アンドレ・アガシ(アメリカ)はテニス史上に名を残す偉大な選手の一人だ。キャリアを通じて、彼はテニスがもっと人気のあるスポーツになるよう努力し続けた。ウェブメディア Essentially Sp…

アンドレ・アガシ(アメリカ)はテニス史上に名を残す偉大な選手の一人だ。キャリアを通じて、彼はテニスがもっと人気のあるスポーツになるよう努力し続けた。ウェブメディア Essentially Sportsが伝えている。ピート・サンプラス(アメリカ)との素晴らしいライバル関係、8度のグランドスラム優勝、オリンピック金メダルと、アガシの経歴は華やかだった。だが彼の「ウィンブルドン」との特殊な関係は、あまり報じられていない。アガシは「ウィンブルドン」で1992年に優勝を遂げているが、実はこの大会の全身白のウェアを着なければならないというルールに積極的に反対を唱えた選手たちの一人だったのだ。

事実、アガシはそれが理由で1988年から1990年までの3年間、「ウィンブルドン」に出場しなかった。後に彼は主張を変えて「ウィンブルドン」に帰ったが、アガシのボイコットは大きな議論を呼ぶこととなった。

アガシは若い頃、派手なウェアで有名だった。彼の着たネオンカラーのウェアはファンの注目を集めた。そんな彼には、「ウィンブルドン」の厳しい伝統主義はなじまなかった。

興味深いことに、白のウェアには階級差別的なルーツがあるのだ。19世紀には、アメリカやイギリスのエリート階級は白い服を着ていた。「ブルーカラー」と呼ばれる労働者階級の人々は、労働によって汚れやすく、しょっちゅう洗わなければならない白い服を着る金銭的余裕はなかったのだ。

歴史的にテニスは金持ちの人々がするスポーツだ。彼らが夏の間、白いウェアでテニスをしていたので、そのドレスコードが「ウィンブルドン」のルールとなった。しかしその後、選手たちがそのルールを覆そうとする動きもあった。

だが「ウィンブルドン」はそれに対して厳しい態度で臨んだ。他の色が透けて見えないように、下着まで白の着用を求めるところまでいったのだ。アガシや、他の一部の選手たちはこういった厳しい態度を好まなかった。

けれどもアガシがボイコットをやめて戻った時には、彼は完全に態度を変えていた。アガシは「ウィンブルドン」の保守的な考え方を尊重するようになった、と語った。

「“ウィンブルドン”は僕が白を着ること、お辞儀をすることを学んだ場所だ。そこで僕は(伝統を)受け入れ、その良さを知ることを学んだ」とアガシはインタビューで語っている。

(テニスデイリー編集部)

※写真は2017年「ウィンブルドン」観戦するアガシ

(Photo by Visionhaus/Corbis via Getty Images)