東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第26回 ゴルフ・渋野日向子最後まで「攻めた」大王製紙エリエールレディス(2019年) アスリートの「覚醒の時」――。 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。 た…

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第26回 ゴルフ・渋野日向子
最後まで「攻めた」大王製紙エリエールレディス(2019年)

 アスリートの「覚醒の時」――。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく――。

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2019年シーズンは何度も

「覚醒」を遂げた渋野日向子

 昨季のJLPGA、国内女子プロゴルフツアーは、あらゆるスポーツイベントの中でも、最も華やかで盛況だったように思う。

 渋野日向子が全英女子オープンで優勝するや、その熱気は国内ツアーにまで波及。渋野を交えた賞金女王争いは、最終戦までもつれ込むことになった。

 何より、そのシーズンの終わり方がよかった。言い換えれば、半年以上、好印象を残しながら、中断してしまったことになる。再開が最も待ち遠しいプロスポーツの代表格。そう言っても、言い過ぎではない。

 佳境を迎えたのは、最後の5試合目、樋口久子 三菱電機レディス以降になる。鈴木愛が、賞金ランクで首位に立っていた申ジエに競り勝ち、優勝したところで”ドラマ性”は急上昇した。鈴木はさらに、TOTOジャパンクラシック、伊藤園レディスを立て続けに制し、申ジエ、渋野をかわし、賞金女王争いで首位に躍り出た。

 片や、注目の渋野は伊藤園レディスで予選落ちの憂き目にあっていた。ツアーは残り、大王製紙エリエールレディスとLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップの2試合。賞金ランク1位の鈴木と、同3位の渋野との差は、2400万円あまり。もし大王製紙エリエールレディスで鈴木が優勝すれば、渋野が賞金女王の座に就く可能性は完全に消える。

 ツアー全39戦中、29試合目にあたるデサントレディース東海クラシック(9月20日〜22日)で、今季3勝目を挙げて以降、渋野は(国内ツアーで)22位タイ→7位→6位タイ→12位タイ→13位タイ→予選落ち。その勢いは、ツアー終盤を迎えてすっかり鈍っていた。残り2試合。この流れのまま、シーズンを終えてしまうのか。

 全英女子オープン優勝。国内ツアーでも3勝した。賞金ランキングでは、鈴木、申ジエに次いで3位。東京五輪出場枠を巡る争い(世界ランキング)では、鈴木に先行し、出場圏内である15位以内を維持。もちろん、その輝かしい実績が色褪せることはない。

 しかし、今振り返れば、あの流れのままシーズンを終えていたら、今の渋野に抱く”カリスマ性”は、何割か軽減していたと思えてくる。その分、大王製紙エリエールレディスは、渋野の価値を何割か高めたトーナメントだった。

 しかも、名勝負だった。現場で観戦することができた喜びを思わずにはいられないスリル満点の試合となった。

 初日、渋野が好スタートを切った。賞金ランク2位の申ジエとともに、首位に2打差の2位タイにつけた。

 2日目、渋野はやや停滞したものの、首位に4打差の9位タイ。5位タイの鈴木愛、申ジエを1打差で追った。

 そして3日目。渋野は再び首位との差を2打差とする。2位タイの申ジエとは1打差、鈴木とは(7位タイで)同スコアで並ぶ。賞金女王争いを繰り広げる3人がそろって優勝争いを演じる申し分のない展開となった。

 迎えた最終日。最終組の3組前で一緒に回ることになった渋野と鈴木は、14番を終えて、ともに18アンダー。トップタイで並んだ。

 続く15番。渋野がバーディーを奪ったのに対し、鈴木は短いバーディーパットを外してパー。19アンダーとした渋野が、ここで1打リードを奪い、単独首位に立った。

 喜びも束の間、16番パー3で渋野はティーショットを右に外してしまう。それでも、ボールは難しいガードバンカーまでもう一転がり、というところで辛うじて止まって、何とかパーを拾った。すると、鈴木が続く17番(パー5)のティーショットを池に入れてしまう。

 一方、渋野のティーショットはきっちりフェアウェーをとらえた。ただ、大粒の雨も降り出し、風もアゲインストがキツくなっていた。定石からすれば、セカンドは刻んで、3打目勝負といった状況だ。そもそも、鈴木に対して1打リードしている。なおかつ、その目前のライバルがトラブルに見舞われているとなれば、なおさらである。

 ところが、渋野は第2打を刻まなかった。5番ウッドで果敢に2オンを狙った。ボールは左へ。行ってはならない池の方向に飛んでいった。が、水面は揺れなかった。ギリギリセーフ。渋野は、鈴木よりツキがあった。

 渋野はパー。鈴木愛はボギー。19アンダーvs17アンダー。ふたりの差は、2打差に広がった。

 暴風雨が加速するなか、試合は最終18番へ。鈴木がバーディーパットを決めたが、渋野がパーで切り抜け、デッドヒートに終止符が打たれた。

 渋野を指導する青木翔コーチは、その熱戦をコース脇で見つめていた。そしてラウンド後、こう語った。

「結果的に先週、(伊藤園レディスで)予選落ちしたことがよかったのかなと思います。僕としては『やっと落ちた』と思いました。予選を通過して、ある程度、上位に居続けたら、反省し切れていないことが出てくる。それが予選を落ちたことで、自分を見直す機会ができた。

 それで、彼女には『ゴルフが中途半端になっているんじゃないか。攻めるしかできないのだから、もっと思い切っていけよ』と。もちろん、そういう言葉は使っていませんが、そういうふうに彼女が取ってくれればいいな、という話をしました」

 伊藤園レディスで(国内ツアーでは)実に26試合ぶりに予選落ちしたあと、渋野は地元・岡山に戻ったという。そこで、青木コーチだけでなく、両親ともコミュニケーションを交わしたそうだ。内容について問われると、「秘密です」と渋野は答えた。だが、久しぶりの予選落ちが、我に返る機会を与えてくれた。

 覚醒するきっかけになったことは、間違いない。

 ちなみに、大王製紙エリエールレディスは2位となり、4週連続優勝の快挙を逃した鈴木も、樋口久子 三菱電機レディスの前の週の大会(NOBUTA GROUP マスターズGCレディース)で予選落ちしていた。悪い結果を薬にしていた。

 渋野のこの優勝にも、そういう意味で正当性を感じた。巡ってくるべき順番だった気がする。

「今日は、一年間応援してくださったみんなの前で、成長した一年間の集大成を見せられるように『がんばりたい!』と思って戦いました。最高の結果に終われて、うれしい」とは、試合後の渋野の言葉だ。

 最終戦のLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップは、渋野が2位タイで、鈴木は5位タイ。賞金女王の栄冠は、750万円ほど上回った鈴木の頭上に輝いた。

 2人は最後まで、ゴルフ史に刻まれるようないい戦いをした。そしてその余韻は、それから半年以上経過した今なお、この世界に残っている。昨季のラスト2試合で、渋野が巻き返した意味は大きいのだ。