欧州スター選手列伝極私的バロンドール(4)ヤリ・リトマネン(1995-96)1994-95シーズンはアヤックスのCL優勝に貢献したヤリ・リトマネン 1992-93シーズンにスタートしたチャンピオンズリーグ(CL)。その27年の歴史のなかで、…

欧州スター選手列伝
極私的バロンドール(4)
ヤリ・リトマネン(1995-96)



1994-95シーズンはアヤックスのCL優勝に貢献したヤリ・リトマネン

 1992-93シーズンにスタートしたチャンピオンズリーグ(CL)。その27年の歴史のなかで、「最も印象に残るチームは?」と問われれば、1994-95シーズンの覇者、アヤックスと即答する。

 続く1995-96シーズンは準優勝。1996-97シーズンもベスト4と、アヤックスは3シーズンにわたり、欧州の頂点付近に君臨した。

 1994-95シーズン優勝の立役者を語るとしたら、真っ先に名前が挙がるのはフランク・ライカールトだ。その前シーズンにミランから復帰。1988-89、1989-90シーズンにCL2連覇を飾るなど、ミラン時代に培った王者の気質で、アヤックスという若くて経験の浅いチームをリードし、優勝に導いた。

 ライカールトはしかし、このCL優勝を最後の花道に、現役を引退する。では、ライカールト引退後の1995-96シーズン、最も貢献度が高かった選手は誰か。

 ルイス・ファン・ハール監督率いるアヤックスは、中盤ダイヤモンド型3-4-3を敷いていた。当時、採用する布陣の珍しさも目に留まったが、その布陣を構成するメンバーのバラエティさも驚きに値した。

 スリナム系、アフリカ系(ナイジェリア)の黒人プレーヤーが常時、半数以上スタメンに名を連ねていた。10代の選手が、スタメン及びそれに近いポジションに何人もいた。一卵性双生児(デ・ブール兄弟)の存在も目をひいた。ヒョロっとした長身選手もいれば、ちびっ子選手もいた。

 そのデコボコ感溢れる、漫画チックな集団の中にフィンランド人が混じっていることも、心を動かされた点だった。

 ローマのオリンピコでユベントスと争った1995-96シーズンのCL決勝。

 アヤックスは前半12分、DFフランク・デ・ブールとGKエドウィン・ファン・デル・サールの呼吸が合わず、バックパスの処理をもたつく間に、ユベントスのFWファブリツィオ・ラバネッリに先制点を流し込まれてしまう。

 連覇を狙ったアヤックスに、同点ゴールが生まれたのは前半41分。フランク・デ・ブールの直接FKを、ユベントスGKアンジェロ・ペルッツィがパンチでクリアしたボールに、鋭く反応したフィンランド代表選手、ヤリ・リトマネンが押し込んだゴールだった。

 1-1。試合は延長を経てPK戦に突入した。

 CLで連覇を飾るチームは、前述のミラン以来、2015-16シーズンから3連覇を達成したレアル・マドリードまで、四半世紀以上、出現しなかった。そのなかで最も惜しかったチームが、このユベントスとの決勝で、延長PK負けしたアヤックスとなる。最も印象に残るチームと言いたくなる理由でもある。

 リトマネンが決めた同点ゴールは、1995-96シーズンのCL通算9点目。彼は得点王に輝いた。当時の決勝トーナメントは8チームで争われていたため、決勝までの全試合数はホーム&アウェー方式で計11試合(グループリーグ6試合+トーナメント5試合)。ゴール率の高さが目に留まる。

 しかし、リトマネンはCFではない。中盤ダイヤモンド型3-4-3のCF(ヌワンコ・カヌあるいはパトリック・クライファート)の下で構える1トップ下だ。

 高校時代まで、アイスホッケー選手とサッカー選手を掛け持ちしていた。2001年、筆者がフィンランドのラハティで開催されたノルディックの世界選手権に出かけた時のことだ。駅から会場まで向かったタクシーの運転手は、こちらがサッカー取材に出かけることのほうが多いスポーツライターだと伝えると、「知ってるか、キミ。リトマネンはこの街の生まれで……」と、彼についてとうとうと解説を始めたのだった。

「夏はサッカー、冬はアイスホッケー。ともにエースだった。17歳の時にどっちに進むか、選択を迫られて、それでサッカーを選んだんだ。アイスホッケーを続けていても、相当いい選手になっていたと思う」「アイスホッケーで培った高い動体視力がサッカーにも活かされている。その極めつきが1995-96シーズン決勝の同点ゴールではないか」……。

 確かに、ユベントス戦の同点ゴールは、「リバウンド」に誰よりも早く反応した結果、生まれたゴールだった。その一連の身のこなしは、サッカー選手の反応のレベルを大きく凌駕していた。

 リトマネンは、とにかくプレーが鋭く”切れる”選手だった。 アイスホッケーの選手が、スティックのブレードを操作する動きを彷彿とさせるインサイドキック。身体の面の作り方がうまいので、相手にパスの方向性を読まれにくい。瞬時に向きを変え、意外な方向にスパッと出す。ボールの転がりもまたアイスホッケー的で、パックが氷面を這うように速く滑らかで鋭かった。

 身体はバランスよくクルクルと回った。足腰はしっかりしているし、ハンドオフは巧みで、懐も深いので、ゴールを背にするポストプレーも得意にした。高い位置で安定性抜群のプレーを見せた。「10番」と言えばゲームメーカー的だったそれまでの(特に日本における)概念を覆す、サッカーの方向性を示唆するような近代的な10番だった。

 アヤックスにやって来たのは1992-93シーズン。その時、チームにはデニス・ベルカンプがいた。リトマネンに話を聞けば「ベルカンプのプレーを見て学んだ」という。翌シーズン、ベルカンプはインテルへ移籍。リトマネンはベルカンプのポジションにすんなりと収まった。

 ベルカンプとリトマネン。違いを見いだすなら多機能性にある。前者は1トップ下か、2トップの一角がせいぜいだったが、リトマネンは、ダイヤモンド型を成す中盤の4ポジションすべてを難なくこなし、CB、CFとしてもプレーしている。

 アヤックスを率いたファン・ハールは、「戦術的交替」を得意にする監督だったが、リトマネンの多機能性はそれに不可欠となっていた。10番を背負うエースといえば、監督が扱いにくい我が強い選手が多そうだが、リトマネンはその真反対をいく、監督にとって使い勝手のいい選手だった。言われればどのポジションでもプレーした。

 さらに言えば、よく守備をした。相手ボールに転じれば、しつこくボールを追いかけた。ボール奪取能力にも優れていた。リトマネンに狙われると、かなりの確率で捕まった。忠実、勤勉、真面目。少なくともCLの歴代得点王にこのタイプの選手はいない。

 画期的で斬新な印象を与えたアヤックスの10番。延長PK勝ちしたユベントスの10番、アレッサンドロ・デル・ピエロも捨てがたいが、1995-96シーズンのベストプレーヤーは、あれから20数年経過したいまなお”進歩的な選手”としてとおるリトマネンでいきたい。