記憶に残るF1ドライバー列伝(5)セバスチャン・ベッテル ピンと糸を張り詰めたような緊張感が漂うスターティンググリッドで、セバスチャン・ベッテルは周囲のノイズを掻き消すように、ヘッドフォンを両耳に当てた。2010年から4年連続でF1王者に輝…

記憶に残るF1ドライバー列伝(5)
セバスチャン・ベッテル

 ピンと糸を張り詰めたような緊張感が漂うスターティンググリッドで、セバスチャン・ベッテルは周囲のノイズを掻き消すように、ヘッドフォンを両耳に当てた。



2010年から4年連続でF1王者に輝いたベッテル

 レッドブルで2度の王座を獲得し、3年連続を目指して挑んだ2012年は、レギュレーション変更でブロウンディフューザーは禁止となり、ノーズ高を下げることになった。レッドブルは競争力を削がれ、13戦目までに挙げることができた勝利はわずか1勝と、大苦戦を強いられていた。

 ベッテルにとって初めてと言える大きな壁にぶち当たったこの年、スタート直前のグリッドだけでなく予選やフリー走行前のピットガレージ内でも、彼はヘッドフォンを身に付けて外界をシャットダウンするようになった。

 ただ速く走りたい、速く走ることが楽しい。そういう思いだけでやってきた彼のレーシングキャリアは、この年、大きく変わったように感じられた。

 しかし、それはあくまでコクピットの中だけの話だ。

 彼はサーキットでの人生と、プライベートの人生をはっきりと線引きする。妻や子どもたちをサーキットに連れてこないのも、SNSを一切やらないのも、そういう理由からだ。レースから離れたベッテルは、いつも気さくで飾らず、純朴なドイツの田舎生まれの青年のままだ。

 あのヘッドフォンでいったいどんな音楽を聴いているの? そう問うと、ベッテルは少し照れながら答えた。

「きっと君たちは知らないと思うけど......ドイツのフォークソングとかだよ」

 一番好きなアーティストはビートルズだというベッテルは、ほかのF1ドライバーたちが好むようなオシャレでハイソなライフスタイルとはほど遠い、古きよき時代を愛好する素朴な人間だ。

 自宅のガレージには古いクルマやバイクをコレクションし、滞在先ホテルからサーキットまでバイク通勤が可能なハンガリーGPなどは、自分のバイクを持ち込んで毎日ツーリングを楽しむ。ピカピカに磨き込まれた1970年代のSUZUKI T500を見れば、彼がどんな人間なのかがわかるだろう。

 昨年のブラジルGPで1988年のマクラーレン・ホンダMP4/4のデモ走行が行なわれた際にも、ベッテルはわざわざ1コーナーのはるか先にあるマシン整備用のテントまで歩いて行って、延々とマシンを眺めてはうれしそうにしていた。

 コース上では「勝ちたい」という気持ちが優ってしまうがゆえに、レッドブル時代にはチームオーダーを無視して勝利をもぎとり批判を呼んだ2013年マレーシアGPのマルチ21事件(※)や、2010年トルコGPでの接触などもあった。

※マルチ21事件=マルチ21とはレッドブルチームの暗号で「カーナンバー2(マーク・ウェバー)がカーナンバー1(ベッテル)より前」という意味。ベッテルは「マルチ21」の指示が出ていたにもかかわらず、それを無視してチームメイトのウェバーを追い抜いて優勝をさらった。

 2018年頃から急にコース上でのスピンや接触が目立つようになったのも、思うように走ってくれないマシンやレース戦略の不備をカバーしようと、限界以上にプッシュしてしまうからだ。予選やフリー走行ではなく、決勝の混走状況でミスが多いのはそういうことだ。

 しかし、コクピットから離れた彼はいつになっても素朴な青年のままで、メディア陣との話のなかでも頻繁に冗談を交えながら楽しそうにおしゃべりをする。

「鈴鹿は間違いなく最高のサーキットのひとつだよ。駐車場みたいなサーキットとは違って、コーナーごとの特性や流れが最高だ。できることならあなたにもクルマに乗ってもらって、どれだけ最高の気分なのか体験してもらいたいくらい。その体型じゃ無理だけど、スリムに痩せてきたらFP1を譲ってあげてもよかったんだけどね(笑)」

 サインをねだるファンにも、最大限の時間を割いて対応しようとする。昨年のベルギーGPでF2参戦ドライバーのアントワーヌ・ユベールが命を落とした翌日、FIA F2関係者による黙祷にも足を運んで祈りを捧げた。

 今の現役F1ドライバーのなかでは、ある意味で最も人間味あふれる人物がベッテルかもしれない。

 昔から飾らない性格で、チームのなかでもエンジニアやメカニックと分け隔てなく接するから慕われる。だからこそ、チームを離れてもなお親しく、過去に所属したレッドブルやトロロッソ、アルファロメオ(当時はBMWザウバー)のみならず、下位カテゴリー時代からの顔見知りといまだにコンタクトを取ったり、パドックですれ違うたびに長話をしたりしている。

 2012年日本GPで小林可夢偉が表彰台に立ったときも、ドイツF3時代から可夢偉の速さをよく知り、そこに至るまでの苦労も理解しているからこそ、優勝者である自分は一歩退いて、可夢偉を表彰台の主役にしてやろうと背中を押した。

 セバスチャン・ベッテルというのは、そういう人の気持ちがわかる人間だ。

 そんな彼の性格は、父・ノルベルトさんの教育の賜(たまもの)だという。

 レースが好きで、今でも時折サーキットに姿を見せるノルベルトさんは、ほかのドライバーの父親たちのように出しゃばることもなく、ヨーロッパ内の移動もエコノミークラスで十分という人。ピットガレージやモーターホームに陣取ってふんぞり返るのではなく、ポルシェカップやGP3のチームを手伝っていたこともあり、自ら手足を動かしてサーキットの雰囲気を楽しむような人だ。

 そのノルベルトさんが息子を育てるうえで言い聞かせたのは、レーシングドライバーである以前に人として正しくあれ、ということだったという。だから今も、ベッテルはサーキットを離れればF1ドライバーではなく、ひとりの素朴な人間へと戻る。

 昨年のアブダビGPでは、子どもが産まれたばかりであったため、サーキット入りをギリギリの木曜まで遅らせた。今年のオーストラリアGPでは、新型コロナウイルスの影響によって中止が正式決定する前の金曜早朝に、(チームの不参加の意思を受けて)飛行機に乗ってメルボルンをあとにした。

 もともとレースが好きで、勝ちたくて、それが楽しくて没頭していたF1の世界。しかし、レッドブルでの4連覇後、同郷の王者ミハエル・シューマッハのあとを追うように目指した名門フェラーリの復権はまだまだ時間がかかりそうで、どうやらベッテルの手では達成できそうにない(5月12日にフェラーリはベッテルとの契約を延長しないことを発表した)。

「この数カ月の出来事で、多くの人が自分の人生のなかで本当に大切なことは何なのか、それを見つめ直したと思う。僕は、自分にとって本当に大切なことのために、自分の時間を割きたいと思った」

 世界の常識が急激に入れ替わったコロナ騒動のなかで、ひとりの善良な人間たるセバスチャン・ベッテルは何を最優先に考え、どんな決断を下すのだろうか。

【profile】
セバスチャン・ベッテル
1987年7月3日生まれ、ドイツ・ヘッペンハイム出身。2007年、BMWザウバーから第7戦アメリカGPでF1デビュー。19歳349日で参戦した同レースで8位に入賞し、当時のF1史上最年少入賞記録を樹立する。その後、トロロッソへ経て2009年にレッドブルに移籍し、2010年から4年連続でドライバーズタイトルを獲得。2015年からフェラーリへ。175cm、62kg。