強豪国での挑戦 セーリングの49er級で東京五輪代表に内定している小泉維吹は、人間科学部通信教育課程(eスクール)に在籍する早大生だ。高校卒業後にヨットの盛んなニュージーランドに渡り、ペアを組む高橋稜(オークランド大学)と二人三脚でその腕を…

強豪国での挑戦

 セーリングの49er級で東京五輪代表に内定している小泉維吹は、人間科学部通信教育課程(eスクール)に在籍する早大生だ。高校卒業後にヨットの盛んなニュージーランドに渡り、ペアを組む高橋稜(オークランド大学)と二人三脚でその腕を磨いてきた。その間、49er級以外にも、日本では一般的でない4人乗りのマッチレースに取り組んだり、日本初のユースアメリカズカップ出場メンバーに選ばれたりと、幅広い種目で活躍。大学で2人乗りの種目に取り組むのが一般的な日本のヨット界にあって、異色の選手といえる。一風変わったキャリアを選んで進む小泉の原動力は何か。そして、東京五輪に懸ける思いとは。

 小泉は7歳の時、既に競技に取り組んでいた兄の影響でヨットに乗り始めた。兄は早大ヨット部で主将を務め、現在も470級スキッパーとして日本のトップレベルで活躍する小泉颯作(平27スポ卒・現トヨタ自動車東日本)だ。当初は友達に会うために海に遊びに行っている感覚だったというが、中学時代には頭角を現し、本格的に競技に取り組むようになる。兄の背中を追いかけて進学した山口・光高校では、「風が弱く不安定で、走らせるだけでも難しい」という光市の海で冬以外は週6日船を走らせた。数々の国際大会に出場し、3年時には420級のユース世界選手権で銅メダルを獲得。世代トップの座に上り詰めたが、卒業後の進路は少し意外なものだった。ジュニア時代からの知り合いだった高橋選手と共に、49er級で東京五輪出場を目指すため、ヨットの強豪国・ニュージーランドに渡ったのだ。以降、4人乗りのマッチレースなど、日本では一般的でない種目に多く挑戦し、2018年から本格的に49er級に取り組み始めた。


対応力が売りの小泉。細かい変化にすぐ気づくという(写真提供:小泉選手)

 大学で470級やスナイプ級といった二人乗りの種目に取り組むのが一般的な日本のヨット界において、やや特殊なキャリアを歩んできたのはなぜなのか。一つ目の理由は至ってシンプルだ。ただ、速い船に乗りたかったから。現在の49er級も、2017年に出場したユースアメリカズカップも、ハイスピードな船がその特徴だ。東京五輪後にはセールGPというセーリングのプロリーグの大会に挑戦し、時速100キロに達するという世界最速の「テクノロジーの最先端のマシンみたいな船」に乗りたいのだと、小泉は語る。

 

 二つ目の理由は、「様々な種目を経験して、新しい感覚を得たいから」だ。そのために、やりたいと感じたことには手を出し続けてきた。だが、小泉はもともとこのように挑戦をいとわない性格だったわけではない。高校卒業後、ペアを組んだ高橋のオープンで積極的な人柄に引っ張られるようにして、挑戦を繰り返し、経験を積んできたのだという。


自粛期間中はレース動画の振り返りなどに時間を割いた(写真提供:小泉選手)

 そんな相方との挑戦が実ったのが、今年2月の世界選手権。実は、2019年の世界選手権で代表入りが決まるはずだったが、高橋が競技中の事故で負傷してしまい、選考が振り出しに戻っていた。2月時点でも万全な状態からは程遠く、しかも選考はこの大会一発勝負というプレッシャーのかかる試合だったが、見事に代表の座を勝ち取った。その後間もなくして、新型コロナウイルス感染拡大の波がヨット界にも押し寄せる。この春予定されていたレースはことごとく中止。小泉が住むニュージーランドではロックダウンが行われ、7週間にわたり練習中止を余儀なくされた。だが、これについて小泉は、「船に乗れない分、レースの映像を通して外から動きを見ることができた」と語り、五輪の延期についても「準備期間が増え、上位に行くチャンスが生まれた」と前向きにとらえている。49er級に取り組み始めてから日が浅いこともあり、「現時点では五輪での現実的な目標はトップ10だが、21年までの過ごし方次第では状況が変わるかもしれない」と希望を抱く。


ニュージーランドの荒波で日々トレーニングに励む(写真提供:小泉選手)

 東京での開催が決定した高校2年時から目指してきたという代表の座を、数多の挑戦を重ねてついにつかんだ小泉。夢の舞台で、より上位で躍動する姿を見せてほしい。さらに、五輪を終えたら次はどんな道を切り拓いていくのか。未来が気になる魅力的な選手だ。

(記事 町田華子)