2020年5月7日。日本ラグビーフットボール協会から、2019年度の「ラグビーコーチングアワード」の受賞者が発表された。 この賞は、ラグビー指導者の資質向上と、学習意欲の高い指導者のコミュニティ創出を目的に2017年度から制定され、今回は…

 2020年5月7日。日本ラグビーフットボール協会から、2019年度の「ラグビーコーチングアワード」の受賞者が発表された。

 この賞は、ラグビー指導者の資質向上と、学習意欲の高い指導者のコミュニティ創出を目的に2017年度から制定され、今回はワールドカップ2019で「ONE TEAM」のスローガンのもと日本を初の決勝トーナメント進出、ベスト8へと導いたジェイミー・ジョセフヘッドコーチの特別大賞を筆頭に、最優秀賞・優秀賞・特別賞・コーチ賞・日本代表カテゴリーコーチ賞で、合計14名の指導者がその栄誉に浴することになった。

 そして、3種類のコーチ賞(変革賞・フロンティア賞・スキルコーチング賞)のうち、地方からの果敢なチャレンジと開拓精神で新しいラグビー文化を全国にアピールした指導者に与えられるフロンティア賞を、第99回全国高等学校ラグビーフットボール大会でベスト16入りを果たし、全国屈指の進学校として「文武両道」旋風を巻き起こした埼玉県立浦和高等学校(通称・浦高)ラグビー部の三宅邦隆先生が手にしたのだ。



激戦の埼玉を勝ち抜き、花園に出場した浦和高校ラグビー部

「受賞の連絡があったのは、新型コロナの影響で、在宅で仕事をしていた時だったんです。ちょうど子供もいたので、電話ではあまり実感がわかなかったのですが、改めて考えてみると、僕がもらっていいものなのかなと。浦高ラグビー部としてもらえたら、もっと喜びを前面に出せるのかなと思いましたね」

 受賞者らしからぬ控え目な口調で、三宅先生は続けた。

「浦高は、高校に入ってからラグビーを始める初心者が多いんです。だから、基礎練習を含め、ちゃんと『教える』ということが70年間、ずっと続いてきているんです。そこに僕は、『考えさせる』と『任せる』ということをプラスしていっただけなんですよ」

 3年前、前任の小林剛先生から監督を引き継いだ当初、三宅先生には「もっと教えてもらいたい」という部員からの声が集まってきた。だが、三宅先生はそんな彼らをあえて突き放し、生徒たち自身に考えさせ、生徒たちにすべてを任せるコーチングに徹した。

「だから、花園での試合では、僕が何か指示を出せば出すほど生徒たちの動きが硬くなってしまい、全部裏目に出てしまったんです。そこで途中からは、いつも通り、全部彼らに任せるようにしました」

 すると、それが生徒たちの飛躍的な伸びを生んだ。

 玉島との1回戦で花園初勝利を挙げ、青森山田との2回戦ではトライ合戦を制し、年をまたいだ元旦の3回戦では、この大会で頂点に立った桐蔭学園に5対78と完敗。とはいえ、一矢を報いた伝統のモールからのトライは、まさに三宅先生の”生徒たちに考えさせ、任せる”というコーチングが結実した瞬間だったのだ。

 こうして、「文武両道」の「武」でひとつの結果を残してきた浦高ラグビー部の生徒たち。それでは、もうひとつの「文」ではどうだったのか?

 センター試験の直前まで花園で戦った、浦高ラグビー部3年生(当時)の「文武両道」を追ってみると……。

* * *

「自分たちの代の13人は、2勝11敗。2勝は筑波大学の体育専門学群と人間科学群に現役合格した2人で、11敗は、東大(2人)、京大(1人)、東北大(3人)、北海道大(2人)、名古屋大(1人)、東京都立大(1人)、早稲田大(1人)に落ちた浪人の11人になります」

 こと細かにそう話してくれたのは、浦高ラグビー部の元キャプテンで、花園ではナンバー8としてチームを先頭で引っ張っていた松永拓実君。

「やっぱり、花園が終わってからセンター試験までは集中できなかったですね。気が緩んでいたのかなと。急に動かなくなったので体重も増えてしまって、センター試験直後には体調も崩しちゃいましたし、早大を受験した時点で浪人を覚悟しました」

 一方、現役合格は果たせなかったものの、花園が終わってからセンター試験を経て、国公立大学の2次試験までの40日間の短期決戦で「文」に手応えを感じたのが、11番のWTB(ウイング)として花園でも活躍した吉村幸輔君だ。

「浦高の時のモチベーションは花園に出場することだったんですよ。それが達成できた後、今度は受験に切り替えていくことになるんですが、正直、ラグビーと勉強を両立していた時よりも楽でした。このまま現役で東大に行けるんじゃないかなと思ったんですが、最後は追い込み切れなかった。どこかに甘えがあったんでしょうね」

 新型コロナウイルスの影響と緊急事態宣言の発令により、これまでとはまったく違った状況でスタートした浪人生活。この期間、2人とも予備校に通って授業を受けることはできず、ずっと家で動画授業を見ながら勉強する日々が続いていた。

 ともすれば易きに流れていってしまいそうななか、松永君はそうした状況をプラスと捉え、これまでラグビーという「武」に傾けていたものを、今自分がやるべき「文」に100パーセント傾けることにした。同様に、吉村君は本来なら予備校に通うはずだった往復の時間でさえも家で勉強できるチャンスと発想を転換、どうすればそこで質の高い時間を過ごしていけるのか、自身を律しながらタイムマネジメントしていった。

 そんな2人に共通するのが、現役時代、浦高ラグビー部で三宅先生のコーチングにより培われてきた「守・破・離」(しゅ・は・り)という浦高の教育方針なのである。



生徒たちに考えさせるラグビー指導で結果を出した三宅邦隆先生

 もともと「守・破・離」とは、茶道や武道などの道を究めようとする世界における師弟関係の修習のプロセス、つまり、最初、弟子は師匠から教わった型を自分のものとするまで守り、次に、その身につけた型を自ら考えることで破り、最後は、型から離れ、自由自在な存在になるプロセスをあらわす言葉になる。

 浦高では、この「守・破・離」を3年間の高校生活に当てはめているのだ。

「守」
浦高生になる。「授業で勝負」の浦高で、予習─授業─復習の仕方を体得し、学校生活のあり方を学ぶ。部活動等との両立も会得する。

「破」
浦高生として挑戦する。浦高の型を体得した上で、さらに自分の可能性を追求する。学習にしっかり取り組みつつ、部活動や行事、委員会活動など、やりたいこと、なすべきことに全力で取り組む。

「離」
浦高生として自走する。独り立ちし、将来に向け自分自身の道を歩み始める。大人としての自覚を持つ。

(※ 埼玉県立浦和高等学校のホームページからの引用)

 三宅先生は、これまで自分がしてきたコーチングは、この「守・破・離」そのものであると語る。

「先程、少し話が出ましたが、浦高でラグビーを始める生徒たちは、ほとんどが初心者になります。だから、最初は『守』として教え込むことも必要になってきます。例えば、ラグビーでスクラムから攻める状況になった時、順目・逆目サイドのアタック方法や、その際のフォワードとバックスの位置取りなどにはいくつかのオプションがあり、いろいろな動きのパターンやそのためのスキルを、まずは教えていかなければなりません」

「すると、生徒たちはそれをベースに自分たちで考えながら、何度も何度も失敗して、それを自分たちにフィードバックしていく、次の『破』の段階に入っていくんです。そうすることで、生徒たちはいろいろなパターンを、対戦チームに合わせて使っていけるようになります」

「こうして、最後の『離』ですべてを任された生徒たちは、新しいプレーのアイディアを自ら出し、自ら練習し、それを試合で発揮していくんです。任されることで伸び伸びと、気持ちよくプレーしていけるようになるんですね。それが、今回の花園だったのではないかと僕は思うんですよ」

 今年度から、三宅先生は浦高ラグビー部の監督を退き、ラグビー部全体を裏側からサポートしていく部長になる。後任には二人三脚で花園を戦ってくれた山本義明先生が就き、コーチングの精度を上げながら、今回のベスト16を超えるさらなる高みを目指していこうとしているのだ。

 そして、松永君も吉村君も、こうした三宅先生のコーチングから浦高の「守・破・離」を学び、全力で取り組んでいくことで、独り立ちして歩み出していけるようになった。それは、現在の浪人生活でも活かされている。吉村君が言う。

「花園は本当にうれしかったです。3年間の苦労が報われましたし、僕もうれしかったですし、いろんな人たちも喜んでくれました。でも、受験は自分との戦いになるんです。だから、自分の喜びのために、まずは勉強していきたいと思っています」

 さらに、吉村君はこう付け加えてくれた。

「まだ、僕は浦高の文武両道の結果を出していません。現役時代、『文』では何も成し遂げてないですし、『文』はこれからになるんです。浪人して、東大に合格してはじめて、文武両道が成し遂げられると思っているんです」

 松永君も、この点では吉村君と同じ考えになる。

「現役では『武』ばっかりだったので、浪人してようやく『文』が始まったばかりになるんです。でも、勉強もラグビーと同じで、ひとつずつ、1個ずつ攻めていきたいですね。浪人という『文』の1年に集中していければ……と」

 すでに松永君は、その先にある夢にも想いを馳せている。

「1年後、早大のラグビー部に入ります。小さい頃からの夢だった赤黒のジャージを着て、新しくなった国立競技場のフィールドに立ちたいと思っているので!」

 文武両道は高校で終わるものではない。

 浪人しても、大学に入ってからも、社会に入ってからも、これからの人生でいつまでも糧になっていくものなのである。

 それが、浦高ラグビー部の「文武両道」というものなのだ。

(門脇そら●協力)