MotoGP最速ライダーの軌跡(2)ニッキー・ヘイデン 下世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り…

MotoGP最速ライダーの軌跡(2)
ニッキー・ヘイデン 下

世界中のファンを感動と興奮の渦に巻き込んできた二輪ロードレース界。この連載では、MotoGP歴代チャンピオンや印象深い21世紀の名ライダーの足跡を当時のエピソードを交えながら振り返っていく。
2人目は、ニッキー・ヘイデン。世界中のファンを魅了したアメリカ人ライダーが、MotoGP史に残した足跡を辿る。

 2006年シーズンのサマーブレイクが明け、後半戦に入ると、チャンピオン争いの状況は緊迫感を増し始めた。



エストレージャガリシア・0,0・マーク・VDSのレザースーツを着たニッキー・ヘイデン

 前半戦をランキング首位で折り返したニッキー・ヘイデンだったが、シーズン後半の戦いは惜しいところで表彰台を逃すレースが続いた。一方、レプソル・ホンダのチームメイトで20歳のルーキー、ダニ・ペドロサと、前年まで5連覇を続けていたヤマハのバレンティーノ・ロッシが猛追を開始した。

 9月下旬の日本GPを終えた段階で、ランキング首位のヘイデンに対して2番手のロッシは12ポイント差まで迫っていた。また、ペドロサはヘイデンまで32ポイント差で、計算上まだチャンピオンの可能性が残されていた。

 シーズンは残り2戦。わずかなミスが命取りになる状況のなか、最終戦を前にしたポルトガルGPで予想外の出来事が勃発する。

 決勝レース序盤の4周目にペドロサが自滅して転倒し、アウト側にいたヘイデンを巻き込んでともにリタイア。両選手はノーポイントレースとなってしまったのだ。一方、ロッシは2位に入って20ポイントを加算したことで、ヘイデンを8ポイント逆転してランキング首位に立った。

 最終戦のバレンシアGPは、チャンピオンを争うロッシとヘイデンの攻守が逆転した格好で迎えた。

 ロッシはポールポジションを獲得。一方、ヘイデンは2列目中央の5番グリッドになった。何度もタイトル争いを経験してきたディフェンディングチャンピオンが先頭グリッドで、その牙城(がじょう)に初めて挑むライダーは斜め後方からのスタート。この状況は、いくたびもタイトルを守り抜いてきたロッシに有利なようにみえた。

 しかし、そのロッシはこの決勝でスタートに失敗し、オープニングラップでは7番手まで下がった。そこから猛追を狙ったが、5周目の2コーナーでフロントを切れ込ませて転倒。この時、ヘイデンは2番手を走行していた。ロッシはバイクを引き起こしてレースに復帰したが、すでにヘイデンは手の届かない距離にいた。その後ヘイデンは堅実に表彰圏内の走行を続けて3位でゴール。シーズン終盤戦で何度も続いたどんでん返しを乗り切って、チャンピオンを獲得した。

 ホンダにとっては2003年以来3年ぶりのタイトルだが、ロッシ以外のホンダライダーが王座を獲得したのは1999年のアレックス・クリビーレ以来7年ぶり、という悲願の王座奪還劇だった。

「チャンピオンを獲得するためには、ずる賢さや狡猾(こうかつ)さも必要。ニッキーの場合、タイトルを狙うにはあまりに好人物過ぎる」

 彼の素直で真っすぐな性格を評してそんなふうに、うがった見方をする声も当時は少なくなかった。だが、ヘイデンとホンダは真正面から王者ロッシとヤマハに挑み、彼らとの熾烈(しれつ)なチャンピオン争いを堂々と戦い抜いたのだ。

 しかし、その後は苦しいシーズンが続いた。翌07年にチャンピオンナンバーの1をつけて走ったヘイデンだったが、苦戦の連続でランキング8位。08年も好成績を残せずにこの年限りでホンダを離れ、09年からはドゥカティのファクトリーチームへ移籍することになった。

 ドゥカティはいわずと知れた、ボローニャのボルゴ・パニガーレに本拠を構えるイタリア企業だ。技術者たちの気風も、ホンダとは異なる。母語はイタリア語だが、欧州企業だけあって全員が英語をよく解する。それでも日々の生活やメディア対応などではイタリア語のコミュニケーションに不自由する場合もあるため、ヘイデンを若い頃から知り、イタリア語も堪能なアメリカ人ジャーナリストが専属広報担当に雇われた。我々の取材仲間でもあるこの人物は、06年のチャンピオン獲得後にヘイデン三兄弟の評伝を著した優秀な書き手だが、ヘイデン担当としてチーム入りすることになったのだ。

 09年のドゥカティは、07年に王座を獲得したマシンのさらなる戦闘力向上を目指し、さまざまなトライをしていた時期だ。07年のチャンピオンライダーであるケーシー・ストーナーですら、調子に波があった。新たに加入したヘイデンについてはいうまでもないだろう。この年のヘイデンの年間ランキングは13位だった。

 11年は、ストーナーがホンダへ去って、新たにロッシがドゥカティ陣営に加入した。マシン設計の指揮を執るフィリポ・プレツィオージは、ロッシの要求に応じて徹底的な改良を進めていった。台風のような2年間が過ぎ、ロッシはヤマハへ戻っていった。そしてプレツィオージも引責辞任のような格好でしばらくして現場を去った。

 いくつもの波に揉まれながら、ヘイデンは決して腐ることなく、その時々の条件下でいつも全力を尽くした。10年は年間7位、11年は8位、12年と13年はともに9位。

 この年限りでヘイデンはドゥカティファクトリーを去り、14年にホンダのサテライトチームへ移籍した。当時、MotoGPの技術規則が大きく揺れていた時期で、ヘイデンが加入したチームのマシンはファクトリースペックではなく、それよりも数段落ちる仕様と電子制御を搭載した「オープンカテゴリー」と呼ばれる区分のバイクだった。ファクトリー勢に比して苦戦を強いられるのは明らかだったが、さらにシーズン中、負傷にも見舞われ、数戦で欠場を余儀なくされた。年間ランキングは16位で、翌年も状況は改善せず20位だった。

 そしてヘイデンは13年間過ごしたMotoGPを去った。新たな戦いの場は、量産車をベースとしてレース用改造を施した車両で戦うSBK(スーパーバイク世界選手権)で、ホンダ系のトップチームに所属。久しぶりの優勝や3レースで表彰台に上がる活躍を見せた。このSBKに参戦する一方で、MotoGPのホンダ系選手が負傷欠場した際には、「スーパーサブ」として代役参戦する役割も任されていた。

 16年MotoGP第14戦アラゴンGPでは、負傷したジャック・ミラーの代役でエストレージャガリシア・0,0・マーク・VDSのレザースーツに身を包み、第16戦オーストラリアGPではかつてのチームメイトであるダニ・ペドロサの代役としてレプソル・ホンダチームのマシンにまたがってレースに臨んだ。

 かつて無垢だった若者は、人生の紆余曲折を経験し、すでに35歳になっていた。それでも彼がピットボックスに現われると、相変わらず昔のように、その場に光が射すような明るくポジティブな雰囲気に包まれた。

 世界最高峰の場でチャンピオンを争い、長年にわたってさまざまなライバルたちと競い合った経験をもつトップライダーならば、ある程度の人間関係の軋轢や毀誉褒貶(きよほうへん)はあって当然だろう。だが、ヘイデンに対する悪口雑言は、口さがない人が多いグランプリパドックでも、まず聞いたことがない。

 誰もヘイデンの陰口をたたかなかった。ヘイデンは本当に、みんなに愛されていた。

 その彼が、2017年5月に交通事故に遭った。

 イタリアで自転車トレーニングの最中に自動車と衝突したという情報は、即座にMotoGP関係者たちの耳にも届いた。この時、MotoGPはフランスGPがまさに始まろうとしていたところだった。ル・マンサーキットのパドックでは、レースウィークを通じて、「ニッキー、早く回復してくれよ」「元気な姿で戻ってくるのを待ってるぞ」というメッセージが、チームやクラスを問わずあちらこちらで掲示された。

 しかし懸命な祈りもむなしく、フランスGP決勝翌日の月曜に、ニコラス・パトリック・ヘイデンの死去が発表された。

 次戦イタリアGPは、不慮の事故により35歳の若さで世を去ったヘイデンを追悼する大会になった。あまりに突然の出来事だったため、誰もがまだ気持ちの整理をつけられないでいた。

 ライダーたちはバイクやヘルメットに、ヘイデンの代名詞でもあるバイクナンバー〈69〉を貼って走り、メカニックやエンジニアたちは喪章をつけてウィークに臨んだ。

 週末を通してパドックの隅には、ヘイデンが乗ってきたホンダやドゥカティなど歴代のバイクが追悼展示されていた。背後のパネルには、生前のヘイデンが遺したこんな言葉が記されていた。

「バイクのレースは、僕の人生そのものだ。

僕が知っているのはレースをすることで、 いつもずっとこればかりやってきた。

家族もレースをしている。 友人たちもレースをしている。

レースはただの仕事なんかじゃない。

心から夢中になれる、大好きなものなんだ」



ドゥカティ時代のニッキー。バイクナンバー69が代名詞だった

【profile】ニッキー・ヘイデン Nicky Hayden
1981年7月30日、アメリカ・ケンタッキー州生まれ。ニックネームは「ケンタッキーキッド」。2002年AMA(全米選手権)スーパーバイクで史上最年少チャンピオン獲得し、03年からはMotoGPのレプソル・ホンダ・チームに参加。06年シーズンには年間総合優勝を果たす。2016年にスーパーバイク世界選手権に転向した。17年に交通事故に遭い、帰らぬ人となった。享年35歳。