Twitter22万フォロワー、Instagram30万フォロワー。 2015年ラグビーワールドカップの「ルーティン」で一世を風靡したFB(フルバック)五郎丸歩(ヤマハ発動機)のフォロワー数を大きく上回り、今や「日本ラグビーの顔」となった…

 Twitter22万フォロワー、Instagram30万フォロワー。

 2015年ラグビーワールドカップの「ルーティン」で一世を風靡したFB(フルバック)五郎丸歩(ヤマハ発動機)のフォロワー数を大きく上回り、今や「日本ラグビーの顔」となったのが、日本代表PR(プロップ)の稲垣啓太(パナソニック ワイルドナイツ)だ。


日本ラグビーの顔となった

「笑わない男」稲垣啓太

「笑わない男」として一躍有名になったが、稲垣の魅力は侠気(おとこぎ)だけではない。

 関東学院大時代にキャプテンを務め、日本代表でもリーダーシップを執ったように、稲垣の発する言葉はわかりやすく、実に理路整然としている。頭の賢い選手として、メディアの人気も高い。今回はこれまでの取材で印象に残った「稲垣語録」を振り返ってみたい。

「笑ったことはありません」

 人前で弱みを見せることを嫌い、発せられたこの台詞は、今やすっかり稲垣の代名詞である。ただ、もともと稲垣が取材陣に向かって言ったのは、「泣いたことはないです」という言葉だった。

 昨年のラグビーW杯、予選プール第2戦。日本代表は当時世界ランキング2位のアイルランド代表を倒し、「静岡の衝撃」としてラグビーの歴史に名を刻んだ。

 ノーサイド後、稲垣は人目をはばからず、FL(フランカー)ピーター・ラブスカフニの胸で泣いた。その光景はテレビ映像だけでなく、SNSでも世界中に拡散された。

 試合の翌週、共同囲み取材の場に稲垣が登場。記者が真っ先に上記のことを尋ねると、稲垣は「泣いたことはないです」と食い気味に答えた。

「まだ(ベスト8という)目標も成し遂げていないですし、(静岡の勝利は)それを達成するひとつの過程です」

 稲垣節の効いた言葉が返ってきた。

 ラグビーW杯期間中の稲垣の取材でとくに印象に残っているのは、ベスト8進出を決めたスコットランド代表戦の試合後だ。稲垣はこの大舞台で、日本代表33試合目にして初めてトライを挙げた。

「7年間の(日本)代表で、初トライで、みんながつないでくれた。一番いい舞台で、いい形で、トライを獲らせてもらった。この4年間はいろいろなことを犠牲にしたが、まずは目標がひとつ達成できてよかった。もっといい景色が見られるように、チーム一丸がんばりたい」

 この時も、稲垣は表情を変えずに答えていた。

 兄の影響で中学3年からラグビーを始めた稲垣は、新潟工業高時代から注目された逸材だった。体重は今よりも大きく130kg近くあり、飛び級でU20日本代表候補に選出。関東学院大1年時にはU20世代の世界大会にも出場した。

 大学卒業後、トップリーグの強豪パナソニックに入団。1年目からレギュラーとして活躍し、トップリーグ優勝と日本選手権制覇の2冠に貢献した。トップリーグの新人賞も獲得し、同時に選ばれた「ベスト15」はルーキーイヤーから昨季まで前人未踏の6シーズン連続受賞中である。

 新人王の肩書きを引っさげ、トップリーグ2年目を迎えた時の稲垣のコメントも、実に格好いい。

「僕は賞にはあまりこだわらない性格で、トロフィーも部屋に飾ったりはしていません。飾ってしまうと、過去の栄光に浸ってしまって、成長が止まってしまうような気がする。自分の伸びしろに、もっと期待したい」

 その言葉どおり、稲垣は成長スピードを緩めることなく、2年連続でパナソニックの2冠に寄与した。

 2014年に代表初キャップを獲得した稲垣は、2015年にオーストラリアのレベルズに移籍してスーパーラグビーの舞台に挑戦する。稲垣は意気込みをこう語った。

「どういうプレーヤーになりたいか、徐々にビジョンが見えてきました。『あの日本人選手、すごいな』と言われたい。(PRとしては)スクラムがメインですが、タックルもパスもできる、スキルを持った選手になることが目標です」

 日本人初のスーパーラグビーPRプレーヤーとして、稲垣は大きな外国人選手のなかでも個性を遺憾なく発揮した。

 25歳で出場した2015年W杯では、日本代表チームの中核となって3勝に貢献。そして2016年には、日本のスーパーラグビーチーム「サンウルブズ」でプレーすることを決断する。その時も稲垣は、客観的な視点でこう語った。

「W杯で結果を残したわけではないし、日本人や日本のチームの評価が上がったわけでもない。これからが大事になってくる。(サンウルブズへの加入は)もうひとつ上にステップアップできるいい機会。リーダーシップを求められているという期待に応えたい」

 2016年から日本代表の指揮官にジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)が就任しても、稲垣のスタンスはブレない。

「今までと変わりない。自分のプレースタイルを変える必要はない」

 さらりと、そう言ってのけた。

 そして迎えた2019年W杯。本番前や大会期間中に多くのコーチや選手を取材していると、彼らから「ディテール」という言葉を何度も聞いた。

 この言葉を最初に聞いたのも、稲垣からだった。それは2018年11月、中立地でトンガに快勝し、敵地でフランス相手に引き分け、W杯への手応えを掴んだ遠征後のこと。

「能力的にも、身体的にも、メンタル的にも、いい感じで仕上がってきたと思います。短い時間で、パスの精度、走り込むタイミング、ボールの出し方、スクラム……どれだけディテールを突き詰めていけるかがカギになってくる」

 日本代表チームに「ディテール」という意識を植え付けた稲垣の功績も見逃せない。

 ちなみに試合前、稲垣は静かな曲を聴いているという。ロックなど盛り上がる曲を聴くラグビー選手が多いなか、ちょっと意外だった。

「周りの音を遮断して、ひたすら静かな音を聴いて集中する」

 彼の繊細な一面が見える言葉だった。2016年の日本選手権決勝の直前、稲垣はショパンの『バラード第1番』を聴いていた。

 また、稲垣は「新潟愛が強い」ことでも知られている。2019年W杯に出場したスパイクには「NIIGATA」の文字が刻まれてあった。

 昨年5月、母校・新潟工高のグラウンドをラグビー部の樋口猛監督が天然芝にしようと動いていた。それを聞いた稲垣は、すぐに初期費用の全額を寄付することを決める。その時の言葉も、侠気にあふれるものだった。

「後輩のため、母校のために、できるんだったら。いくらでもいいので」

 金額を聞く前に、300万円の初期費用を負担することを決めた。

「新潟工業だけが強くなればいいというわけではない。芝生のグラウンドがあれば、他の学校も練習できるし、県外のチームが来てもいい。新潟県全体のレベルアップにつながる」

 昨年10月、旧知の仲であるアルビレックス新潟の早川史哉が急性白血病を克服して初スタメン出場する時も、エールを欠かさなかった。

「彼ががんばっているから、僕もがんばらないといけないという気持ちになる。新潟県内のアスリートとして一緒に(新潟を)盛り上げていけたら」

 最後に、ラグビー選手としての目標を聞いた時の言葉をお伝えしよう。

「自分のプレーが完成しちゃった、満足しちゃったとなったら、もう無理かなと。自分が満足してしまったら、引退します。やめるときは、あっさりとやめます」

「笑わない男」はこれからもディテールにこだわり、常にレベルアップを続けていくだろう。