東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第25回 ゴルフ・松山英樹アマチュアで制した三井太平洋VISAマスターズ(2011年) アスリートの「覚醒の時」──。 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。 ただ、…

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第25回 ゴルフ・松山英樹
アマチュアで制した三井太平洋VISAマスターズ(2011年)

 アスリートの「覚醒の時」──。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく──。



アマチュアとして優勝し石川遼(写真左)から祝福を受ける松山英樹

 東日本大震災が起こった9年前(2011年)のあの日、東北福祉大の2年生だった松山英樹は、三井住友VISA太平洋マスターズ(11月10~13日/静岡県太平洋クラブ御殿場コース)を制し、倉本昌弘、石川遼に次ぐ史上3人目となるアマチュア優勝を飾った。

 この年の4月のマスターズにアジアアマ王者の権利で出場し、日本人として初めてのローアマチュアに輝いていた松山にとって、プロ転向に向け大きな足掛かりとなった大会といえた。

 最終18番(パー5)を迎えた時点で、通算11アンダーまでスコアを伸ばしていた松山は、同組だった谷口徹に2打差をつけてトップに立っていた。松山を追う谷口が先に放った第2打は、ピン横2.5メートルのイーグルチャンスに。

 一方、セミラフからの池越えとなる松山もまた、果敢にツーオンを狙う。8番アイアンを手にし、長い時間をかけてアドレスに入る。放たれたボールは高い弾道を描き、百戦錬磨の谷口を上回る、ピン右50センチの位置にピタッと止まる会心の一打となった。

 2打のリードがあれば、池を避けるようなコースマネジメントが頭をよぎっても当然だろう。しかし、優勝を争うゴルファーが先にチャンスにつけたと見るや、松山も初優勝が手からこぼれ落ちるリスクを恐れず、攻める姿勢を崩さなかった。勇気と勝負勘と、何より優勝をたぐりよせた魅せる技術。近い将来にプロへ転向し、世界へ羽ばたいていこうという松山の才能が覚醒した一打ともいえた。

 難なくイーグルパットを決めた松山にガッツポーズはなく、すぐにボールをカップから取り出し、大ギャラリーに帽子をとって一礼するだけだった。

「レイアップは考えず、ピンしか見ていませんでした。ティーショットとセカンドは、会心のショットでした。今回の優勝によって、階段を一段上ったというより、ジャンプした感じですよね(笑)。マスターズ優勝という夢に向かうためには、この優勝は通過点。将来は、調子がいい時も悪い時も、ファンを連れて歩けるようなプレーヤーになりたい」

 松山にとって、同い年のライバル・石川遼は常に先をゆく存在だった。杉並学院高校の1年だった2007年、石川はマンシングウェアオープンで優勝。松山にとって同級生の快挙はあまりに現実離れしたことで、呆然とするしかなかった。

 さらに高校3年となった石川は、2009年に国内ツアーの賞金王に輝く。一方の松山は高知・明徳義塾高校から東北福祉大に進学し、地道にアマチュアの世界で技術を磨いた。対照的なゴルフ道を歩んできた両者が、ついにプロの舞台で交錯したのが2011年シーズンだった。

 松山がアマチュア優勝を遂げた日、石川は17番パー3でエース(ホールインワン)を決めていた。もちろん、ホールインワンなど狙ってできる芸当ではない。だが、松山との優勝争いこそかなわずとも、同い年のゴルファーとして、経験でも実績でも上回ってきた石川がライバルに一矢報いようとしたその結果のように映った。

 そして、翌12年の大会では石川が2年ぶりとなる通算10勝目を飾る。表彰式では”敗れた”前年王者の松山が、所在なさげにローアマチュアの表彰を受けていた。

 2013年の国内ツアー開幕を前に、いよいよ松山はプロ転向を決意する。当時、松山は二度の三井住友VISA太平洋マスターズをこう振り返っていた。

「初優勝の喜びよりも、敗れた悔しさの方を覚えていますね。僕はローアマとして表彰式に出る必要があったんですけど『この場にいたくない』と思っていた。アマチュアとして、僕は優勝しか考えていなかった。予選落ちも2位も同じという考えでした。だから、初優勝の時の18番のセカンドは、プロとなった今ではもう打てないかもしれないです(笑)」

 松山は国内ツアーをわずか1年で”卒業”し、2014年からは米国を主戦場としてきた。これまで国内8勝に加え、PGAツアーでも通算5勝を積み上げている。すべては、2011年の三井住友VISA太平洋マスターズから始まったのである。