欧州スター選手列伝極私的バロンドール(7)カルレス・プジョル(2005-06) 2004年秋のことだった。バルセロナが用意したインタビュールームに入ってきたカルレス・プジョルは、肩まで伸びた髪を靡かせ、筋骨隆々の体を揺らし、サッカー選手とい…

欧州スター選手列伝
極私的バロンドール(7)
カルレス・プジョル(2005-06)

 2004年秋のことだった。バルセロナが用意したインタビュールームに入ってきたカルレス・プジョルは、肩まで伸びた髪を靡かせ、筋骨隆々の体を揺らし、サッカー選手というより、レスラーのようだった。堂々とした足取りに隙がない。剛の者の気配だ。

「ヘラクレス」

 それが当時の異名だったが、当たらずとも遠からず。伝説上、赤ん坊のヘラクレスは襲ってきた蛇を絞め殺し、長じてあらゆる武芸を身につけ、無敵の戦士となったが--。



バルセロナ、スペイン代表で活躍したプジョル

「闘うことでしか、自分を表現できない」

 プジョルは言った。戦う、ではない。闘う、と訳すべきだ。

 そのサッカー人生は数奇である。

 プジョルは、怖いもの知らずの少年だった。ジャンプ台から自転車で空を飛び、「どこまで跳べるか」を競う。当然、骨折や生傷は絶えなかったが、ちっとも懲りなかった。

 14歳になるまでは、運動靴でプレーしていた。スパイクを履いたことはなかったという。地元にジュニアチームがなく、フットサルを仲間と興じるレベルだったが、バルサの選手になることを信じて疑わなかった。

 そして、14歳で初めてスパイクを履いた。選手の頭数が足りず、試合ができないこともあるチームで奮闘し、小さな大会で優勝。その活躍により、地方選抜チームに選ばれた。当時は、バルサのスターだったブラジル代表FWロマーリオに憧れていたという。

 しかし、選抜チームでは人数合わせで、ユニフォームをもらえなかった。ろくにボールも蹴らしてもらえない。自尊心を引き裂かれた。

 ただ、少年はあきらめなかった。

 17歳の時、つてを辿ってバルサのトライアルを受ける。当時はFW、右サイドハーフが主戦場だったが、明らかに一番下手だった。本人が「自分自身、下手過ぎて驚いた」と告白するほどに。

 それでも、全力で食い下がり、誰よりも闘志を見せた。その姿が関係者の目に留まった。選手と対峙するたび、その短期間でもプレーを改善していた点が評価されたのだ。

 2000-01シーズン、レアル・マドリードの選手としてカンプ・ノウに戻ってきたルイス・フィーゴを、右サイドバックとして完全に封殺。屈強な体と精神を買われて抜擢されたわけだが、その名を一気に高めた。英雄フィーゴを抑えることで、ディフェンダーとして覚醒したのだ。

 2003-04シーズン、センターバックに固定されるようになると、存在感が増した。迫りくる敵を悉(ことごと)く撃滅。守りの番人としての頼もしさは際立った。

「プジョルがいなければ、バルサの攻撃的サッカーは成立しない」

 ルイス・ファン・ハール、ラドミル・アンティッチ、フランク・ライカールトなど、歴代の監督たちがそう口をそろえた。

 2004-05シーズン、守備の屈強さが余裕を生み出す。周りの信頼を勝ち取り、主将の腕章を巻くようになった。リーダーシップを発揮し、味方だけでなく敵からも一目置かれた。

 そして、ひとつの深みに到達したのが、2005-06シーズンだ。

 守備で敵を完全に押し返すと、攻撃でも後ろから支えた。無骨だが、目を引く縦パスも入れられるようになった。プレッシングに動じず、迅速な判断で回避し、ゲームを構築。ついにUEFAの最優秀DF賞を受賞した。

 以来、プジョルは世界最高のディフェンダーのひとりに数えられるようになった。成長カーブの角度で、彼以上の守備者はいない。それは闘争によって生み出されたものだ。

--バルセロナではアタッカーばかりが優遇されるが、嫉妬は?

 プジョルに、あえてその質問をぶつけた。

「そんなものはないさ。俺は現実を受け入れるだけ。バルサでディフェンスの任務を遂行するのは難しいが、それなりのやり方はある。多くの選手が攻撃的で前に上がりたがるから、守備の選手も自陣で守っていられない。自陣に張り付けば、中盤のスペースを敵に蹂躙(じゅうりん)され、守り切れなくなる。だから、前で守備をして中盤の穴を埋め、しっかりと攻撃につながるプレーを心掛けている」

 少しも誇張がない、過不足のない答えだった。プジョルらしい。

「対戦した選手たちとの”立ち合い”が、自分を成長させてくれたんだよ」

 プジョルは静かに言った。

「過去、自分が対戦した選手では、フィーゴが一番苦労した。少しでもスペースを与えると、間合いに入られる怖さがあった。『完封』と絶賛されたけど、いつやられてもおかしくなかったよ」

 バルサひと筋で15年、600試合近くに出場し、6度のスペイン王者、3度の欧州王者など、数え切れないほどのタイトルを勝ち獲った。

 スペイン代表としても、ユーロ2008、2010年南アフリカW杯で優勝。これだけの栄冠を勝ち獲ったディフェンダーがいるか--。ギリギリの勝負を制することによって、たどり着いた境地だ。

 キックオフ直前、プジョルはいつも厳かに十字を切った。それは、何者も恐れないための祈りだったのか、チームの勝利を念ずるものだったのか。その”儀式”を経て、彼は雄々しい戦士となった。

 2006年まで5年間、バルセロナに住んでいた筆者は、その姿に胸を熱くした。愚直に闘い続けたら、何か事を成せる。そう励まされる気分だったのだ。

 実はインタビューの約束は一度、ドタキャンされていた。

「今日は歯医者の診察が入ったから、インタビューは明日ね。大切な治療なんだ」

 プジョルはそう言って足早に去った。唖然としたが、不思議と感心した。それだけ体を気遣っているんだなぁ、と。

 闘う男の流儀だ。