静岡県 浜松のストリートから東京や大阪へダンスを始めたきっかけは、ナインティナインの岡村さんでしたね。僕たちの世代のダンサーだと誰もが通る道です(笑)。13歳からダンスを始め、兄の影響もあり、地元である静岡県の浜松で、年上の人たちと独学で練…

静岡県 浜松のストリートから東京や大阪へ

ダンスを始めたきっかけは、ナインティナインの岡村さんでしたね。僕たちの世代のダンサーだと誰もが通る道です(笑)。13歳からダンスを始め、兄の影響もあり、地元である静岡県の浜松で、年上の人たちと独学で練習していました。当時はYouTubeもまだ普及していないし、ビデオをコマ送りにして技を解読していました。

兄貴は自分よりも勉強も出来るし、何をやっても勝てなかった。でも、ブレイクダンスだけは勝てる兆しがあって、それがモチベーションになっていました。その後、浜松駅で他のB-boy達とも練習するようになり、よりストリート道へのめり込んでいきました。


photo by AYATO.

浜松だけではイベントや大会が少ないので、東京や大阪に月一回くらいのペースで遠征に行っていましたね。でも全然結果が出なくて、予選落ちが続いていました…。結果が出始めたのは17歳の時で、大阪で出た若手限定の大会で個人賞を貰いました。それを機に自分のダンススタイルが少しずつ定まっていて、徐々に結果もついてくるようになりました。

あの日、涼宮ハルヒが僕の人生を変えた

昔からアニメは好きでしたが、18歳で『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品に出会い、再び秋葉原カルチャーにハマりました。主人公の涼宮ハルヒは、とにかく行動力がすごいキャラクターで、とても影響されました。

当時ハルヒに触発されて、浜松から東京の秋葉原まで、ヒッチハイクで移動するチャレンジをしたんですよね。結果、上手くはいかず、鈍行列車で東京に行くことになったのですが、この出来事が人生を変えます(笑)


photo by AYATO.

その日、東京に到着したのが遅い時間になってしまい、秋葉原に行くのを断念して、たまたま町田駅に降りたんです。そしたらB-boyが練習していて、声をかけて一緒に練習することになりました。

そこで出会ったのが、後にチームを組んで日本一になるメンバー(廻転忍者のキャシー)で、初対面の僕に「B-BOY PARKのクルーバトルに出よう!」って声をかけてくれて、それがきっかけとなり、その後頻繁に東京に通うようになりました。

あの日、ハルヒの行動力に影響されて、「秋葉原に行こう」って思わなかったら、彼と出会ってないんですよね。ハルヒには感謝しています。僕が秋葉原に行くきっかけをくれた。感謝しても仕切れないです。
なので、その時にダンサーネームを決めました。僕のあこがれでもある涼宮ハルヒから名前をとって、涼宮あつき、です。


photo by AYATO.

RABとの出会い、スタイルの変化

2007年にRed Bull BC Oneの日本予選に出ることになり、スキルアップする為に、1ヶ月寝袋を片手に東京で修業していました。東京でホームレスしながらブレイクダンスの練習です(笑)。

修業期間中に新宿のダンサーが集まる練習場所で、RAB(リアルアキバボーイズ)のメンバーであるけいたんと出会い、アニメの話で意気投合しました。実はその出会いをきっかけにRABにも加入することになります。

この頃から、RABのメンバーに影響されて、ダンススタイルも変化していくんですよね。みんなが遊びで、ブレイクダンスにアニメの動きを取り入れていて、アニメのキャラクターがやっているジェスチャーやアクションを、技の間に入れていくムーブを作っていました。

自分もそれを真似することで、スタイルのバランスが取れてきて、コミカルな動きを入れつつ、説得力が出るようにブレイクダンスのスキルも磨いていました。


photo by AYATO.

僕たちのスタイルには賛否がありましたが、否定される人たちへの反骨精神もモチベーションになっていて、以前よりも更にバトルで勝てるようになりました。そして、アニメに対する愛も、当時スタイルを貫けた理由で、バトルの賞金もほとんどを、アニメグッズなどに費やしていました。ある意味HIPHOPですよね(笑)

プレイヤーとお客さんの両方が楽しめるイベント

最近ストリートダンスシーンは、良い意味でも悪い意味でも、飽和状態で成熟してきていると思っています。カテゴライズされ細分化している分、よりコアでアンダーグラウンドになっている。そしてプレイヤーだけのものになりつつあると感じています。

一方で、僕がA-POPのシーンでイベントをオーガナイズする際は、プレイヤーだけでなく、いかに一般のお客さんを巻き込めるか、意識していますね。自分がオーガナイズしているイベント『あきばっか~の』は、イベントに参加するプレイヤーが300人なのに対して、観戦に来るお客さんは700人います。これだけ一般の人がダンスを見に来るイベントは、最近なかなか無いと思います。


photo by AYATO.

プレイヤーだけのイベントにしない為に、メディアでの情報発信も工夫をしています。お客さんを増やすためには、プレイヤーのファンが必要なので、『あきばっか~の』が配信している動画では、必ずダンサーネームを表示しています。名前を覚えてくれないと、応援してくれるわけがない、そう思っています。

また、実際にイベントに来てもらうと分かるのですが、ダンスバトル中に曲がかかると、観客席から合いの手が入ります。合いの手も覚えて貰いたいので、アニメのタイトルや曲名を、動画の中に表記していたりもしています。
プレイヤーだけでなく、イベントに来てもらうお客さんも育てていきたいですね。

昔は小さい箱で開催していて、規模も小さいイベントだったから「楽しい!」だけで出来ていましたし、放任主義的な感じで、参加者の皆に任せて運営していた分もありました。でも、そのやり方が通用するのは1,000人規模までで、これから更に規模を大きくするためには、そのやり方だけでは難しいと思っています。


photo by AYATO.

プレイヤーが悪い意味でコアになって尖ってしまい、一般のお客さんが入りにくくなってしまうことは避けたいです。もちろんプレイヤーにも活躍して貰いたいですが、『プレイヤーの為だけではないイベント』を意識して、みんなを導くことが出来るイベントオーガナイズをしたいです。
それがシーンをつくる人やオーガナイザーの役割だと思っています。

A-POPをもっと世の中に発信したい


photo by AYATO.

『あきばっか~の』はもっと大きくしたいです。少し前まで、川崎クラブチッタでやるのがゴールだったけど、まだまだ大きく出来る!ここで終わるのはもったいない、という気持ちになってきました。
一人で大きくするのは無理ですし、プレイヤー、お客さん、みんなの意見を聞いて大きくしていきたいです。

全部のイベントに、一般のお客さんが来てくれれば良いとも思っていなくて、シーンの中には、プレイヤーだけのアンダーグラウンド志向な大会があっても良いと思います。でもそれだけだとつまらないと思っていて、選べるダンスシーンをつくりたいです。


photo by AYATO.

プレイヤーとしても、オーガナイザーとしても、とにかくフレッシュなものが好きです。なので、これからも、新しいもの、新しい景色、新しい発見や感動を、求めていきたいと思っています。

個人の活動では、メジャー寄りのRABの活動と、アンダーグラウンド寄りのWASEDA BREAKERSの活動を両立して、ミドルシーン的な立ち位置で頑張っていこうと思います。A-POPというカルチャーを広めて、自分の生きた証を残したいです!

Written by :Shin Akiyama