連載「Voice――今、伝えたいこと」第18回、ツアー再開を待つ女子ゴルファーの思い 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”…

連載「Voice――今、伝えたいこと」第18回、ツアー再開を待つ女子ゴルファーの思い

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第18回は女子プロゴルフの笹原優美(フリー)。昨年から中国ツアーに出場し、今年は台湾ツアーも参戦予定だったが、感染症拡大により、軒並み中止に。両ツアーともに再開の見通しが立たず。賞金が収入に直結する女子ゴルファーの思いとは。

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 スポーツ界に暗い影を落とした新型コロナウイルス。ゴルフは男女ともに国内ツアーは軒並み中止となり、3月に予定されていた開幕の見通しも立っていない。競技結果でアスリートとしての価値をアピールするだけでなく、大会で得た賞金が収入に直結するプロゴルファーにとって“ツアーなきゴルフ”は死活問題となっている。

 それでも、一人のゴルファーとして今、思うことを口にした笹原優美の声色に、暗さは少しも感じられない。

「まず、今回の問題はゴルフ界だけじゃなく、日本中でいろんな職業の方が苦しんでいらっしゃる状況。仕事に必要なトレーニング、練習ができる環境が奪われていないだけで、恵まれていると思っています」。社会を俯瞰し、自らの職業が置かれた立場を見つめる27歳。その中で「職業・ゴルフ選手」の課題も見えてきたという。

「今回のことで、自分の仕事は“戦う場所”がなければ成立しなくなってしまうと改めて気づかされました。今後、このようなことが100%起こらないとは言い切れない。ウイルスだけじゃなく、天災もあり得る。試合がないと成り立たないのは問題と感じているし、これはゴルフ界全体で変えていかないといけないと思っています」

 未曾有の感染症。練習環境も大きく変わった。ラウンドに出るのは週1度。ハーフ終了後に休憩を取らないスループレーで、スタートも早朝。「かからない、うつさない」を徹底し、残りは自宅で行っている。通常、練習用の柔らかいボールしか打てなかった部屋にネットと毛布を張り、試合用のボールを打てるように改造。工夫をしながら、再開に向けて準備を整えている。

 ただ、自分が練習できているから満足とは、もちろん思っていない。ゴルフ界を憂う気持ちが心の真ん中にある。

「一番に思うのは選手よりキャディーさんの方が大変ということ。プロのツアーに出ている選手であれば、今までの蓄えもある程度あると思うし、今は遠征費もかからない分、なんとかなるとは思います。ただ、キャディーさんは選手の活躍によって収入が変わるし、今は仕事がない。相当、大変な状況になっていると感じています」

 実際にSNSを開いてみると、キャディーたちが協力してYouTubeチャンネルを立ち上げたり、ゴルフ以外のアルバイトを始めたりする現実を目の当たりにした。「これが続くと厳しいんじゃないかと感じます」と、心を痛めている。

「このような状況になるのは誰も想像してなかったと思います。これからやらなければいけないのは、また同じような状況になった時に自分たちの仕事が成立し、活動できる状態を準備しておくこと。それが大事になると思うので、みんながそういう意識を持ちながら、今はできることに集中して乗り越えるしかないと思っています」

 個人スポーツであるゴルフ界が一つになって、今を戦いたい。それが、一人の選手として偽らざる思いだ。

「戦う場所」を求め、中国に挑戦した昨シーズンに感じた“誇り”

 実は、笹原にとって「戦う場所」を失いかけたのは、初めてではない。忘れられない記憶が1年半前にある。

 19年シーズンから日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の規約変更により、日本ツアーの出場権を得るにはプロテスト合格が条件になった。従来なら「単年登録者」として参戦可能だったが、より狭き門に。笹原は18年末に受けたプロテストで合格を逃した。日本で練習に専念し、1年後に再挑戦するという道もあったが、ツアー出場を選択。果敢に海外に飛び出した。行き先は、中国。

 突き動かしたのは、プロゴルファーとして使命感だった。

「日本ツアーに出ていた時から応援してくださる方がたくさんいて、その方たちにプレーを見ていただいたり、試合で戦っていたりする姿を見てもらえないことはプロゴルファーとして一番良くない状況と思いました。日本ツアーに出られないなら、どこか活躍できる場所を作らないと……それが、海外であったとしても構わない。なので、中国ツアーに出場することを決めました」

 もちろん「出場する」といっても簡単なことではない。日本のステップアップツアーよりも賞金は安く、移動も過酷。遠征費はできる限り安く抑えるため、移動は早朝便が多く、乗継便が当たり前だった。現地入りまでに丸一日を要することもある。香港出身の母が通訳、父がキャディーを務めて中国全土を転戦。笹原家が一丸となり、激動の2019年を戦い抜いた。

 ゴルフ文化の違いも味わった。一番はギャラリーのマナー。「日本ツアーはギャラリーさんのマナーの浸透がしているけど、中国はゼロに等しいくらい」と苦笑いで振り返ったように、日曜の最終日は親子連れが公園に行くような感覚で訪れ、小さい子供が走り回る。携帯のシャッター音、着信音もざらだ。「たくさんあって驚いたけど、もう慣れました」と笑う。

 しかし、現状を悲観するだけでは成長しないと知っている。

「マナーの面でもそうだけど、物事を柔軟に考えられるようになったかなと思います。中国のホテルは基本的に冷蔵庫がなく、試合中のドリンクを作るのもひと苦労。中国の生活でいろいろ文化の違いがあって驚くことはあるけど、その環境に馴染んでいかなきゃいけない。そういう柔軟性、対応力が1年間かけて養われたので、その部分はプレーにもつながってきていると思います」

 食事は外食中心。「当たり」の店を見つければ、同じ店ばかりに通った。会場には、日本から持参した温めるごはんとふりかけで自分でおにぎりを作り、ラウンドの合間に食べた。異国の地で間違いなく、逞しくなった。

 中国ツアーのレベルについて「優勝争いする選手、賞金ランクトップ10のレベルで日本ツアーをレギュラーで戦っている選手と同じくらい」という。下位の選手との差は激しいが、海外のツアーだからこその刺激はある。

「中国ツアーの選手のうち、半分くらいは中国以外の海外選手。アジアだけじゃなく、オーストラリア、ニュージーランド、米国から来ている選手もいる。世界中のいろんなゴルファーが私と同じように自分の国を離れ、“戦う場所”を求めて中国に来ている。そういう姿は見て、ゴルファーとしてかっこいいなと思ったし、そういう中で戦えるのは私としても少し、誇りに思えます」

「日本よりレベルが劣る」と厳しい見方をする人がいることは理解している。それでも、自分で選んだ道。失ったものを数えるのではなく、挑戦して手にしたものを見つけていけば、自然と大きくなった自分がいることに気づけた。だから、伝えたい。

「中国に行くまで、考えたこともなかった海外ツアーに出ることで、感覚も全然変わった。日本じゃないとプロゴルファーとしてダメと考えるファンの方もいらっしゃいます。でも、そういう方にも海外で戦う選手の魅力や価値を広めて行きたいんです」

エリートじゃない競技人生、ゴルファーである理由は「社会貢献」

 振り返れば、どんな時もゴルフが「成長」のきっかけを与えてくれた。

 初めてグラブを握ったのは11歳だった小5の時。ゴルフ好きの父に練習場に連れられて行ったことがきっかけだった。それまでは水泳、習字、タップダンス、一輪車、学習塾と幅広く習い事をこなしていた。その中に一つ、加わった感覚。「ゴルフを続けていきたいとは思ってなかった。父がやらせたそうだったので断り切れず」と笑って振り返る。転機となったのは、高2の時だった。

 法政高入学後から師事した和田泰朗コーチは「技」と同じくらい「心」を大切にする指導者だった。「何のためにゴルフをするのか」を問われ、競技の価値を考えるように。「特に将来の夢もなかった」という、どこにでもいる女子高生は変わり始めた。

「ゴルフはミスのスポーツと言われる。どんなにいい準備をしてプレーしても、自分の想像していたものとは違うショットが出たり、ハプニングが起きたりするもの。それを切り替えられる心の強さがないと、なかなかいいプレーを続けることはできない。ポジティブに考える力が問われるし、そうやって考えれば考えるほど、ゴルフは成長できていく。その奥深さが一番、楽しかった」

 学年を追うごとにのめり込んでいったゴルフ。その魅力が、日々の彩りを一変させた。どちらかというと、引っ込み思案だった性格も変わった。卒業後はエスカレーターで進学できた法大に進まず、自分を変えてくれたゴルフで生きていくことを決めた。

 小さい頃からプロを目指し、英才教育を受けることが一般的な競技において、珍しい存在だろう。だからこそ、勝ち負けを競い、高い賞金を争うだけじゃない、ゴルファーとしての理想も常に持っている。それが「社会貢献」という4文字に詰まっている。

「私はもともとプロゴルファーを目指したい気持ちでゴルフを続けてきたわけじゃない。高校で何のためにゴルフをやるか考えた時、社会貢献のためにゴルフをしたいと決め、それがずっと自分の指針になっている。これまで私がやってこられたことも自分が戦う姿を見て、応援してくれる方がハッピーを感じてくれて、そんなファンの姿を見て、逆に私も頑張る活力になっています。

 私はゴルフに成長させてもらった。ゴルフでこんなに人が変われるなんて、思ってもいなかった。ゴルフを通じて得た経験はすごく大切なこと。そういう価値をしっかりと伝えていける存在になりたいと思っています。だけど、そういう風になるには、もちろん実力が必要不可欠。だからこそ、もっともっと成績を出していけるように強いゴルファーになりたいと思っているんです」

 応援してくれる人との幸せの共有。それが、プロゴルファーとして一つの喜びであり、価値であると認識している。だから、自身のファンクラブ、SNSで積極的に発信し、コロナ禍においても東京都の「#STAYHOME週間」に賛同。思いを込めた言葉を届けた。

 この取材をしたのは14日。中国も台湾もツアー再開の見通しの情報は届いていない。しかし、本人は「まだまだ技術的に足りてない部分が多い。今日より明日、明日より明後日と成長していくことにモチベーションを感じています」と笑い、前向きだった。

「今年は1月に台湾ツアーに出場したので、通常3か月あるオフが1か月しかなかった。だから、逆にオフの間にやりたかった練習に時間を使えている感覚もある。ツアーが再開されたら、ゴルフを楽しみにしているファンの方はたくさんいるし、私もそこで活躍したい。特に、今年の目標はツアーで優勝すること。再開された時には今までより成長して戦っている姿を見てもらいたいです」

 やがて、コースに歓声が戻る日が来るだろう。その数だけ、個性が異なるプロゴルファー。一人ひとりのストーリーを知れば、また違った魅力が見えてくる。笹原優美。「戦う場所」を求め、まっすぐに道を歩み続けるゴルファーの名前を、憶えておいてほしい。

■笹原 優美(ささはら・ゆみ)

 1992年8月4日生まれ、東京都出身。小5からゴルフを始める。法政高(東京)でゴルフ部に所属し、14年から単年登録でツアープロとして活動。16年はQTランキング14位で自身初のツアーフル出場権を獲得し、19年は中国LPGAツアーに参戦。7試合に出場した。ファンクラブ「You & Me」のほか、ツイッター、インスタグラムで積極的に活動を発信している。

【笹原優美公式ファンクラブ「You & Me」】

 会員サイトでしか見ることのできないスペシャルムービー、ゴルフ練習ムービー、笹原の内面に迫るQ&Aなど、よりファンが楽しめるコンテンツを届けている。

(第19回は元ノルディックスキー・荻原健司氏が登場)(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)