突然ですが皆さん、授業科目に「体育」はあっただろうか。ここで「当たり前だ」と思う人が多いことが予想されるが、発展途上国では無い学校がほとんど。遊び盛りの子どもたちは思うように体を動かせないのが現状だ。そういった状況を打破すべく、ダブルダッチ…
突然ですが皆さん、授業科目に「体育」はあっただろうか。ここで「当たり前だ」と思う人が多いことが予想されるが、発展途上国では無い学校がほとんど。遊び盛りの子どもたちは思うように体を動かせないのが現状だ。そういった状況を打破すべく、ダブルダッチシーンで日本中から使っていない縄跳びを集めて発展途上国の小学校に持っていってパフォーマンスと共に届ける「ROPEACE PROJECT(ローピース プロジェクト)」が立ち上がった。『ALL STYLE JUMPERS』の記念すべき10回目は、世界にダブルダッチを広げることに挑戦するROPEACE PROJECTメンバー。リーダーの片山弘之さんは「きっかけはたった一本の縄跳び。けど、その縄跳びで世界中を笑顔にしたいんだ」と語りかける。
左から松下さん、小野さん、片山さん
ダブルダッチで、友だっち
ROPEACE PROJECTは、三人のメンバーから始まった。青山学院大学を卒業し、精力的に社会人でのダブルダッチの普及活動をしていた片山弘之さん、日本体育大学で数々の成績を残し、社会人プレイヤーとして活動していた小野健太さん、山梨大学でダブルダッチサークルで、地方の壁を取り除くべく学生時代はよく東京に来ていたという松下綾太さん。共通点は、「ダブルダッチを通してたくさんの人と繋がりたい」という想いを持っていたことだった。
始まったのは2015年。当時、フランスで同時多発テロがあった。SNSで溢れた「PRAY FOR FRANCE」というメッセージを眺めて、片山さんは思った。「世界中に友達がいたら、思いやりがあふれて繋がり合う世界になれるんじゃないか。」そのとき脳裏によぎったのは「ダブルダッチで、友だっち」。尊敬する先輩が、子どもたちにダブルダッチや縄跳びを教えるときに、いつも言っていた言葉。片山さんは10年前にダブルダッチに出会ったとき、「世界中に友だっちを作りたい」という夢を持っていたことを思い出した。
縄跳びを持ったらみんな友だち
「世界中が友だっちになったら、争い事なんてなくなるんじゃないか。ダブルダッチを世界中に広げる事業を、形にすべきだ」。そう信じて、まずは志を共にする小野さんと松下さんに声をかけた。10年越しの夢が、形を見せ始めた。
ROPEでPEACEをつくる
ダブルダッチを世界に広めたい、でもどう広めるべきか…。ときには夜通しの話し合いをし、試行錯誤する日々が続いた。しかし、2つのきっかけで進展をみせる。
縄跳び遊びに夢中になる子どもたち
片山さんが日本で使わなくなった文房具を集めて発展途上国へ届けているNGO団体「時遊人」との出会ったことと、当時Jリーグアジア戦略のプロモーション業務の延長として、Jクラブのサポーターから預かったユニフォームをアジアの発展途上国の子供たちに届けるという企画を聞いたこと。この2つをシェアして一つの構想が浮かんだ。「日本の教育では、必ず小学校低学年で縄跳びが取り入れられているが、この縄跳びはずっとは使わないので家で余っている。同じように使われなくなった縄跳びを持っていったら、子どもたちは喜ぶのでは。そして、縄跳びを織り交ぜたダブルダッチのパフォーマンスで、縄跳びの楽しさを伝えられるのではないか」。そうして、プロジェクト名はROPEでPEACEを作る「ROPEACE」と決まり、プロジェクトが始まった。2016年1月3日。片山さんの夢が、一気に加速していった。
プロジェクトの構想が決まって早速、NGO団体「時遊人」から「よかったら一緒にベトナムの小学校に支援に行かないか」と誘いをもらい、急遽2月に第1弾を開催することになった。急いで縄跳びの寄付をSNS上で呼びかけたところ、どうにか前日に100本を持っていく目標を達成することができた。
はじめて縄跳びを届けたベトナムの学校
縄跳びを持っていく時に、初回から貫いていることがある。それは、現地に郵送せず、スーツケースの中に入れて手で持っていき、手渡しをすることだ。「とにかく最初は、日本からいろんな人の想いがつまった縄跳びを無くしちゃいけないって思って必死でした。そう思ったら、絶対に無くしたくない。なので、この時から手荷物の中に入れて現地へ届けることにしました。」と片山さん。
スーツケースに入れて縄跳びを持っていく
「ベトナムに着いてパフォーマンスを披露したら、日本よりも純粋に歓声をあげる子どもたちを見てうれしくなった。そして縄跳びを取り出したら、めちゃめちゃ飛びついてきて(笑)あの瞬間は忘れられませんね。このプロジェクトに可能性を感じました」と振り返る。
想いが循環する「ピースロープ」
日本に帰って、新たなプロジェクトの施策を練っていると、一つ懸念があがってきた。縄跳びや募金は「寄付してください」という呼びかけで集まるのかという問題だ。日本では寄付をする文化が日常的ではないため、難しさが感じられた。
しかしその時、小野さんは日本でうまくいっている寄付の仕組みがあることに気づいた。「赤い羽根募金」だ。「思い出したんです。小学校の時『赤い羽根』が欲しくて募金していた。何かモノがあれば募金したり協力しやすくなるんじゃないかって」と小野さん。「だったら、縄跳び関連のかわいらしいものがいい。カラフルな細い縄を使って作ったストラップをプレゼントしようと『ピースロープ』が生まれました。この『ピースロープ』は、現地で子どもたちと一緒につくって、寄付した人にはそれがお礼として渡される。こうして、想いを循環していったら、一方通行じゃない支援になるんじゃないかと考えました」。
現地の子どもたちとピースロープづくり
子どもたちが一生懸命作ってくれたピースロープ
もしも、ピースロープが世界中に広まったら、縄跳びを通して世界がつながったことになる。縄跳びで世界をつなぐ想いをこめ、ROPEACEのロゴは、ピースロープで5大陸がつながるデザインを施した。
縄跳びで世界をつなぐ想いをこめたROPEACEのロゴ
ついにROPEACE PROJECTツアー開催
こうして、ROPEACE PROJECTの構想が決まった。5月には訪問先をネパールに決めて、初の主催ツアー「ROPEACE PROJECTツアー」を企画した。参加者を呼びかけたところ7人のツアー参加者も集まり、合計10人で1000本の縄跳びを届けることになった。
「最初のツアーでたまたま一校目が特別支援学級でした。2015年にネパールでは震災があり、その被害がひどかったラムチェ村に行ったんです。1年経っても復旧されていなくて、教室の中は電気がついてなくて、薄暗いままでした。そんな中でしたが、パフォーマンスをしたら、盲目の子が見えてないはずなのに喜んでいたり、足が動かない子がほふく前進でやってきて縄をとぼうとしてみたり。ただただ、縄で遊ぶことを楽しんでいる姿を見て、『これだな』と想いました。縄跳び・ダブルダッチは、どんな子でも一緒になって笑って楽しめると確信したんです」と松下さん。
そして、まわった小学校では「捨てられるはず」だった縄跳びが、子供が欲しがって勢いよく飛びついてきた。手にしたら嬉しそうに縄跳びをし始めた。ピースロープづくりも、積極的に参加してメンバーの手付きを真似して、作っていった。メンバーは日を追うごとに生き生きと子どもたちとふれあい、友達になっている。この様子を見て、確信が生まれた。「このプロジェクトを続けていったら、本当に作りたい未来につながるのかもしれない」
主催ツアーは日本全国から10人の仲間が集まった
「日本に行きたい」ネパールの子ども達
実は、筆者である私もROPEACE PROJECTに参加したことがある。ネパールは、無いものだらけだった。きれいな水、熱いシャワー、整備された道、清潔なトイレ。日本にあって当たり前のものは無い。ただ、ゆっくり時間が流れていてどこに行っても人々は親切でにこにこ笑って私たち日本人を出迎えてくれた。「ナマステ」と言うと、小さな子供からご高齢の方まで必ず「ナマステ」と、心を込めて返してくれた。ちなみに、アジアの最貧国、ネパールの平均月収は一万円ほどだ。
小学校でのパフォーマンスが始まると、子どもたちの地鳴りのような歓声が、全方向から聞こえてきた。縄の中でアクロバットや三倍速で跳ぶ「スピード」という技を魅せると、音楽が聞こえなくなった。土ぼこりが舞う中、子どもたちが前のめりになって拍手している。 パフォーマンスが終わると、子どもたちが駆け寄ってきた。日本から彼らに届けるために集めてきた縄跳びを渡して一緒に跳んでみせると嬉しそうに笑い、「ワンモア!」とせがんでくる子達に私も夢中になり、何度も一緒に跳んだ。
子どもたちから大歓声を浴びたパフォーマンス
子どもたちに感想を聞くと「こんな素晴らしいパフォーマンス見たこと無い!!アメージング!」「初めて音楽を含めたパフォーマンスを見て感動した」と、興奮気味に話してくれた。その後、一緒に縄跳びをして遊んだり話したり、楽しい時間を過ごした。会話の中で疑問を抱いたのが、しきりに「日本に行きたい」と話したこと。なぜなのだろうか。
ツアーのアテンドをしてくれたアシスという青年から、ネパールの実情を聞いた。「16〜17歳になったらほとんどの人が『仕事がない』と、外国に出ていってしまいます。正直、田舎の小学校の子たちは学校なんて毎日行けません。子供の時から仕事をします。大きくなると、職業の少なさや勤務時間の幅が聞きづらいこと、給料が少ないことなどに気づき、若い人たちはどんどん出ていってしまいます。留学生の学生ビザをとって、働くために出ていきます。村はどんどん高齢化が進んでいきます…。でも、海外でいいように働かされて死んでしまうこともよくある話です。それは子どもたちは分かっていない」。
アシスとツアーメンバー
アシスは続けてこう話した。「今回のツアーで、ROPEACEのみなさんが子どもたちのために、頑張っている姿を見てすごい…って感動しました。『ありがとう』って想いでいっぱいです。ネパールには公園や校庭がほとんどないから、サッカーやバレーができない。でも、縄跳びだったら広い場所がいらず、遊ぶことができます。ずっと一緒にいて、子どもたちが喜んでいるのを見て、感動しました。早く多くの人に伝えていきたい」と。アシスの晴れやかな表情を見て 、私は決めた。この体験を必ず多くの人に伝えようと。
アシスとのお別れ
銃を縄跳びに持ち替えて
「これはね、『恩返し』なんです」と片山さん。「僕は、ダブルダッチに出会って、縄跳びも含めてすごく好きで、たくさん幸せな気持ちをもらいました。これからも関わっていたいし、この業界を盛り上げていきたい。ってなったら、ダブルダッチを世界中の人に知ってほしいですよね。そして、一緒に行ったメンバーが『ダブルダッチってすごいんだ』ってことも気づいて欲しい。僕たちがやっているパフォーマンスは、確かに遠くに住む子どもたちに夢を与えることができるんです。世界のどこかで銃をもっている人に、縄跳びをあげたい。縄跳びに持ち替えたら、笑うしかないんですよ」。
縄跳びを持って思いっきりはしゃぐ子ども
この活動は、彼らの生活に直結することではない。食べ物や服は無かったら困るが、縄跳びはなくても生きていける。世界には、もっともっと、困っている人たちがいるのかもしれない。
でも。
もしも、身近にある縄跳びで、彼らの弾けるような笑顔を見られるのならば。私は何度だってここに来ようと思った。そして、ネパールにできた友人たちの助けになることはなんでもしたい、そう思った。「あなたは三番目の娘よ!」と笑って、オリジナルのワンピースを作ってくれた仕立て屋さんのお母さん、ボイスパーカッションを披露してくれた男の子、「またね!」と「いいね!」を覚えて使ってくれる子供たち…。彼らは一人残らず友人だ。ダブルダッチは世界をつないでくれた。友人が困っているならば、助ける。ただ、シンプルなことなのだ。それでいい。そう確信に変わった。一緒にダブルダッチや縄跳びをして楽しんで、素敵な友人たちのことを日本の周りの人に知らせよう。そしてまた、来よう。
これからの世界をつなぐのは、たった一本の縄跳びが始まりなのかもしれない。
取材・文 小田切萌