※この取材は4月20日にリモートで行われたものです。東京パラリンピックへ向けた メダリストの言葉 先天性の病から全盲になった15歳の河合純一(教育=東京・筑波大学付属盲学校)には、二つの夢があった。「世界一のスイマーになること」と「学校の教…

※この取材は4月20日にリモートで行われたものです。

東京パラリンピックへ向けた メダリストの言葉

 先天性の病から全盲になった15歳の河合純一(教育=東京・筑波大学付属盲学校)には、二つの夢があった。「世界一のスイマーになること」と「学校の教師になること」だ。高校生の時にパラリンピックを目指すと決心してからは、毎日1万メートル泳ぐなど練習に取り組んだ。筑波大学附属盲学校高等部に在学中、17歳にしてバルセロナパラリンピックの水泳男子50m自由形B1(※1)と100m自由形B1でそれぞれ銀メダルを獲得。目指していた教員免許を取得するために早稲田大学教育学部に進学してからも、水泳には熱心に取り組んだ。大学では勉強と並行して、水泳部でもトレーニングを重ね、アトランタパラリンピックでは50m自由形B1にて自身初の金メダルを獲得。21歳にして「世界一のスイマー」という一つ目の夢を叶えた。そして大学卒業後は、母校舞阪町立舞阪中学校(現 浜松市立舞阪中学校)に日本初の全盲の教員として着任。「学校の教師」というもう一つの夢も叶えた。教員になってからもシドニーパラリンピック、アテネパラリンピックに出場し、50m自由形3連覇という快挙を成し遂げる。45歳の現在は日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会委員長を務める。現在、東京パラリンピックに向けて様々な準備や共生社会についての講演を精力的に行っている。

講演を通して共生社会やパラリンピックについて伝え続けてきた(写真提供:河合純一氏)

パラリンピックは「限界」突破のきっかけになる

 パラリンピックは「人間の可能性をもう一度見つめ直すきっかけ」を与えてくれるという。無意識のうちに人々が持つ、パラアスリートの身体的能力の「限界」。それをアスリートが超えていく姿は、誰もが自分の限界を超えられるのだ、と人々に気づかせる。選手が乗り越えてきたストーリーや戦法は、選手の数だけあるといっても過言ではない。その多様性が魅力である。中でも河合の出場していたパラ水泳は、「自分の体一つと、それにともなう心、体力と技術」で記録やタイムを伸ばしていく点が競技の醍醐味(だいごみ)だ、という。どのような経緯でその泳ぎ、動きを会得したのか、という部分に注目する事で、より面白いと感じてもらえるのではないかと話す。

選手時代の河合(写真提供:河合純一氏)

アスリートへの期待

  東京パラリンピックの延期について河合は、「(アスリートたちには)今できて、さらに一年先の自分のためになる事って何かな」と考える、前向きな姿勢を期待している。だが一方で、コロナ不況によりスポンサー企業に「(経済的支援を)切られる」恐れのあるアスリートたちを危惧してもいる。経営者にとってパラリンピックアスリートへの支援は「(社会への貢献として)必要不可欠であるという認識が相当ある」。だがその認識によって支援してもらうだけではなく、アスリートたちは、サポート企業にどのように「(今以上に)貢献できるか」考えて競技内外の活動に向き合ってほしいという。

パラリンピックへの期待

 そして、延期となった東京パラリンピック。日本パラリンピック委員会委員長としての目標は「会場を満員にする事」である。パラリンピックチケットの売れ行きは、一次選考で60万枚という過去最高の記録を打ち出しており、好調だ。河合はパラリンピック委員会での取り組みが実を結んだと嬉しく感じるとともに、さらに多くの人に「生の迫力を直接感じてほしい」と呼びかける。会場で観戦する大会は、新聞やテレビと比べて「息遣いや音が全然違う」のを感じてほしいのだという。また、パラアスリートの育成にも目を向けている。報道で(活躍するパラリンピック選手の)露出を増やして注目度を高める事で、パラリンピックを目指す「次世代の選手」を増やしたい。未来を語る言葉には、教育者としての使命感とパラリンピアンとしての熱意が垣間見られた。

(取材、記事 馬塲貴子)

東京2020パラリンピック大会公式HPはこちらから!

https://tokyo2020.org/ja/paralympics/

 

※1障がいの程度による分類のうち、全盲などもっとも重度の視覚障がいがある選手が属するクラス。1996年のアトランタ大会までB1というクラスで、現在の11のクラスに相当する。