記憶に残るF1ドライバー列伝(7)ゲルハルト・ベルガー F1の元ドライバーがチームの首脳としてマネジメントを行なったり、レース運営に携わったりするケースは少ない。おそらく、F1ドライバーというのは「俺様が一番」という人種だからだと思われる。…

記憶に残るF1ドライバー列伝(7)
ゲルハルト・ベルガー
 F1の元ドライバーがチームの首脳としてマネジメントを行なったり、レース運営に携わったりするケースは少ない。おそらく、F1ドライバーというのは「俺様が一番」という人種だからだと思われる。

 かつて日本で初めてF1のレギュラードライバーとなった中嶋悟が「それぞれの国でチャンピオンになり、自分が一番速いと思っている人間が集まっているのがF1」と語っていた。そんな競争の激しい世界ではエゴの塊でなければ生き残っていけないのは事実だろう。



マクラーレン・ホンダ、フェラーリなどで実績を残したゲルハルト・ベルガー

 それはドライバーだけでなく、デザイナーやエンジニア、メカニックなどのスタッフも同じで、下のクラスで実績を残してステップアップしてきた者だけがF1などのトップカテゴリーで働いている。

 そんな者たちが集まったチーム・組織をまとめていくリーダーは、よっぽどの人間力のある者でなければ務まらない。その資質を備えた数少ない元F1ドライバーがオーストリア出身のゲルハルト・ベルガーだ。マクラーレンやフェラーリなどで14シーズンにわたって活躍し、通算10勝をあげた。

 引退後は1999年から2003年までBMWのモータースポーツディレクターとして手腕をふるい、06年から08年には、トロロッソ(現在のアルファタウリ)の共同オーナーを務めた。そして現在は、ヨーロッパで高い人気を誇るドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)を主宰するITRの代表を務めている。

 フェラーリではナイジェル・マンセル、マクラーレンではアイルトン・セナとチームメイトだったベルガー。F1ドライバーの中でもトップクラスのエゴイストふたりと組んでも、ひょうひょうと自分の仕事をこなしていた。気難しいことで知られるセナに数々のいたずらを仕掛け、友人関係を築きあげたというだけでもベルガーの人徳がうかがえるが、人柄の良さだけで生き残っていけるほどF1の世界は甘くない。

 ベルガーは高速サーキットでは無類の速さを発揮し、ここ一番の勝負の舞台で大仕事をやってのける実力と強運の持ち主だった。



マクラーレン時代にチームメイトだったセナ(写真左)とベルガー(写真提供/McLaren Racing)

 特に1988年のイタリアGPはドラマチックなレースとして多くの人の心に刻まれている。このシーズンは、アラン・プロストとセナがドライブするマクラーレン・ホンダが桁違いの速さを見せつけ、全16戦中15勝という大記録を打ち立てる。その最強マクラーレン・ホンダに唯一の黒星をつけたのが当時フェラーリのベルガーだった。

 異次元の走りをみせるマクラーレン・ホンダが連勝を続ける中で迎えた第12戦イタリアGP。その約1カ月前にフェラーリの創始者エンツォ・フェラーリが90歳で死去しており、追悼レースだったのだが、フェラーリの勝利を期待するファンはほとんどいなかった。

 しかし奇跡は起こった。ベルガーが見事に優勝し、チームメイトのミケーレ・アルボレートも2位でゴール。フェラーリは母国GPでワンツー・フィニッシュを達成し、モンツァ・サーキットは喜ぶファンで真っ赤に染まった。

 またマクラーレン・ホンダ在籍時の1992年最終戦オーストラリアGPの優勝は、日本のファンにとっても印象深いレースだ。この年限りでF1を撤退するホンダにとっては、何が何でも勝ちたい一戦だった。頼みのセナはライバルのマンセルと接触して早々と姿を消すが、ベルガーはエンジンにトラブルを抱えながらも若きミハエル・シューマッハの追撃を振り切り、撤退するホンダに勝利をプレゼントするのだった。

 ホンダF1活動の第2期(83~92年)でベルガーの担当エンジニアをしていたのが現在ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治だ。2019年のオーストリアGPでは、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが優勝し、ホンダは13年振りにF1の頂点に立った。

 レッドブル・ホンダの代表として登壇した田辺は、プレゼンターとして登場したベルガーと表彰台で熱い抱擁を交わした。そのシーンに日本の多くのファンが胸を打たれた。田辺はベルガーについて「彼はサーキットで会うと、現役時代と変わらずに『もっとパワーを出せよ』といつも声をかけてくれるんです」と話していた。

 現役時代はいたずら好きな悪ガキぶりばかりが強調されていたが、友情に厚く、気配りの人という素顔がうかがえるエピソードだ。

 昨年11月に富士スピードウェイでスーパーGTとDTMの交流戦が行なわれ、ベルガーはDTMの代表として訪れていたが、そこでも彼が信頼される理由を垣間見た。

 ベルガーはDTMの代表として記者会見に応じたが、各国の記者から「DTMは将来、ハイブリッドカーや電気自動車になっていくのか?」という質問を何度かぶつけられていた。すると彼は「マシンが速くて、エキサイティングなレースをファンの前で見せられれば、電気自動車でもハイブリッドカーでも何でもいいんだよ。でも現状では難しいと思うけど」と元ドライバーとしての本音を話していたが、すぐに笑顔で「私はそう考えているけど、参戦する自動車メーカーの意向もしっかりと組み取らないとね」とメしっかりとフォローする姿があった。



スーパーGTとDTMの交流戦の会見で握手するベルガー(写真右)とスーパーGT運営団体GTAの坂東正明代表

 情に厚く、誰とでも気さくに話し、自分のことだけでなく周りのことも考えられる......。このエゴイストになり切れない性格が、現役時代のベルガーにとってはF1でタイトルに手が届かなかった一つの原因になったのかもしれない。しかし、ドライバー引退後はそんな性格ゆえに周囲から絶大な信頼を集め、モータースポーツの世界で要職を任されているのだ。

【profile】ゲルハルト・ベルガー Gerhard Berger
1959年8月27日、オーストリア生まれ。入門用フォーミュラカーレースでの走りを同郷の先輩で、現在レッドブルのモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコに評価され、ヨーロッパのF3に参戦。その後、順調にステップアップを重ねる。BMWのサポートを受け、84年に25歳でATSからF1デビュー。アロウズ、ベネトン、フェラーリ、マクラーレンで活躍し、97年シーズン限りで引退。BMWやトロロッソで要職を務めた後、一時家業の運送業に携わっていたが、2017年からDTMの代表を務めている。