追憶の欧州スタジアム紀行(4)ヨハン・クライフ・アレナ(アムステルダム) アムステルダム・アレナ(2018年、ヨハン・クライフ・アレナに名称を変更)が完成したのは1996年8月。筆者はその翌月、新スタジアムで初めて行なわれた1996-97シ…
追憶の欧州スタジアム紀行(4)
ヨハン・クライフ・アレナ(アムステルダム)
アムステルダム・アレナ(2018年、ヨハン・クライフ・アレナに名称を変更)が完成したのは1996年8月。筆者はその翌月、新スタジアムで初めて行なわれた1996-97シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)、グループリーグ第2節、アヤックス対グラスホッパー・チューリッヒ(スイス)を観戦している。
1996年に完成したアヤックスの本拠地ヨハン・クライフ・アレナ
1994-95シーズンに、22年ぶりCL優勝を飾ったアヤックス。1995-96シーズンは、決勝でユベントスに延長PK戦の末に敗れ、CL2連覇を逃したが、サッカーそのものは相変わらず高い水準を保っていた。1996-97シーズンはどうなのか。
ところがアヤックスは、このスイスの格下のチームに0-1で敗れてしまう。新スタジアムでのCL初戦を飾ることができなかった。サッカーの中身も大きく後退していた。移籍の自由と移籍金の撤廃を謳ったボスマン判決が、このシーズンから施行されたことと、それは大きな関係がある。
アヤックスはさっそく、ビッグクラブの草刈場と化していた。ヌワンコ・カヌ、フィニディ・ジョージ、ミハエル・ライツィハー、エドガー・ダービッツらの名前は、このグラスホッパー戦のスタメンには存在しなかった。
結局このシーズン、アヤックスはCLでベスト4まで進んだ。一流だったチームが、メンバー的にそうでなくなってもなお、必死に勝ち上がろうとする姿に感激する一方で、無情さも覚えた。ボスマン判決を語る時、アヤックスは最もわかりやすい事例になる。前シーズン決勝戦を戦ったユベントスに、合計スコア2-6で敗れた準決勝は、それを象徴する試合で、一時代の終わりを告げるかのような哀愁が漂う幕切れだった。
そのサッカーは画期的だった。CL史において最も印象に残るチームはと問われれば、当時のアヤックスを挙げるだろう。一方、アレナもスタジアム史に照らすと画期的な存在となる。画期的なサッカーを画期的なスタジアムで見たかった。グラスホッパーとの一戦を眺めながら、タイミングのズレを恨めしく思ったものだ。アヤックスの栄光は、新スタジアムの完成を待たずに終了。巡り合わせの悪さを感じる。
特質すべきは、開閉式屋根を備えたドームである点だ。欧州のサッカースタジアムにおいてはその先駆者的な存在になる。スタジアムの概念はアレナ完成を機に大きく変わることになった。
客船をイメージさせるスタジアムの器。そしてなにより斬新さに目を奪われるのは、高速道路から続く高架橋式の道路が、その器の中を貫通しているというビジュアルだ。スタンド階下の駐車場へと直結しているので、車で訪れた観衆は、雨に一切濡れることなくスタンドに入ることができる。そして観客席に座れば、今度は開閉式ドームの恩恵に授かれる。ここでも雨風に打たれることはない。さらに、スタンドの傾斜が急なので、ゲームを俯瞰で楽しむことができる。快適空間なのである。
場内の案内表示も大きくて、カラフルでわかりやすい。観客ファーストの精神が貫かれている。「おもてなし」の精神は、アクセスにも現れている。アムステルダム中央駅から電車で約15分。アムステルダム国際空港(スキポール空港)からも約20分の距離にある。国鉄もあれば地下鉄もある。地下鉄は両ゴール裏に1駅ずつ、計2駅ある。ホームとアウェーのサポーターが別々の導線をたどれるような仕組みになっている。
その周辺には、完成当時、何もなかった。埼玉スタジアムのように寂しい風景に包まれていた。だが、そこには綿密な都市計画が描かれていて、周辺は訪れるたびに充実。市街地化していった。いまや、ショッピングセンターやコンサートホール、ホテルやシネコンなどが立ち並ぶ、エンターテインメント色の強い街の総合コミュニティとして機能している。
スタジアムプラスアルファ。スタジアム周辺を複合施設化していくこの考え方は、アレナの完成を機に、あるべきスタイルとして欧州各地に広まっていくことになった。
空港はスタジアムと概念が似ているという航空評論家が書いた文章を読んだことがある。また、航空評論家による投票で、スキポール空港が高く評価されているというニュース記事も目にしたことがある。スキポール空港とアレナは実際、雰囲気がよく似ている。表示がわかりやすくて機能的。快適性の高さという点で一致している。スキポール空港とアレナ。セットで味わうことをオススメする。
1996-97シーズンのCL準決勝でアヤックスに大勝したユベントスは、決勝で2連覇を狙いドルトムントと対戦したが、1-3で敗れた。翌1997-98シーズンも、ユベントスは決勝に進出している。ちなみに、3年連続で決勝に進出したチームは、後に2015-16シーズンから3連覇を達成したレアル・マドリードしかいない。CL史に基づくと、この時がユベントスの黄金時代になる。しかし、3シーズン目に入ると、そのサッカーは守備的になっていた。プレッシングからカテナチオへと、大きく舵を切っていた。
これはユベントスに限った傾向ではなかった。イタリア、ドイツなどを中心に、守備的サッカーは欧州でかつてない流行を見せていた。
1997-98シーズン、ユベントスと決勝で対戦したのはレアル・マドリード。こちらは、実に17シーズンぶりの決勝進出だった。
舞台はアムステルダム。アレナである。下馬評で上回っていたのはユベントス。しかし、試合に勝ったのはレアル・マドリードだった。
守備的サッカー対攻撃的サッカーとなったこの一戦。現代サッカーを語るうえで欠かせない試合になる。ここで攻撃的サッカー(レアル・マドリード)が勝利したことで、守備的サッカーは衰退に転じた。もしユベントスが勝利していれば、その後のサッカーは違った方向に進んでいた可能性がある。この一戦は、まさに天下分け目の大一番だったのだ。
アムステルダム・アレナ=ヨハン・クライフ・アレナは、日本史で言うところの関ヶ原か。攻撃的サッカーを語るうえで欠かせない聖地と言っても過言ではない。