過去12回優勝トロフィーを掲げたラファエル・ナダル(スペイン)は、「全仏オープン」史上最も成功した選手だ。ナダルはその優勝回数だけでなく、数々の忘れられない思い出を残してくれた。その中から、ATP.comが厳選した5つのハイライトをご紹介し…

過去12回優勝トロフィーを掲げたラファエル・ナダル(スペイン)は、「全仏オープン」史上最も成功した選手だ。ナダルはその優勝回数だけでなく、数々の忘れられない思い出を残してくれた。その中から、ATP.comが厳選した5つのハイライトをご紹介しよう。【動画】前人未踏の全仏オープン12回優勝しているナダル

松葉杖でパリへ

ナダルの「全仏オープン」デビューは、2回の怪我が原因で予定より遅れることとなった。2003年には、ナダルの本拠地であるマヨルカ島東部のマナコルでのトレーニング中に右肘を痛めた。翌年には、リシャール・ガスケ(フランス)と対戦し勝利したエストリルでの試合で、左足を疲労骨折してしまった。

ナダルのエージェントであったカルロス・コスタ(スペイン)は、2004年の「全仏オープン」の会場にいたスポンサーに挨拶に行くようナダルを説得した。元世界ランキング10位のコスタは、たとえ数日の訪問であっても、ナダルが会場の雰囲気に親しみ、センターコートであるコート・フィリップ・シャトリエの魅力に気付くことが良い影響を与えるだろうと考えた。

当時まだティーンエイジャーだったナダルは、松葉杖をつきながら飛行機に乗り、会場へとたどり着いた。まず彼は、コート・フィリップ・シャトリエのスタンドの一番上へと登った。

コスタは、「トミー・ロブレド(スペイン)の試合を観に行ったが、(ナダルは)10分しかそこにいられなかった。コートではなく、スタンドにいることが耐えられなかったのさ。その時、彼はチャンピオンだと確信したね」と当時を振り返る。

「私が聞く前に、ナダルの方からあれ以上あそこにいられなかったと言った。自分が勝利を掴む番ではないということにショックを受けたし、あのコートで最初にプレーする時は勝たなければいけない、とね」

2005年6月5日、決勝の舞台でマリアノ・プエルタ(アルゼンチン)に6-7(6)、6-3、6-1、7-5で勝利したナダルは、スタジアムのボックスによじ登り、チームと初めての「全仏オープン」優勝を喜びあった。評論家らはナダルを優勝候補としていたが、それでも19歳での優勝は偉業である。

スタンドでハイタッチをしながら、ナダルはコスタに「ほらね、勝つって言っただろ!」と叫んだ。

ジダンと初優勝

ナダルは、初めてのムスクテール・カップ(「全仏オープン」男子シングルス優勝者に与えられるトロフィー)をフランスのサッカー界のレジェンドであり、現在レアル・マドリードの監督を務めるジネディーヌ・ジダンから受け取った。サッカー好きで知られるナダルは、初の「全仏オープン」のトロフィーをジダンから受け取れたことが非常に嬉しかったようだ。

ロッカールームに戻ったナダルは、ジュースを飲みつつ、当時スペインのスポーツ担当大臣を努めていたJaime Lissavetzky氏と軽く会話を交わした。その後、ナダルは試合で着ていた 緑のノースリーブシャツと白いハーフパンツ姿のまま、トロフィーを抱え木製のベンチに座り、チームと試合を振り返っていた。

その時、2人の特別なゲストがナダルの勝利をたたえ共に写真を取るために近づいてきた。1977年「全仏オープン」チャンピオンのギジェルモ・ ビラス(アルゼンチン)と「全仏オープン」3度優勝経験(1997、2000、2001年)を持つ元世界ランキング1位のグスタボ・クエルテン(ブラジル)だ。

さらにもう1人、「全仏オープン」を3回(1982、1985、1988年)制しているマッツ・ビランデル(スウェーデン)も一緒に写真を撮ろうと声をかけてきた。ビランデルも、ナダルと同じく「全仏オープン」初出場で初優勝した選手だ。

だがその時誰1人として、ナダル自身でさえも、この日彼らがクレー史上最強の選手の誕生を目撃したと想像できる者はいなかっただろう。

月曜日の決勝とナダルを救った「ドラゴンボール」

ナダルが「全仏オープン」最多優勝を目指して7回目の優勝トロフィーを狙っていた2012年、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)との決勝は雨で月曜日に延期になってしまった。

延期が決定した日曜の夜、ナダルはジョコビッチを6-4、6-3、2-6、1-2でリードしていた。だが、ジョコビッチは第3セット0-2から8ゲームを連続で取り、猛烈に追い上げている最中だった。

ナダルはその夜ベッドに横たわりながら、寝ることも緊張を抑えることもできなかったという。真夜中になってもナダルは落ち着かず、ジョコビッチの追い上げについて考えていた。どうにかリラックスできないかと、ナダルはパソコンを立ち上げ鳥山明の漫画を元にしたアニメ「ドラゴンボール」を見始めた。その結果、なんとか動揺を静めて眠ることができたそうだ。

強い雨が降ったため、試合は月曜日の13時に再開された。ナダルは第4セットのサービスブレークをブレークし返し、6-4、6-3、2-6、7-5のスコアで勝者となった。7つ目のムスクテール・カップを手にしたナダルは、ビヨン・ボルグ(スウェーデン)の記録を抜き、「全仏オープン」史上最多優勝回数を誇る選手となった。

「救急車を呼んで!」

2014年の「全仏オープン」決勝でジョコビッチを3-6、7-5、6-2、6-4で下し、9個目のムスクテール・カップを手にしたナダルは、チームが待つスタジアムのボックスへと登り、勝利を祝いあった。叔父でコーチのトニ・ナダル氏の元へたどり着いた時、ナダルは口元を覆い、叔父に救急車を呼んで欲しいと耳打ちした。

トニ氏は「第3セットから痙攣していて、救急車を呼んで欲しいと頼まれたんだ。医師と話したが、彼は生理食塩水を持っていなかった。その後、医者に診てもらって良くなったよ」と説明した。

「ラファエルは痙攣していたからジョコビッチより状態が悪かった。痙攣しながら1時間もプレーしていると、常に及び腰になってしまう。いつもより走らなければいけないし、より慎重にならなければいけない。だからこそ、この試合は卓越したプレーがいくつか必要だった。第4セットで決められなければ、最終セットで勝つのは難しいと分かっていたからね」

ナダルもこのことを試合後の記者会見で明かしている。

「身体的に一番苦しんだ“全仏オープン”だった」とナダルは語った。「自分が空っぽで、すごく疲れていると感じた瞬間が何度かあった。第5セットに入っていたら何が起こったかわからない。何とかして力を出し切ろうとしたと思うけど、とても状態が悪かったし、身体的に限界だった」

「情熱、モチベーション、勝利への強い思い…それら全てがやり遂げたいというメンタリティとなって自分をコートに立たせている。何かはわからないけれど何かの理由で、僕は対処することができた。苦しんで、解決法を見出すことができたんだ。身体的に困難な時に、高いクオリティのテニスをすることができた。どうにかして、優勝する方法を見つけることができたんだ」

ムスクテール・カップのレプリカ

スポーツ界にとって歴史的瞬間となった2017年の「全仏オープン」10度目の優勝を祝うため、大会主催者らは「ラファ・ナダルの10回目」と刻印されたムスクテール・カップのレプリカをナダルにプレゼントすることにした。過去の優勝者でこのようなプレゼントをされた選手はいない。

大会主催者は、10回も優勝したナダルこそ、ムスクテール・カップを保持する最初の選手にふさわしいとこれを決定した。

通常「全仏オープン」優勝者は、決勝戦の後と、その翌日パリの街中でトロフィーと写真を撮るのだが、自宅に持ち帰るのは小さなレプリカだ。だが大会主催者らは、ナダルがラファ ナダル・アカデミーのミュージアムにムスクテール・カップを飾れるよう、実物大のレプリカを作ることにしたのだった。

さらに「全仏オープン」はナダルの10回目の優勝を祝して、セレモニーにも特別な工夫をこらした。まず、スタンドにいるファンが色のついたカードを掲げ、10勝目を表す数字の「10」と、「ブラボー ラファ」と書かれた大きなモザイク模様を作り出した。さらに、通常の手順では絶対にありえないが、叔父のトニ氏がサプライズでコートに現れ、特別なトロフィーを甥に手渡した。

※写真は2019年「全仏オープン」でのナダル

(Photo by Julian Finney/Getty Images)

 

 

翻訳ニュース/ATPTour.com