リーガに挑んだ日本人(11) 2015年まで、リーガ・エスパニョーラに挑んだ日本人は、全員が攻撃的なポジションの選手たちだった。 欧州全体を見渡せば、攻撃の一手ともなるサイドバックに関しては、内田篤人(鹿島アントラーズ)、長友佑都(ガラタサ…
リーガに挑んだ日本人(11)
2015年まで、リーガ・エスパニョーラに挑んだ日本人は、全員が攻撃的なポジションの選手たちだった。
欧州全体を見渡せば、攻撃の一手ともなるサイドバックに関しては、内田篤人(鹿島アントラーズ)、長友佑都(ガラタサライ)、酒井高徳(ヴィッセル神戸)、酒井宏樹(マルセイユ)など、多くの選手が戦いの成果をあげていた。中田浩二も、守備的なユーティリティとしてバーゼルなどで活躍。ただしセンターバックは希少で、ほぼ吉田麻也(サンプドリア)の独壇場だった。
リーガ・エスパニョーラでも、かつて田中闘莉王マルクスの獲得の噂が流れたものの、実現していない。ひとつの理由は体格的な問題があるだろう。日本人はどうしてもサイズ的にパワーの面で劣る。また、後方中央の選手(GKも含めて)はコミュニケーションが重要で、日本人には言葉のハンデがあった。
2016年から2シーズン半、ヒムナスティック・タラゴナでプレーした鈴木大輔
「日本人選手のセンターバック」
その発想はなかった。
鈴木大輔(現浦和レッズ)は、閉ざされていた扉を開けて踏み入ったのである。
2016年1月1日、柏レイソルに所属していた鈴木大輔は、自らクラブとの契約を解消した。スペイン1部のラージョ・バジェカーノから打診はあったものの、合意はなかった。
「このタイミングしかない、と。厳しい場所に身を置いた時に成長してから、これが自分の道だと思っていました」
鈴木は当時、心境を語っていた。
スペインのクラブを中心に移籍先を打診したが、1月末に移籍マーケットが閉まってもオファーはなかった。2月に入って、フリーの鈴木は状況的に追い込まれ、Jリーグのクラブに再入団する選択肢も出てきた。しかし彼はそれを断って、機会を待ち続ける。
その結果、リーガ2部のヒムナスティック・タラゴナからの「練習参加」のオファーをつかむ。翌日にはスペインへ飛び、そこで僥倖があった。ヘッドコーチのナノ・リバスは、2013年アジアチャンピオンズリーグ(ACL)で戦った貴州人和のセンターバックだったのである。そのシーズン、鈴木はACLベスト11(ドリームチーム)に選出され、柏のベスト4進出に貢献。当時の好印象は、押しの一手になった。
1週間の練習で、入団が決まっている。鈴木は人生の賭けに勝った余勢を駆って、まずは右サイドバックでポジションを得た。
「バカになれるのが、自分の才能かもしれません」
退路を断って道を得た鈴木は、そう振り返っていた。
「スペインでは、1試合1試合で評価が逆転していくな、と思いました。どんどんチームがアップデートされる。最終節のスタメンは、1月以降の補強で入った選手が半分近くでした。そもそも(鈴木が最初に務めた)右サイドバックはキャプテンのポジションだったんですが、出場停止で自分が入り、プレーが評価されて固定された。その後、センターバックが出場停止で、自分が入って定着しました。この競争の激しさは日本ではありえない。逆説すれば気が抜けないし、それが成長につながるんじゃないかな、と」
鈴木はリーグ戦13試合に先発し、チームを3位に押し上げ、昇格プレーオフ進出に導いた。それは小さな快挙だった。結局、6位オサスナとのプレーオフは、アウェーで3-0と敗れ、ホームでは先制するもののアウェーゴールを決められ、トータルスコア3-6で敗れた。
1部でプレーする夢は断たれたが、鈴木は確かな手ごたえを感じていた。
「対人だけでも、急激に伸びたな、と思います。スペインは練習から、コンタクトの質と激しさは日本にいた時と違う。たとえば、オランダ系のスペイン人は骨格的に肩が張っていて、確実にポストができる。毎日こんなのとぶつかり合っていたら、球際も強くなります」
プレスに来る相手選手は「殺しに来るんじゃないか」という凄みがあり、Jリーグのように直前で止まるそぶりを見せない。ビルドアップでは、一番遠くを見ることを常に求められ、「出せ」と怒る選手に、半信半疑で通すと、チャンスにつながったりした。際限なく順応し、自らが鍛えられる感覚があった。
2年目、鈴木は続投したビセンテ・モレーノ監督(現在のマジョルカ監督)の信頼を得る。開幕から主力としてプレーし、シーズンを通して34試合に出場し、1得点。3000分以上の出場時間だった。
ただ、チームは攻撃のエース2人を失い、昇格を争うどころか、降格の危機に直面するほど低迷した。モレーノは第19節で解任。最後はナノが監督を引き受けて3連勝を飾り、どうにか2部に残った。優勝争いしていたチームが降格回避に追い込まれるのも、競争の激しさの証左と言えるだろう。
そして3年目、鈴木は苦戦を余儀なくされている。サガン鳥栖も率いたルイス・カレーラスの采配で、開幕4試合勝ち星なしと、スタートに完全に失敗。その後、鈴木自身もしばらくポジションを失い、ようやくその座を取り返してチームを中位に引き上げ、シーズン20試合出場を果たした。しかし、チームは4人目の監督でどうにか残留するありさまだった。
これで、鈴木のスペイン挑戦は幕を閉じている。
「(スペインでは)悔しいな、マジか、と打ちひしがれるときもありました。毎日、一回は必ず。でも、ここは耐えていれば、必ずチャンスが来るって思えるようになりました」
そう語る鈴木は、逞しさを身につけたのだろう。
2019年から所属する浦和レッズでは、当初、試合メンバーから外れていたが、我慢強く挑み、シーズン終盤はポジションを確保した。広州恒大とのACL決勝にも先発で出場している。不器用なまでに、何かを乗り越えることで強くなるディフェンダーの矜持(きょうじ)だろう。
(つづく)