「五輪メダリストたちが残した名言~柔道編~」

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京五輪は来夏に1年延期となった。これまで数々のドラマを生み出してきた五輪。過去の日本人メダリストたちが残した「名言」を振り返る。

 ◆谷亮子「最低でも金」「谷でも金」

 柔道は日本発祥のスポーツであり、日本では五輪で勝つよりも五輪に出場する方が難しいと言われているほど選手層が厚い。そんな日本柔道界で多くの名言を残したのが“ヤワラちゃん”の愛称で親しまれた女子48キロ級の谷(旧姓・田村)亮子だ。

 16歳で初出場した1992年バルセロナ大会、続く96年アトランタ大会は、金メダルを期待されながら両大会とも銀メダルにとどまった。2000年のシドニー大会前に「最高で金、最低でも金」と目標を掲げ、過去2大会の悔しさを胸に大舞台を迎えた。3度目の決勝では、開始36秒に内股で一本勝ちを収め、悲願の金メダルを勝ち取った。

 03年12月にプロ野球選手の谷佳知と結婚。04年のアテネ大会直前には左足に大けがを負い出場断念を考えるほどだったが、支えとなったのが野球日本代表で出場していた夫の存在だった。初戦から快進撃を続け、決勝は優勢勝ち。「田村で金、谷でも金」の目標通り、日本女子初の五輪連覇を成し遂げた。

 ◆篠原信一は「弱いから負けた」

 00年シドニー五輪。篠原信一が出場した男子100キロ超級は“世紀の誤審”で幕を閉じた。決勝開始1分30秒過ぎ、相手選手の内股を篠原は内股すかしで返し一本を取ったかに見えた。だが、逆に相手に有効が与えられ、最後はポイント差で金メダルを逃した。篠原は「弱いから負けたんです」と敗因を判定のせいにすることはなかった。日本チームの猛抗議は認められなかったが、後に国際柔道連盟がビデオ判定を導入するきっかけになった。

 ◆古賀稔彦は「あきらめからは何も生まれない」

 92年のバルセロナ大会で男子71キロ級に出場した古賀稔彦は大けがを乗り越えて金メダルを獲得した。試合10日前、78キロ級代表の吉田秀彦との練習中に左ひざじん帯に重傷を負った。歩くことさえ厳しい状態で練習は十分に行えず、いわば“ぶっつけ本番”だった。「あきらめからは何も生まれない」。この言葉を自分に言い聞かせていた。当日は初戦と準決勝の前に2度痛み止めを打って試合に臨んだ。決勝まで進むと最後は3-0の判定勝ち。畳を降りると吉田と抱き合って涙した。

 2021年の東京大会でもメダル量産が期待される日本柔道界。来夏、メダル獲得とともにどんな名言が生まれるのか注目したい。