華やかなスポットライトを浴びていたプロスポーツ選手は、引退後にどんな仕事をしているのだろうか。気になる人は多いと思うが、F1ドライバーの場合は現役時代に培った経験、コネクション、名声を基にさまざまな仕事に就いている。F1ドライバー引退…

 華やかなスポットライトを浴びていたプロスポーツ選手は、引退後にどんな仕事をしているのだろうか。気になる人は多いと思うが、F1ドライバーの場合は現役時代に培った経験、コネクション、名声を基にさまざまな仕事に就いている。



F1ドライバー引退後にさまざまな事業を展開し、成功を収めたロジャー・ペンスキー(写真提供/Indianapolis Motor Speedway)

 現場に顔を出す元ドライバーのほとんどは、他のスポーツと同様にメディア関係の仕事やスポンサーのPR活動をしているケースが多い。チャンピオン経験者のジャック・ビルヌーブやデイモン・ヒルを始め、マーティン・ブランドル、デビッド・クルサードなど、数多くの選手がテレビ解説者として活躍している。

 最近、サーキットでよく見かけるのは、自分の子どものサポートをする元ドライバーたちの姿だ。マックス・フェルスタッペンの父親のヨスが代表例だが、ミハエル・シューマッハの息子ミックを始め、たくさんの二世が続々と表舞台に登場している。

 ミハエルの弟ラルフの息子デビッドは、今年からFIA F3選手権にステップアップ。ヨーロッパでは再びふたりのシューマッハがF1に名前を連ねるのではないかと期待されている。ジャン・アレジの息子ジュリアーノは、ミハエルの息子ミックと同様にフェラーリの若手ドライバー育成プログラムのメンバーとなり、FIA F2選手権で戦っている。

 ウイリアムズやマクラーレンで7勝したファン・パブロ・モントーヤの14歳の息子セバスチャンは、今年からイタリアのF4選手権に参戦。ミカ・サロの息子マックスも今年、日本のポルシェ・スプリント・チャレンジ・ジャパンで戦う……。

 このように自身の子どもをサポートする元F1ドライバーたちが、頻繁にサーキットに顔を出している。

 ビジネスの世界に転身する場合は、やはり勝手を知る自動車関連に携わることが多いが、「一番の成功者」といえばアメリカ人のロジャー・ペンスキーだろう。F1に参戦したのは1961年と62年の2シーズンだが、65年のドライバー引退後はシボレーのディーラーを営み大成功。その後、自らのチームを結成してインディカーやNASCARなどのシリーズに参戦。全米を代表する強豪チームとなっている。

 ビジネスも順調に拡大し、現在はシボレー、レクサス、アウディ、メルセデスなどの自動車ディーラーをいくつも抱え、トラック販売や物流、レーシングエンジンの研究・開発を手がけるイルモアの所有など数々の事業に参画している。さらに昨年末には、インディ500マイルレースが開催される聖地インディアナポリス・モーター・スピードウェイを買収。長者番付の発表で知られる経済誌『Forbes』によれば、ペンスキーは12億ドル(約1200億円)もの総資産を築いているという。

 自動車以外の世界でビジネス手腕を発揮したのは、3度の世界チャンピオンのニキ・ラウダ。現役時代の70年代後半から航空ビジネスに参入。墜落事故による会社売却などもあったが、「ラウダエア」「ニキエア」「ラウダモーション」と3つの会社をおこした。ラウダは昨年5月に亡くなったが、2018年に設立されたLCC(格安航空会社)「ラウダモーション」は今も事業展開している。



ニキ・ラウダ(写真右)は引退後に航空会社を創業した(写真提供/Mercedes-AMG)

 1979年にフェラーリで世界チャンピオンになったジョディ・シェクターは引退後に軍事セキュリティ会社を設立して成功を収めた。その会社を売却して大富豪となった現在は、イギリスで有機農業の事業を展開している。

 3度の世界チャンピオンに輝いたネルソン・ピケは、母国ブラジルで通信やGPSを活用したトラックの管理サービスを提供する会社を創業。25年以上も業界トップの地位を占めているという。フェラーリで活躍したエディ・アーバインは不動産業で財を成し、91年にジョーダンをドライブしたベルトラン・ガショーはエナジードリンクを製造・販売する「Hype Energy Drinks」の代表として活躍している。

 変わり種はトヨタやルノーに所属したヤルノ・トゥルーリ。もともと祖父がワイン造りをしていたこともあり、99年にイタリアの歴史あるワイナリー『カストラーニ』社を買収。ワイン造りに精力を注ぎ、現在、世界中にワインを送り出している。

 数は多くないが、政治の道に進んだ者もいる。日本では昨年、山本左近が参議院選に出馬したが、フェラーリやウイリアムズで活躍したカルロス・ロイテマンはF1引退後に母国アルゼンチンのサンタフェ州知事となり、大統領候補にまでなった。イタリア人のアレッサンドロ・ナニーニも地元シエナの市会議員を務め、市長候補になっている。現在は政治家を引退し、家業である老舗菓子店の「ナニーニ製菓」のコンサルタント業務をしている。



引退後、F1チームのオーナーになったアラン・プロスト(写真提供/Renault)

 F1が他のスポーツと大きく異なるのは、引退したドライバーがそのまま現場に残り、チームやメーカーに所属して仕事をするケースが極端に少ないことだろう。4度の世界チャンピオンに輝いたアラン・プロストが、ルノーF1の非常勤役員になっているほか、ラウダが亡くなるまでメルセデスF1の非常勤会長をしていたぐらい。

 自らのチームを持つというのは、自然な流れのようだが、実は最も難しい道なのかもしれない。

 かつてグラハム・ヒル、ジャック・ブラバム、エマーソン・フィッティパルディ、ジャッキー・スチュワート、アラン・プロスト、鈴木亜久里など名だたる選手が自らチームを立ち上げ、F1に挑んだ。しかし、それらの大半が数年の活動期間でチームの解散を余儀なくされている。

 鈴木亜久里は2006年に「スーパーアグリ」のオーナーとしてF1に参戦したが、2年半で活動に終止符が打たれた。鈴木は「F1はとんでもないお金がかかる世界。今後、プライベーター(独立系チーム)が成り立っていくのは難しい」と語った。現在は、スーパーGTでチーム運営をしながら、日本人若手ドライバーの育成に精を出している。



「スーパーアグリ」時代の鈴木亜久里(写真左)と、当時ドライバーだった井出有治

 F1でチームを運営していくためには年間数百億円という活動資金が必要になる。加えて、マシンを開発する技術力、ビジネスセンス、政治力、多国籍のスタッフをまとめるリーダーシップなど、多くの能力が求められる。現役時代に数々の名声をあげたドライバーといえども、グローバルなスポーツビジネスとなったF1で、チームを成り立たせるのは簡単ではない。

 F1ドライバーが創業し現存しているのは1チーム、マクラーレンだけだ。F1で4勝をあげたニュージーランド出身のブルース・マクラーレンが立ち上げた。1966年にデビュー。ブルースは70年に事故死するが、その後チームはブルースの右腕だったメンバーらによって引き継がれ、他チームとの合併などを経て、現在まで活動を続けている。

 もしブルースが生きていたら……。おそらくマクラーレンは、ラウダやプロスト、アイルトン・セナ、ルイス・ハミルトンといった数々の名ドライバーを輩出する強豪チームになっていなかったのかもしれない。