東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第29回 柔道・阿部一二三五輪メダリストを圧倒した全日本選抜柔道体重別選手権(2016年) アスリートの「覚醒の時」──。 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。 た…

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第29回 柔道・阿部一二三
五輪メダリストを圧倒した全日本選抜柔道体重別選手権(2016年)

 アスリートの「覚醒の時」──。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく──。



2016年の体重別選手権男子66キロ級で海老沼匡を圧倒した阿部一二三(写真右)

 あらゆるスポーツにおいて、新旧交代の瞬間はいつの時代も残酷だ。柔道界でいえば、2016年の全日本選抜柔道体重別選手権男子66キロ級がそうだった。戦慄を覚えるような結末は、66キロ級の、いや日本柔道の次世代のエースが誰なのかを暗示させた。

 準決勝の畳に上がったのは、2012年ロンドン五輪の同階級銅メダリストである海老沼匡(パーク24)と、日本体育大学に入学したばかりの阿部一二三だった。

 左組みの海老沼に対し、右組みの阿部。喧嘩四つとなる両者の組み手争いは、兵庫・神港学園を卒業したばかりの18歳がリードする。阿部が開始すぐに袖釣り込み腰で海老沼をヒヤリとさせると、次には巻き込むような大外刈りを仕掛け「技有」を奪う。すぐさま袈裟固めで抑え込む。が、海老沼がまさしくエビのように体を動かし、難を逃れる。

 続いて阿部の袖釣り込み腰に、主審は一度「技有」を宣告して試合を終えようとするも、ジュリーの判断で「有効」に。攻め手を緩めない阿部が最後は得意とする背負い投げから体落としへ移行し、海老沼の背を畳につけて「一本」。勝負ありとなった。

 手の内にある技を余すことなく繰り出し、完膚なきまでに王者を叩きのめした完勝だった。海老沼は2014年のグランドスラム東京でも当時高校2年生だった阿部に敗れており、相性の悪さもあるのかもしれない。しかし、相手を豪快に投げ放つ柔道の申し子のように覚醒した阿部に完全に屈した形となった。

 この大会は、数カ月後に迫っていたリオ五輪代表の最終選考会を兼ねていた。大会後、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がかわされ、代表には2013年と2014年に世界王者となった実績などから海老沼が選ばれた。

 阿部の将来性は柔道関係者の誰もが認めるところだったが、前年の講道館杯で3位になった時点で、リオへの道はほぼ閉ざされていたのである。

 阿部一二三の名がブレイクしたのは、2014年11月の講道館杯だった。初めてシニアでの試合ながら優勝。続くグランドスラム(東京)も史上最年少で優勝した。

 のちに、阿部は講道館杯優勝から始まった代表争いをこう振り返っている。

「講道館杯の時は正直、勝てるとなんか思っていなかった。心は『絶対に負けない』という気持ちなんですけど、どちらかというと、『思い切ってやろう』『自分の柔道をしよう』という思いが強かった。シンプルにがむしゃらにいこうという気持ちで。ひたすらに柔道を、試合をしようと思って。それがよかったと思います。

 でも、翌年の講道館杯で負けて、リオが難しくなった。代表になれなかったことで、それまでと柔道に取り組む姿勢は変わっていないですけど、より濃い稽古というか、いろんなことを考えて、稽古できるようになった。技のキレとか、技のパターンを増やしていかないと、海外の選手には勝てないと感じた。いろいろな面でまだまだ全然ダメだなと思い知らされた部分があったので、それを課題としてクリアするために取り組んできました」

 引き手、組み手が不十分であっても強引に技に持ち込むのは阿部が培ってきた力と俊敏性がなせる業であるし、技のバリエーションを増やしたことが、選抜体重別の圧勝劇につながった。阿部の母校である神港学園の信川厚総監督が落選からの日々を振り返る。

「講道館杯を制したことで、リオを目標に据えました。私は正直、間に合わないかなとは思っていたんですが、五輪を意識することで飛躍的に柔道が伸びていった。ただ、高校3年生(2015年)の講道館杯を優勝できなかったことで、可能性がほぼなくなった。経験、実績から海老沼選手が選ばれて当然の代表選考でした。私は阿部に、『勝つべきところで負けたおまえが悪い。焦らず、腐らず、次につなげていこう』と伝えました。4年後の五輪は、幸いにして東京で開催される。若くて、勢いのある阿部が、圧倒的に代表をリードしていくんじゃないかなとは思っていました」

 リオ五輪の最終選考会では阿部に敗れた海老沼だったが、五輪本番では2大会連続となる銅メダルに輝く。その後、減量の難しさもあって73キロ級に階級を変更した。

 一方の阿部は、信川の言葉にあるように、66キロ級をリードした。2017年に初めて世界選手権代表に選出されると優勝。初めての世界一に輝き、翌年の大会でも優勝を遂げた。

 ところが、東京五輪の代表レースにおいては、4歳上の丸山城志郎(ミキハウス)が頭角を現し、丸山が阿部を下して2019年の東京世界選手権王者となったことで両者の立場は五分となっていた。

 男子66キロ級は、東京五輪に向けた男女全14階級のうち、代表が唯一、内定していなかった階級である。東京五輪の金メダルよりも困難な代表を勝ち取るのは阿部か、丸山か--。

 今後、実力が拮抗する両者の直接対決が実現し、その結末によって代表が決まるのならば、4年前の衝撃を上回る名勝負が繰り広げられることだろう。