欧州スター選手列伝極私的バロンドール(10)リオネル・メッシ(2010-11) U-17ワールドカップやU-20ワールドカップなど、ユース年代の国際大会を長年見ていると、結果として、のちにスーパースターと呼ばれる選手の若かりし頃を数多く目に…
欧州スター選手列伝
極私的バロンドール(10)
リオネル・メッシ(2010-11)
U-17ワールドカップやU-20ワールドカップなど、ユース年代の国際大会を長年見ていると、結果として、のちにスーパースターと呼ばれる選手の若かりし頃を数多く目にすることになる。と同時に、10代から見ていた選手には、やはり相応の思い入れが生まれてくるものだ。
リオネル・メッシの場合もそうだった。
メッシのプレーを初めて生で見たのは、2005年のワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)。U-20アルゼンチン代表で背番号18を背負っていた、当時18歳のメッシは、世界中からスター候補が集まる大会にあっても、ちょっとした”顔”だった。体の小さなレフティは、直前の2004-05シーズン、すでにバルセロナでトップデビューを果たし、リーガでのクラブ史上最年少記録(当時)となる初ゴールまで決めていたからだ。
実際、話題の18歳はスゴかった。
登録上の身長は、170cm。だが、手足が短く、その姿は、数字以上に小柄に見える。どことなく大きめのユニフォームを”着せられている感”も、彼を一層小さく見せ、前評判に見合った貫禄はどこにも見当たらなかった。
ところが、一見頼りなさげな少年は、ひとたびボールを持つと、別次元のプレーを披露した。2トップの位置から少し下がってボールを受けると、足にボールが吸いついているかのごとく、緩急自在に流れるようなコース取りでスルスルとDFをかわしていった。
メッシは、グループリーグこそ、チームの調子もイマイチ(2勝1敗の2位通過だった)とあって、1ゴールを記録するにとどまったが、決勝トーナメントに入ると、一気に爆発。決勝までの4試合すべてでゴールを決める活躍で、アルゼンチンを世界一へと導いた。と同時に、トータル6ゴールで得点王と大会MVPを獲得した。
とりわけ、決勝トーナメント1回戦のコロンビア戦、準々決勝のスペイン戦、準決勝のブラジル戦(2位通過だったため、強豪との対戦続きだった)と、それぞれで決めたゴールは、スピード、テクニック、アイデアといった各要素が高いレベルで発揮された、いずれもスーパーゴールだった(そして、それらすべてを生で見られたのは幸運だった)。
その傑出した才能は間違いなく、新たなスターの誕生を予感させるものだった。
実はこの大会からまもなく、メッシは日本にやってきている。横浜F・マリノスとのプレシーズンマッチのために来日したバルサの一員として、である。
とはいえ、2005年当時のバルサと言えば、ロナウジーニョのチーム。日本でも、この陽気なブラジリアンの人気は絶大で、地元から帯同してきたスペイン人記者が、「日本のファンは、バルサが好きなのか? ロナウジーニョが好きなのか?」といぶかるほどだった。
ワールドユースで名を上げたメッシも、名だたるスター軍団のなかに入れば、若手選手のひとり。日本でも、ほとんど話題になることはなかったのである。
その後、メッシはワールドユースからわずか4年で、ロナウジーニョからバルサの背番号10も引き継ぐと、2009年に初めてのバロンドールを獲得。そこから2012年まで前人未踏の4年連続受賞を果たし、現在ではクリスティアーノ・ロナウドと並び称される、まさに世界最高のフットボーラーである。
2019年には、史上最多記録を更新する4年ぶり6回目のバロンドールを受賞。2005年当時ならともかく、今さらメッシのスゴさをあれこれ説明する必要もないだろう。
とはいえ、これだけ長く世界のトップに君臨し続けてしまうと、彼のベストシーズンがいつだったのか、その判断は逆に難しくなる。どんな要素を重視するかによって、いつがベストかは人それぞれだろう。
だが、最も強く今も印象に残っているという意味で言えば、”極私的”なメッシのベストシーズンははっきりしている。それは2010-11。バルサがリーガ3連覇を成し遂げ、UEFAチャンピオンズリーグを制したシーズンである。
マンチェスターUと対戦した2010-11CL決勝でも鮮やかなゴールを決めて、チームを勝利に導いたメッシ
このシーズン、ズラタン・イブラヒモビッチ、ティエリ・アンリに代わって、新たなFWにダビド・ビジャを加えたバルサは、3トップの中央にビジャ、右にメッシ、左にペドロが、開幕当初の基本布陣だった。
しかし、徹底的に守備を固め、打倒バルサを目論む相手との対戦を重ねるなかで行きついたのが、メッシをやや下がり目のセンターフォワードの位置、いわゆる”偽の9番”に置く3トップ。中盤での数的優位を作り出すことを目的としたこのシステムは、メッシに時間とスペースを与えることに成功したばかりか、シャビやアンドレス・イニエスタらのテクニックを存分に引き出し、数多くのチャンスメイクにもつながった。
それが存分に発揮されたのが、シーズン最終戦。すなわち、マンチェスター・ユナイテッドとのCLファイナルである。
このシーズンのCLと言えば、準々決勝で初の日本人対決が実現したことを記憶しているファンも多いだろう。内田篤人を擁するシャルケと、長友佑都を擁するインテルが対戦し、内田のシャルケがベスト4へ進んでいる。
だが、快進撃を続けた伏兵シャルケも、準決勝ではマンチェスターUに歯が立たなかった。直近4シーズンで3度目となる決勝進出の”赤い悪魔”は、間違いなく優勝候補のひとつであり、バルサとの決勝は、順当に勝ち上がった横綱同士が雌雄を決する大一番のはずだったのだ。
ところが、だ。新装なったロンドンのウェンブリースタジアムで行なわれた決勝では、試合序盤こそマンチェスターUが果敢なプレッシングで主導権を握ったものの、その後はバルサが速いテンポのパスワークで、マンチェスターUを蹂躙。なかでもメッシは、狙いどおりに相手ボランチとセンターバックの間に顔を出すと、ドリブルで、あるいはマークを集めてからのスルーパスで、次々に相手ゴールへ襲いかかかった。
そして、試合を決めたのもメッシだった。
1-1で迎えた後半54分、シャビとのパス交換で前を向いたイニエスタからのパスを低い位置で受けたメッシは、相手センターバックの寄せが緩いと見るや、ドリブルで前進。そのまま、ペナルティーエリアの外から左足で放ったミドルシュートは、きれいにゴール右スミへ突き刺さった。
その後も一方的に攻め続けるバルサは、次々にチャンスを作り出すと、メッシのドリブル突破から最後はビジャが決めて追加点。終わってみれば、3-1というスコア以上の完勝だった。
この試合は、幸いにして現地で見ることができた。頂上決戦にふさわしい顔合わせであることに加え、19年ぶりとなるウェンブリーでのCL決勝ということもあり、気分を高揚させながら記者席に着いたのを思い出す。
だからこそ、マンチェスターUが手も足も出なかった、バルサの強さに驚いた。スゴい試合を見てしまった。そんな得も言われぬ充足感とともに、帰路に就いたことを覚えている。
その2シーズン前、ジョゼップ・”ペップ”・グアルディオラ監督就任1年目にして、いきなりCLを制したバルサは、新たな”実験”を繰り返しながら、このシーズンで理想のサッカーにたどり着いた感があった。もちろん、翌2011-12シーズンもペップの実験は続き、バルサはさらに強く、面白くなっていったとも言えるのだが、結果としてリーガでもCLでも優勝は逃している。つまり、ひとつの完成形を見たという意味では、このCL決勝こそが最高傑作だったのではないかと思うのだ。
優れたテクニックを操るタレント。彼らが築き上げる流麗なパスワーク。そして、それを最大限に引き出すための有効なシステム。当時のバルサは、そのどれもがすばらしかったが、どんなにチャンスメイクできたとしても、最後の最後を締めくくる選手がいなければ、サッカーが点を取り合う競技である以上、最強チームは成立しない。
「史上最強」との呼び声まである2010-11シーズンのバルサ。当然、それはチームとしての評価ではあるが、最強を最強とたらしめたのは、メッシという才能があればこそ、だった。言い方を変えれば、その役目はメッシでなければ務まらなかった。
もちろん、メッシ個人の成績だけで言えば、これ以上の数字を残したシーズンは他にある。
2010-11でのゴール数は、リーガで31点、CLで12点であるのに対し、翌2011-12は、リーガで50点、CLで14点と、いずれも史上最多記録を残している。数字のうえでは、これこそがベストシーズンということになるだろう。それどころか、世界のサッカー史に残る空前の大記録が生まれた、歴史的シーズンだったと言ってもいい。
だが、2011-12のバルサは、リーガもCLも獲っていない。サッカーがチームスポーツである以上、個人もチームの勝利に貢献してこそ、高く評価されるべき。裏を返せば、チームが勝つからこそ、同じ1ゴールでもより強く印象に残るということだろう。
しかしながら、ここまであれこれと書いてきて、ふと思う。
9年も前にベストシーズンを迎えたと思っている選手が、今もなお、世界最高の地位を守り続けているのだ。
にわかには信じがたい、驚愕の事実である。