「年齢に関しては、マイナスしかない」 先日、テレビ番組で放送された松岡修造氏によるインタビューで、錦織圭がそう答えるのを聞き、軽い衝撃を受けた。錦織圭も昨年12月に30歳となった 彼が、流れ行く時間と自らの相関について、ここまで実感のこもっ…

「年齢に関しては、マイナスしかない」

 先日、テレビ番組で放送された松岡修造氏によるインタビューで、錦織圭がそう答えるのを聞き、軽い衝撃を受けた。



錦織圭も昨年12月に30歳となった

 彼が、流れ行く時間と自らの相関について、ここまで実感のこもった言葉を公(おおやけ)の場で口にするのは、初めてのように思ったからだ。

 18歳での衝撃的なATPツアー優勝で世界に名を知らしめた彼も、30歳を迎えて半年が経った。それも昨年10月に右ひじにメスを入れ、実戦から長く離脱したまま、このコロナ禍による自粛期に突入している。

 現時点で、世界のテニスツアーは7月いっぱいまでの中断が確定しており、8月以降に再開されるかも疑わしい。錦織は昨年末、「30歳になって、残りの……引退のほうが、どちらかというと近くなってきた」と、自身のキャリアを客観視もしていた。

 それは、単なる年齢的な区切りのみならず、自身より10歳近い年少者たちが隊列を成して追い上げる足音を、耳に捉えたからでもあるだろう。

 時間は……とくにアスリートにとっての時間は、多くの側面で”追う者”の味方だ。

 錦織はこれまで長く、”追う者”の側に身を置いていた。年齢的には中堅やベテランに差しかかる20代半ばから後半を迎えても、彼の上位には常に、8歳年長のロジャー・フェデラー(スイス)を筆頭に年上が君臨していたからだ。

 錦織がトップ10入りした2014年以降の年間最終ランキングを見ても、2014年と2015年は彼より上位に年少者はいない。5位で終えた2016年になって初めて、1歳年少のミロシュ・ラオニッチ(カナダ)が3位に食い込んできたくらいだ。

 その潮流に明確な変化が生まれたのが、手首のケガによりシーズン後半を欠場した2017年。この年は、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)やアンディ・マリー(イギリス)らほかの上位選手たちも戦線離脱したことにより、年間最終トップ10のうち6選手が錦織より年少者だった。

 とりわけ異彩を放つのが、4位のアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)。ふたつのATPマスターズ1000タイトルを手にした彼は、この時、弱冠二十歳だった。

“追う者”あるいは”年少者”は、テニスプレーヤー錦織圭を形成する重要なファクターかもしれない。

 錦織が父親の手ほどきで初めてラケットを握った5歳の日から、彼のかたわらには常に、4歳年長の姉がいた。この時期の4年間が、フィジカル面でどれだけの差を生むかは想像に難くない。小柄な身体で知恵をしぼり、あの手この手を講じて姉に立ち向かうが、勝てない日は長く続いた。

 錦織は、自分を「究極の負けず嫌い」だと定義する。その彼に「どうして子どもの頃は毎日お姉さんに負けていたのに、テニスが嫌にならなかったのか?」と尋ねたことがある。

 すると彼は、目をパチクリとさせて「たしかにそうですね、なんでだろう? やめていてもおかしくないですよね」と、無邪気に自問し小首をかしげた。現に彼は幼い頃、家族とのトランプやカードゲームで負け始めると、「眠い」と中座し部屋に向かうこともしばしばだったという。

 ただ、テニスは違った。その「なぜ」に対し、彼はしばらく考えたあと、自分に問いかけるように言った。

「スポーツって勝つ楽しみだけじゃなく、負ける悔しさっていうのは2倍3倍バネになるので。あとは、負けながらもいいショットが打てたり、いいポイントが取れたり……その楽しさがあったので、たぶんそれを追求したいと思ったのかな? もっといいプレーをしたいとか、もっと強くなりたいとか」

 錦織家の姉弟が揃ってテニスを始めてから、6年ほど経った冬——。弟は姉を一気に追い抜き、その後は負けることがなかったという。強者を追い、年長者を抜かしていく痛快さは、錦織圭のテニスの原点なのだろう。

 追う対象が年長者だった錦織にとって、時間や年齢はそこまでネガティブに捉える要因ではなかったようだ。

 25歳の頃は「30歳って自分の中では歳というか……いろんな意味でまだ見えないので」と漠然とした不安を抱きながらも、「現実を見ても、フェデラーが強かったり、30歳を過ぎてキャリアハイを迎える選手もいるので」と先達の背を道標にした。

 実際に30歳が近づいた1年前も、「今のところ、年齢はまったく気にしてないですね。体力的な衰えや疲れも感じてないので。20代前半の頃は30歳くらいでやめるのかと思ってましたが、今のところまったくない」と、いまだ心身ともにテニスを渇望していることを明言した。
 
 ただ同時に、若手が猛スピードで経験を積んで結果も残す現実が、これまでの”追う者”の視座で見ていた世界模様を反転させた側面もあるようだ。

「数年前までは、30〜40位くらいの選手にあまり脅威は感じなかったが、最近は70〜80位の選手も、誰に勝っても不思議ではないレベルになっている」

 変わりゆく現状をそう分析したのは、ちょうど1年前の全仏オープンの時であった。

 あるいは昨年のATPファイナルズを、21歳のステファノス・チチパス(ギリシャ)が26歳のドミニク・ティエム(オーストリア)を破って制したことを受け、「今年は例年と違う顔ぶれでしたが、またレベルが上がってきた。とくに決勝に行ったふたりは伸びている……レベルがちょっと違うなと思いました」との実感も漏らした。

「年齢に関しては、マイナスしかない」

 これは、それらの葛藤からこぼれ落ちた本心だろう。

 トップアスリートとして残された時間が過ぎたそれより短くなったことは、前述したように本人も自覚している。

 同時に、だからこそ今を、そしてこれからを慈しむ気持ちも一層強くなっているのだろう。

 先日、錦織はアスリートとファンをつなげる音声配信サービス『NowVoice』にて、子どもたちに向けて次のようなメッセージを発している。

「30歳になっても、まだまだたくさんできることが増えている」

 そして、だからこそ……と、彼はメッセージを次の言葉で締めくくった。

「グランドスラムでもいつか決勝の舞台に戻って戦いたいし、その夢に向かってがんばっていきたいなと思います」