月から新しくオンラインサロンを始められていますが、そこでやりたいことは?

石川 とりあえず、会いたい(笑)。会って、たわいもない話で盛り上がりたい。そういう中から生まれるものがありますからね。僕のダンスレッスンに来てくれる子たちが言うには、「レッスンの前後の話がめっちゃ面白い」、「その話を聞きたくて来てる」って(笑)。だからオンラインサロンでも、そういう話をどんどんしていきたい。オンラインサロンって最初に聞いた時、「何すんの、これ?」って自分でも思っちゃったんですけど、でも今はやりたいことがたくさんある。ブレイキンを通じて、いろんな人たちが集まって、そこからいろんなものが生まれて、コミュニティが広がっていくようにしたい。サロンでの集まりをきっかけに、そこからいろいろと派生して、また新たなコミュニティが出来上がればうれしい。

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——日本ブレイキン界の第一人者として、今の世の中、これからの世の中に訴えたいことは?

石川 いやいや、全然第一人者じゃない。そうは思ってないんですよ。僕より先にいろいろとやっていた方もいますし、特に大御所の方たちにはリスペクトがあります。彼らが昔やっていなかったら今の僕らはいませんし、何より僕一人じゃ何もできないですからね。ブレイキンをもっと広めたいという思いがあって、僕が先頭に立って何かをしようとしても、絶対に周りの人の力が必要になる。なので、年齢的に上の人も、下の世代の人も、みんなで力を合わせられるようにしたい。すごく表面的な部分かも知れないんですけど、B-BOYとかヒップホップという言葉が飛び交っている中で、それを知らない人たちにとっては、「不良なんじゃないか」とか、「何かジャラジャラいっぱい身につけて」とかっていうイメージもあるかと思うんですけど、そこにはちゃんとした文化があるし、若い世代がいいって思ってハマる理由もしっかりとある。突き詰めれば突き詰めるほど、そこがわかってくるし、もっと多くの人にわかってもらいたい。その魅力を伝えることを、僕たちプレイヤーがもっとしっかりとやっていかなきゃいけない。

——最後に、このコロナ禍の中で日本のブレイカーたち、夢を持っている若者たち、子供たちにメッセージをお願いします。

石川 なかなか学校に行けなかったり、仲間と集まれなかったりして辛い時間を過ごしていると思いますけど、家でもできることはあると思う。今のこの時間を、どうポジティブに捉えられるか。コロナが収束した時に、例えば前に比べてダンスが上手くなっているとか、勉強ができるようになっているとか、何でもいいから自分を高めて、少しでも成長してもらいたい。将来、「あの時間も悪くなかったよな」と振り返られるような、価値のある時間にして欲しいですね。HIPHOPやブレイキンについて深く学んでもらいたいですし、それ以外でも何かを好きになって、それについて深く学ぶことができたら、将来どんな職業に就いても、いい仕事をできる人間になれる。僕はそう思っています。

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エンタメ総合サイト「music.jp」が提供するオンラインサロンプラットフォーム「music.jpオンラインサロン」で石川氏がオーナーとなるオンラインサロンがスタート!

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『BBOY KATSU ONE BREAK LIFE SALON』オンラインサロン

https://music-book.jp/salon/detail/1

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【石川勝之/KATSU ONE】
1981年7月21日生まれ。神奈川県川崎市出身。B-BOYとして「FREESTYLE SESSION USA」優勝、日本人初となる「R16」世界大会のショー部門とバトル部門をダブル優勝などの実績を有し、SOLO BATTLE「Red Bull BC One」世界大会 in ニューヨークや「BATTLE OF THE YEAR」世界大会 inフランス で、現役のBBOYとしては日本人初のゲストジャッジを務める。2010年に活動拠点を日本からオーストラリアへ移し、2013年にオーストラリア永住権を取得。同年にストリートダンスの文化、ストリート文化の発展を目指し「株式会社IAM」を設立。2020年3月より、music.jpオンラインサロン、『BBOY KATSU ONE BREAK LIFE SALON』(music-book.jp/salon/detail/1)をスタートさせた。

取材/三和 直樹