東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第15回 テニス・錦織圭ジョコビッチ戦を棄権したマイアミ・オープン準決…
東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第15回 テニス・錦織圭
ジョコビッチ戦を棄権したマイアミ・オープン準決勝(2014年)
アスリートの「覚醒の時」——。
それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。
ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。
東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。

マイアミ・オープンを棄権した当時24歳の錦織圭
少しばかりスイートスポットを外した相手のショットが、ベースラインを超える一瞬を見届けると、彼は両手を紺碧の空へと突き上げ、そのまま何度も拳を手元に引き寄せた。
右手からこぼれ落ちたラケットは、スタジアムを揺るがす大歓声のリズムに合わせて、コートを二度三度と小さく跳ねる。
世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が、ベンチのタオルやラケットを手早くバッグに詰め込むその横で、勝者は降り注ぐ暖かな祝福の拍手と陽光を浴びながら、弾むようにコート中央へと踊り出て再び両手を天にかざした。
2014年9月、全米オープン準決勝——。
それは錦織圭のこれまでのキャリアにおいて、最も幸福で輝いた瞬間のひとつである。
そして、この大会後に世界8位へと至った彼は、手首のケガにより長期離脱を強いられる2017年8月までの約3年間、ただの一度もトップ10から落ちていない。その意味でも、あの日のニューヨークの勝利は間違いなく、錦織のターニングポイングだ。
ただ、各々の選手が長いシーズンを戦い、上級者同士が幾度ものその足跡を交錯させるテニスでは、唐突に見える勝利にも必ず布石があり、突然に見える結末も重ねた必然の帰着点である。
錦織の覚醒の時……それは全米オープンからさかのぼること6カ月、ニューヨークから約1700km離れた、マイアミで始まっていた。
天井を縦横に走る空調パイプが小さな唸り声をあげる、やや薄暗い会見室のひな壇の上で、大会トーナメントディレクターと並んで座る錦織は、悄然とまつ毛を伏せていた。
マイアミ・オープン準決勝、対ジョコビッチ戦を控えたなかで急遽開かれたプレスカンファレンス。それは、錦織の棄権を告げるものだった。
その前夜、錦織はロジャー・フェデラー(スイス)をフルセットの熱戦の末に破っていた。さらにその前日にも、炎天下のなか、当時4位のダビド・フェレール(スペイン)相手に3時間5分を走りきり、マッチポイントを4本しのいで勝利を奪い取っている。
勝利への執着心と、それを支えるフィジカルの強さを示して至った、準決勝の舞台。だが、大会を迎える前に痛めていた股関節が、この時点でついに限界に達していた。
「コートに立つことは、できたかもしれない。でも、戦うことはできなかったと思う」
悔しさを押し殺し、ぽつりぽつりと、彼は想いを込めた言葉をこぼす。
「いい試合がずっとできていただけに、準決勝で戦えないのは、本当に残念。でも今の状態では、ジョコビッチに勝つチャンスはないと思った」
のちに聞いた話では、試合当日の練習時まで出場を切望する錦織を、当時の帯同トレーナーの中尾公一氏がなんとか説得したという。
「この状態ではジョコビッチに勝つチャンスはない。戦う姿を見せられないのは、お客さんに対しても失礼になる。彼に勝つチャンスは、必ずまた来るから」……と。
会見で本人が悔恨とともに口にした「今までで一番と言えるくらい、いい一週間だった」の充実感は、次にあげる言葉に根拠があったのだろう。
「すべてがレベルアップしていると思いますが、まずはサーブが以前よりよくなっている。サーブで危機をしのげる点に、大きな違いを感じます。それにストロークでも、大切な場面でエラーを出さないのが、去年より全然よくなっている点です」
錦織が躍進を果たした2014年という年は、新たにマイケル・チャンをコーチに招き、技術面やプレースタイルでも大きな変革を試み挑んだシーズンだった。
技術面で大きいのが、サーブの改善。とくに、バウンド後にワイドに切れるスライスサーブに、決定的な進化が見られた。
マイアミ大会でその成果が最も顕著に現れたのが、3回戦のグリゴール・ディミトロフ(ブルガリア)戦。7−6、7−5のスコアで得た辛勝は、相手にブレークポイントをわずかひとつしか許さず、自身のサービスゲームはすべてキープし手にした、その実、盤石の勝利だった。
ストロークの成長やプレースタイルの変化が最大限に発揮されたのが、フェデラーとの準々決勝である。
この試合の立ち上がり、錦織はフェデラーの速い展開力についていけず、「まだ敵わないのか……」との敗北感すら脳裏をかすめた。
だが、第2セットからはバウンド後の早いタイミングでボールを捉え、左右に打ち分ける錦織のスピードがフェデラーの時間を侵食していく。第3セットに入った時には「腕が振り抜けるようになり、違った自信が芽生えた。ストロークで負ける気がしなかった」と言うまでに、錦織はフェデラーを飲んでいた。
深夜まで及んだこの熱戦の翌日、錦織はジョコビッチとの戦いのコートに立つことなく、準決勝敗退を受け入れる。
ただ、「正直、痛いのは股関節だけだった。普段だったら、ほかにも痛みや身体の重みもあったと思うけれど、今回はそれがまったくなかった。身体は確実に強くなっているし、テニスもいい」の言葉のなかに、敗北を拒絶する強さが鋭い光を放っていた。
それから、半年後——。
マイアミの誓いはニューヨークの空の下で、2万人のテニスファンが見守るなか、世界最大のテニス専用スタジアムで叶った。