連載「Voice――今、伝えたいこと」第16回 北京五輪出場の元アーティスティックスイマー 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポ…

連載「Voice――今、伝えたいこと」第16回 北京五輪出場の元アーティスティックスイマー

 新型コロナウイルス感染拡大により、スポーツ界はいまだかつてない困難に直面している。試合、大会などのイベントが軒並み延期、中止に。ファンは“ライブスポーツ”を楽しむことができず、アスリートは自らを最も表現できる場所を失った。

 日本全体が苦境に立たされる今、スポーツ界に生きる者は何を思い、現実とどう向き合っているのか。「THE ANSWER」は新連載「Voice――今、伝えたいこと」を始動。各競技の現役選手、OB、指導者らが競技を代表し、それぞれの立場から今、世の中に伝えたい“声”を届ける。

 第16回は元アーティスティックスイミング選手で、2008年北京五輪でチーム5位入賞を果たした青木愛さんが登場する。北京五輪を限りに23歳で現役を引退。現在は幅広くメディアで活動しながら、アーティスティックスイミングをはじめスポーツの魅力について発信する青木さんが今、伝えたいメッセージとは。

 ◇ ◇ ◇

 アーティスティックスイミングを始めたのは8歳だった。小学生の頃からジュニア五輪で優勝するなど才能を光らせ、中学2年生からは日本アーティスティックスイミング界の第一人者・井村雅代コーチ(現代表監督)に師事。20歳で日本代表に初選出されるなど順調に階段を上ってきたように見えるが、実は「私、練習がめちゃくちゃ嫌いだったんです」とバツが悪そうに振り返る。

 初めて日本代表に選ばれながら、2005年の世界水泳は肩の故障で代表辞退。その後は代表チームの中で8人のレギュラーメンバーに入れない日々が続いた。練習は嫌い。メンバーにも入れない。競技そのものを投げ出しても不思議ではないほど辛い時期もあったが、「辞める」という選択肢を取らなかったのは「オリンピックに出てメダルを獲る」という夢とシンクロが好きだという気持ちがあったからだ。

「本当に練習が嫌いで『なんで毎日こんなことしてるんだろう?』って、自分で思っていたくらいなんです。代表では当時、最年少だったということもあり、怒られることが多くて、結構毎日辛かった。それでもオリンピックに出てメダルを獲ることを夢にしていましたし、ちょうど私たちの時代は井村先生が中国の代表監督になって、日本はメダルが獲れるか獲れないかの瀬戸際だと言われていたんですね。だから、辛い時にはそれを思い出して、『今、こんなところで心折れている場合じゃない』と頭の中を整理して、きつい練習を乗り越えました」

 五輪出場を目標とし、心の支えにしていたからこそ、この未曾有のコロナ禍に振り回される形となったアスリートの気持ちは痛いほど分かる。「東京(五輪)が決まった段階、リオ(五輪)が終わった段階、もう何年も前から2020年を目指してきた人はいたと思います」。2020年夏の五輪本番に向けて、緻密なピーキングを計画してきたアスリートにとって、技術面はもちろんメンタル面も簡単に切り替えられるものではない。

 だが、開催が1年延期されることは、すでに決まった事実。だからこそ、もう一度「五輪出場・メダル獲得」という目標に向かって、延期で生まれた時間をポジティブに捉え、再スタートを切ってほしいと願う。

「2020年に照準を合わせてきている選手ばかりだと思います。出場できるかできないかギリギリのラインにいた選手たちにはこの1年がかなり大事になりますし、ベテラン選手にとってはこの1年が大きく響く。ただ、早い段階で2021年7月23日に開幕と決まったので、選手は切り替えがしっかりできると思うんですよね。これがなかなか決まらなかったら大変ですけど。切り替えは確かに難しいこと。でも、これをポジティブに捉えるしかない。選手たちには『あと1年練習できる時間が延びた』と考えてもらいたいと思います」

青木さんが実感するスポーツの力「見るだけでもパワーをもらえる」

 世界で猛威を振るう新型コロナウイルスは、第一線で活躍するアスリートだけではなく、一般市民からもスポーツをしたり、見たり、応援したりする楽しさを奪ってしまった。青木さんは先日、誰かと一緒に“場”を共有する楽しみを心待ちにするスポーツファンの声に触れる機会があったという。

「私、サッカーを見るのが好きで、自分の好きなガンバ大阪は年間10試合くらいホームゲームの応援に行っているんです。この前、インスタライブをさせてもらった時、ガンバのサポーターの方も見ていてくださったのか、『早くパナスタ(パナソニックスタジアム吹田)でお会いしたいです』というメッセージをいただいて、サッカーファンは観戦に行きたくてウズウズしているんだろうな、と感じました。サッカーだけではなく、野球や他のスポーツもそうですね。

 スポーツって見るだけでもパワーがもらえるものだと思います。私自身、試合を見に行くのを楽しみに仕事を頑張ったり、嫌なことを乗り越えることもあったくらい。今はそれができなくなって、スポーツの持つ力ってやっぱり偉大だなと実感しています」

 新たな形でスポーツが持つ影響力を感じることもある。

「今、選手は自分たちがプレーできず、かなり辛い時を過ごしていると思いますが、それにも関わらずツイッター、インスタグラム、YouTubeなどのSNSを通じて、ファンに『こういうトレーニングをやってみましょう』『こういう時間の過ごし方をしませんか』と呼びかけることにチャレンジしてくださっている。おかげでファンの方々はスポーツが再開する日を楽しみに待っていられるんじゃないかと思います」

コロナ禍で知る貴重な日常「当たり前だと思っていたことが…」

 これまでは「友達と食事をしたりドライブ行ったりして、最後はスーパー銭湯で締めるのが一番のリフレッシュ」だったという青木さん。自宅でステイホームを心掛ける日々を過ごしながら「普段あまりしない料理をしてみたりしています」と新たなチャレンジに乗り出す一方、最近は友達とオンラインで朝まで話し込みながら「当たり前だと思っていたことが、なんて幸せなことだったんだろうと思っています」と話す。

 スポーツがそこにある日常も、友達と気軽に会える日常も、今は貴重なこととなった幸せを一日でも早く取り戻すために、今こそみんなが一つの目標に向かって協力する時だ。

「今は本当に辛く、我慢の時期が続いていると思います。実際に私もそう感じています。でも、みんなが家にいるよう心掛けたり、活動を自粛することで、早くこの状況が終息すると思います。みんなそれぞれ我慢していることがある。だからこそ、普通の生活を取り戻せた時に思いきり楽しめますし、幸せだと思えると思うんです。一日でも早く終息させるために、今はみんなの協力が大事ですよね」

 目標に向かって辛い時を乗り越えれば、そこには必ず結果が待っている。経験者が伝えるメッセージは力強い。

■青木 愛(あおき・あい)

 1985年5月11日生まれ、京都府出身。地元の京都踏水会で乳幼児の頃から水泳を始め、8歳から本格的にアーティスティックスイミングに取り組んだ。小学生の頃にはジュニア五輪で優勝するなど好成績を収め、中学2年生から井村雅代・現日本代表監督に師事。大阪にある井村シンクロクラブに通った。2005年に20歳の若さで日本代表に抜擢されるが、肩の怪我で世界水泳出場を断念。翌年のワールドカップではチーム種目で銀メダルを獲得した。2008年にチーム最年少の23歳で北京五輪の日本代表に選ばれると、本番ではチーム種目で5位入賞。五輪終了後に現役を退くと、ジュニア世代の指導者を経て、現在はメディアで活躍しながらアーティスティックスイミングをはじめスポーツの普及に努めている。(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)