東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第21回 卓球・伊藤美誠初めて3冠を達成した全日本選手権(2018年) アスリートの「覚醒の時」——。 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれな…

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第21回 卓球・伊藤美誠
初めて3冠を達成した全日本選手権(2018年)

 アスリートの「覚醒の時」——。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。

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2018年の全日本選手権でシングルスを制し、3冠を達成した伊藤

 伊藤美誠の進化は止まらない。アスリート覚醒の定義を「目覚めの時」とするなら、伊藤はこの4年間で何度も小さな覚醒を経験している。

 15歳で最年少メダリストになった2016年のリオ五輪後、伊藤は中国人選手に敗れても、再戦で打ち破ってきた。現世界ランキング1位の陳夢に対しては未勝利だが、劉詩雯、朱雨玲、王曼昱らトップ選手から軒並み白星を挙げている。敗戦の悔しさを糧に成長を続け、目指す頂はぐっと近づいた。中国では”大魔王”と称されるなど、卓球王国からもっとも警戒される選手へと変貌を遂げたのだ。

 直近では今年2月にハンガリーオープンのシングルスで優勝。続く3月のカタールオープンでは、リオ五輪金メダリストの丁寧にストレート勝ちして準優勝を果たすなど、ワールドツアーでも昨季後半から好調を維持している。とくに丁寧戦は、結果以上に一方的な内容だった。多彩なバックレシーブで丁寧の裏をかき、ふてぶてしさすら感じさせる冷静な試合運びで、五輪女王は為す術なく敗れ去った。

 近年でこれほど中国勢を圧倒した日本人選手は存在しなかったのではないか。そんな見方も決して大袈裟ではない、出色のパフォーマンスだった。4月には世界ランキング2位まで登りつめ、名実ともに世界のトップ選手としての評価を固めつつある。

 伊藤は3歳から母・美乃りさんの指導で猛特訓を重ね、五輪の金メダルを意識してきた。バックドライブ、逆チキータに無回転強打と、一般的に扱いが難しいとされる「表ソフトラバー」を用いながら回転を自在に操る技術のレパートリーは、母との猛練習で培われてきたものだ。その技術に一瞬のひらめきが加わることで戦術の幅をもたらし、代名詞となっている変幻自在なスタイルが伊藤の独自性を際立たせている。

 卓球のように技術の移り変わりが早い競技においても、伊藤の進化の速度は他と一線を画する。並のアスリートなら「覚醒」と呼べる瞬間ですら、伊藤にとってはその表現が当てはまるか怪しい。冒頭で「小さな覚醒」と表現したのは、決して現状に満足することなく、絶えず変化を恐れない精神力を持つ伊藤にとって、「覚醒」もある意味では通常運転のように感じるからだ。

 それでもより狭義な意味で覚醒を捉えるなら、それを繰り返す伊藤を象徴する瞬間として、2018年の全日本選手権3冠が該当するだろう。

 伊藤はリオ五輪後の2年間、ワールドカップ(2016年10月)、アジア選手権(2017年4月)などを制した平野美宇ほどのインパクトは残せなかった。

「プレッシャーはないつもりでも、どこかで感じていて試合が少し恐かった」

 ワールドツアーで優勝、準優勝するなど結果は残していたが、自身のプレーに納得できていなかった。試合で緊張はしないと公言し、常に前向きで歯切れのいい言葉を口にする伊藤とは思えないコメントも、この時期に残している。

 そんな中で迎えた2018年の日本選手権は、当時17歳とは思えない伊藤の調整力と変貌が際立った大会だった。

 この年の全日本は出だしから好調だった。まずは森薗政崇とのペアで混合ダブルスを優勝。6試合すべてでストレート勝ちと他を寄せつけず、続く女子ダブルスでも早田ひなとのペアで2冠目を手にした。迎えたシングルス準決勝で相対したのは、日本女子のエースとして卓球界をけん引し、若手選手にとって大きな壁になっていた石川佳純だった。

 序盤は積極的にロングサーブを使う石川にペースを握られ、1ゲーム目を奪われた。石川は2ゲーム目もロングサーブを中心に攻めるが、徐々に慣れ始めた伊藤が奪い返す。3ゲーム目にはサーブをカウンターで返すなど、石川の戦術を破って2ゲームを連取する。

 4ゲーム目には伊藤の真骨頂でもある、試合中の調整力が顕著に現れた。ロングサービスにショートサーブを交え、攻め方を変えて攻勢に出た石川にリードされるが、終盤に8連続ポイントを奪い逆転勝ち。続く第5ゲームも制し、ゲームカウント4-1で石川をねじ伏せた。

 決勝の相手はライバルの平野だった。伊藤は2016年の同大会準決勝で平野にストレート負けを喫している。

「全日本の借りは全日本でしか返せない」

“みうみま”対決となった一戦は、リベンジを期す伊藤の意地が1ゲーム目から平野を呑み込んだ。持ち前のテクニックを活かし、足を止めて展開することが多かった従来のスタイルとは異なり、平野が得意とする高速のラリー戦を繰り広げる。

 あえて、ライバルの得意な土壌で真っ向から打ち合う――。そんなメッセージが込められたかのようなモデルチェンジに平野は戸惑った。テクニックに速さと力強さも加わった伊藤は、ラリー勝負では中国人選手すら凌駕した当時の平野に対して一歩も引かずに打ち勝った。試合は終始伊藤ペースで進み、終わってみればゲームカウント4-1と平野を寄せつけず、シングルスでも自身初の優勝を果たした。

 この3冠達成は、福原愛が引退した卓球界に新たな旗手が誕生したことを印象づけた。伊藤は翌2019年の日本選手権でも3冠を獲得。今年も3冠に王手をかけながら、シングルス準決勝で、ダブルスのパートナーである早田ひなに惜敗した。それでも、3年連続の3冠にあと一歩まで迫ったのは、長い歴史の中でも伊藤だけだ。「黄金世代」と呼ばれる選手が次々と台頭し、強敵ひしめく現代の日本女子の中でこれだけの成績を残し続けたことが、この偉業の価値を高めている。

 東京五輪1年間の延期を受け、伊藤はこんなコメントを残している。

「東京五輪開催までの時間を更に充実させ、最高のパフォーマンスを発揮できるよう、これまでと変わらず卓球に打ち込んでいきます」

 中国の主力にはベテランが多いのに対し、伊藤は20歳の若さで来年の東京五輪を迎えることになる。選手としての伸び代が大きく、この1年間をより有意義に活用できるのは伊藤のはずだ。五輪本番で中国の厚く高い壁を破り、金メダルを掲げたとしても、もはや快進撃という表現はそぐわないのかもしれない。