「居場所がない」と悩む人へのヒントに、ネット全盛時代に必要な村田諒太の言葉「居場所なんか作ろうと思って作ってるわけちゃいますよ。勝手にできるもんです。例えば高校のインターハイだったら、みんなで『団体の総合優勝しようや』という中で人と人との関…

「居場所がない」と悩む人へのヒントに、ネット全盛時代に必要な村田諒太の言葉

「居場所なんか作ろうと思って作ってるわけちゃいますよ。勝手にできるもんです。例えば高校のインターハイだったら、みんなで『団体の総合優勝しようや』という中で人と人との関係がある。そういうリアルな付き合いの中で居場所は勝手にできてくるんですよ。『ここに場所を作るから私の居場所がほしい』ってやる人がいますけど、そんなんちゃいますよ。今のSNSなんかもアピール、アピールで自分の居場所を確立しようとしますけど、あんなんじゃできひんて。あんなの『空想の世界やからな』って思って見てますもん」

 WBA世界ミドル級王者・村田諒太(帝拳)。Zoomによるリモート取材は、軽妙な関西弁が流れていた。パソコン画面を通しても、34歳の言葉はいつも熱い。人と人との繋がりがSNSを中心としたネット上に偏りがちな現代社会。南京都高(現京都廣学館)、東洋大、帝拳ジムのそれぞれで輪の中心にいるような存在に“居場所の作り方”を聞いたが、答えはなかった。

 世界を襲う新型コロナウイルス。ボクシング界でも興行中止や延期が相次ぎ、村田の次戦も定まらない。自粛期間中はジムも閉鎖となり、練習は自宅でできるトレーニングが中心。外出自粛で人との触れ合いが希薄となった今、自分にとっての「幸せの原点」に気づかされたという。

 アマチュア時代に日本代表で同期だったメンバーから「お前、サプライズで顔出してくれ」とリモート飲み会の誘いを受けた。当時の先輩やコーチなど、勝手知った仲の輪に現役世界王者が登場すると盛り上がる。ああでもない、こうでもないと昔話に花を咲かせた。

 これまでと同じ集まりに「リモート」の枕言葉がついただけ。人間関係に何の変化もなかったが、離れていてもそこには生身の人間の温もりがあった。

「仲の良かった全日本メンバーで盛り上がっていたんですけど、あれを初対面の人とやらされてたら何もおもんないんですよ。そのコーチとも、同期とも、実際にいろんなことがあった。その上で話をしたから『なんやめっちゃおもろいやん』ってなって、時間も早く過ぎました。でもこれね、何もない関係でやれと言われたって苦痛ですよ。だから、リアルな付き合いって必要やと思いますね」

 コロナ禍に「リモート〇〇」が流行したことで、ネット上で人との距離が逆に近づいたことが世間で話題となった。しかし、村田の中では違う。「幸せ」や「楽しさ」を感じる瞬間は、「リアルな付き合い」を前提に成り立っていた。

「こんな時でもナンキン(南京都高)って関係が深いんですよ。やっぱりお互いのことを心配してるし、お互いのために協力しようとするし、本当に南京都でよかったなって思うんですよね」

 こう語ると、南京都高で3学年上にいた先輩の話に及んだ。

村田の居場所はどうやってできたのか「泣いた、笑ったがある中で…」

 国体優勝の直後、監督の武元前川氏(享年50)が「南京都を選んでよかっただろ?」と問いかけた。すると、この先輩は「はい!」と大きくうなずいたという。「そう答えたことを未だに覚えているらしいですね。僕はこんな時でも南京都で繋がる。こういう繋がりがあってよかったなと思える時に、もの凄く幸せを感じますね」。青春時代のほんの一瞬の記憶が、結びつきをより強くしている。

 居場所は意図して作るものではないというが、ジムでも、それ以外でも、村田の周りにはいつも人の輪ができ、笑顔に囲まれている印象が強い。「村田さんみたいな人気者はいいですけど、なかなか馴染めない人も世の中にはいるかと……」。そんな投げかけに「初めから人気者やったわけちゃいますよ」と返された。

 では、どうやって居場所ができていったのか。控えめな返答の続きはこうだ。

「高校生と話をしたら思い出すけど、僕は高校のデビュー戦も負けてますし、そうやって一緒にいる中で負けた気持ちを共有していった。高校って同じような夢を持つ者同士が集まるわけでしょ。そこで泣いた、笑ったがある中で居場所ができてくるわけであって、何もないのに居場所だけ要求したってしょうがないですよ」

 史上初の中止となった今年の全国高校総体(インターハイ)。目標を失った選手たちに何かできないかと、村田は「明日へのエールプロジェクト」の一環として展開する「オンラインエール授業」に参加した。部活に励む高校生をトップ選手らが激励し、「いまとこれから」を話し合う企画。第1回の講師として登場した村田は、全国40人のボクシング部の主将らとパソコン画面を通じて本気で向き合った。

 初々しい高校生たちと対面し、自身が青春時代に見た光景に思いを馳せる。居場所ができる過程には「志」を共有し、一緒に過ごすことが不可欠だった。

「やっぱり同じような夢を持つと、同じような仲間が勝手に集まりますから。夢とか志がないところに仲間なんて集まらないですよ。私がここにいて、僕がここにいるというだけのところに人は集まらない。自分らで何かしたいという気持ちがあるから集まるわけであって、『俺は金持ちになりたいんや!』とか言っても、そんなん誰が味方してくれんねんって話でしょ」

 帝拳ジムのロッカールームは、選手やトレーナーしか入れない。体重計やシャワー室などがあり、小さなスペースで身を寄せ合い、扉の奥から笑い声が漏れる。そこから飛び出したボクサーたちは拳を振り、強さを追い求めて汗を流す毎日だ。個人競技であっても時間と空間、そして野心に満ちた志を共有している。

「ボクシングやったら、見返したいと思ってやっている選手がたくさんいるじゃないですか。『チャンピオンになって夢を与える』『自分の力でどうにかしていく』『見返したい』とかね。そんな奴らがジムにゴロゴロおったら、『俺もそういう気持ち』と言って切磋琢磨していって勝手に居場所はできます。だから、志を持ってやっていたらいいんです。ハナから居場所を求めるっていうのが間違ってます」

王座奪還の夜、村田は説いた「個人は一つの歯車。生きていく上で居場所は大事」

 まさしく「同志」だ。村田自身、志から生まれた居場所の大切さを痛感した試合がある。昨年7月、ロブ・ブラント(米国)へのリベンジマッチ。第1戦で敗れた後、引退か悩んだ末に現役続行を選び、下馬評を覆す燃えるような激しい王座奪還劇で感動を呼んだ。家族やチームに支えられてたどり着いた決戦のリング。試合直後の控室で帝拳ジムの絆についてこう語っていた。

「個人っていうのは一つの歯車だと思う。南京都が居場所をくれたし、東洋大も居場所をくれたし、帝拳でも一部でいられる。生きていく上で居場所があるって大事なこと。あの場で一緒に汗を流した僕らにしかわからないつらさも、嬉しさもある。南京都と一緒なんですよ。南京都にも魂があるし、東洋大にも魂があるし、帝拳ジムには帝拳ジムの魂がある。そこに宿っている。そこにいることで影響があるし、そこで絆が深まると思う」

 生きていく上で大切な居場所。学校や職場で集団に馴染めず、ネットに活路を求める人も多いだろう。もしかしたら、現実世界に同じ志がないからかもしれない。村田はネットを全否定するわけではないが、人間関係において「空想の世界」と表現する。さらに“リアルな付き合い”の必要性を説いた。

「あーだ、こーだ言って空想の世界におるんやったら、それまでですよね。自分で動き出さんと。『バチン!』と喝を入れられたと思って一歩踏み出す。そういうのが必要かなと思いますね。今はあまり外に出ない方がいいけど、結局は人との付き合いでしかないですし」

 伸び悩む若手がいればアドバイスする。トレーナーが誕生日を迎えれば、サプライズケーキを持って登場する。困っている仲間には手を差し伸べ、感情を共有してきた。そんな村田でも、顔の見えない相手へのフットワークは重い。デジタルな付き合いだけになれば、他人を大切に思えず、冷たい社会になってしまうのではないか。そうやって未来を案じ、嘆くように発した。

「う~ん、ネット全盛の時代やけど、ネットとの友達がどうのこうのって言ってもなぁ。薄いもん。そんなん友達と思われへんもんなぁ。この人のために何かしたろって思わないでしょ。やっぱり同じことを共有して、そこに志があるから人のために何かをやるわけで。薄い関係ではそういうことをやろうと思わないのが、正直なところですかね」

 思えば、昨年は「ONE TEAM」が流行語となった。志があり、一つになり、気づけば居場所ができていたのだろう。同志になれるのは、必ずしも大人数の集団とは限らない。2、3人でも志が関係を繋いでくれるはずだ。

 村田は志が繋いだ腐れ縁に囲まれている。いつも人の輪の中心にいる世界王者の言葉。居場所がないと悩む人にとって、一歩前に進むヒントが詰まっていた。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)