勝利し、喜びを爆発させる彼女の姿を、まだ見たことはないように思う……。 BNPパリバ・オープン(インディアンウェルズ)でツアー初優勝の栄冠を掴んだ時は、ファミリーボックスへと向けた顔に、輝く笑みを広げるのみだった。今年の10月で大坂なおみ…

 勝利し、喜びを爆発させる彼女の姿を、まだ見たことはないように思う……。

 BNPパリバ・オープン(インディアンウェルズ)でツアー初優勝の栄冠を掴んだ時は、ファミリーボックスへと向けた顔に、輝く笑みを広げるのみだった。



今年の10月で大坂なおみは23歳になる

 その6ヶ月後に全米オープンで敬愛するセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破り、手にしたグランドスラム初優勝は、主審の判定を巡る狂騒のなかで悲しみの涙に彩られた。

 グランドスラム連続優勝を成した全豪オープンでは、緊張から開放された安堵のため、勝利の瞬間、その場に崩れるようにしゃがみこんだ。

 多くの選手が優勝や金星獲得時に見せる歓喜の雀躍(じゃくやく)や、コートに大の字に倒れこみ涙にむせぶ姿を、彼女はまだ公の場で見せたことがない。

 初めて彼女と話したのは、2014年、岐阜の長良川テニスセンターで行なわれた、ツアーの下部大会に相当する賞金総額6万ドルの国際大会だった。

 その日は雨で、試合が行なわれたのはインドアコート。16歳のその少女は、屋内施設に響きわたるサーブやストロークのインパクト音で見る者を驚かせるが、ミスも多く、試合には競り負ける。

 試合後は、プレーヤーズラウンジ代わりに使われているカフェの一角で、短く立ち話をさせてもらった。

 生まれたのは日本であること、3歳でアメリカに渡ったこと、基本的に姉と父親の3人で練習し、ここまで来たこと……。彼女は、当時すでに180cmあった長身の背を少し丸めるようにし、こちらの質問に対し小さな声で、短くポツリポツリと最小限の言葉を返す。

 コート上の豪胆な姿とは対象的に、オフコートではとてつもなくシャイ……。それが、大坂なおみに抱いた第一印象だった。

 その時から3カ月後。

 彼女は、サンフランシスコ開催のWTAツアー大会で予選を突破して初出場すると、初戦で当時世界ランキング19位のサム・ストーサー(オーストラリア)を破り、一躍注目の若手プレーヤーとなる。

 腰を据えて彼女にじっくり話を聞けたのは、そのブレークスルーの時から1カ月後。短期間で多くの会見やインタビューを経験してきた彼女は、まだ恥ずかしそうにしながらも、そのような「仕事」にも幾分慣れた様子だった。

「子どもの頃は、お父さんにビデオで撮ってもらいながら、会見の練習をしていたの。その頃は、すごくおしゃべりだったのにな……」

 そう照れた笑みをこぼす彼女は、冗談や、はにかんだ口調のオブラートに包みながらも、時に豪胆にも響く印象深いひと言や、勝負師としての哲学を短い言葉に落とし込んだ。

 ストーサーとの試合で、自身にまず言い聞かせたのは「見ている人たちの度肝を抜くような”特別な何か”をしよう」ということ。

 観客たちが、スタープレーヤーであるストーサーを応援するであろうことはわかっていた。ならば、自分は名刺代わりの超高速サーブで、自らが何者であるかを人々に知らしめ、スタジアムの空気を変えることを考えていたという。

 そして勝利の瞬間——、彼女はこの時も、それがさも当然だとでもいうかのように、淡々とネット際へと歩みを進め、ストーサーと握手を交わす。

「興奮しすぎてはいけないと思っていた。時々、勝つとラケットを投げたり、叫ぶ人がいるけれど、私は落ち着いてネットまで歩いていこうと思ったの。

 だって、これが自分のベストプレーだと思いたくなかったし、見ている人にも、そういうふうに思われたくなかったから。私のベストは、もっと先にあると感じたかった」

 それが、16歳の無名のルーキーが元全米オープン優勝者から大金星をもぎ取った時、真っ先に頭に浮かんだ思考だった。

 そのセンセーショナルなデビューから、約4年半後。

 昨年の全豪オープンを制し、世界1位に上り詰めることも決まった時、周囲は「あまりに早く訪れた栄光に、戸惑いを覚えないか?」という趣旨の質問を繰り返した。

 そのたびに彼女は、やや怪訝そうな色を目に浮かべ、小さな笑みを口の端に浮かべながら「早すぎるとは思わない。私の時間は、みんなより速く流れているのかもしれない。むしろここに来るまで、とても長い時間がかかったと感じる」と答えている。

 20歳でのインディアンウェルズ優勝も、「永遠の憧れ」の存在であるセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破って手にした全米オープン優勝も、そして21歳にして達した世界1位の座も、彼女にとっては始まりにすぎない。

 昨年末、彼女は自身が目指す理想像を、女王でもレジェンドでもなく「レガシー」だと定めた。

「この競技の位置づけを変えるような存在」

 それが、彼女が掲げるレガシーの定義。

 この1年で浴びてきた全方位からの注視と、それに伴う重圧やストレスも、すべては「レガシー」という究極の目的地の前では”通過儀礼”にすぎないだろう。

 勝利し、喜びを爆発させる彼女の姿を、まだ見たことはないように思う。

 それは16歳の時と同様に、彼女がいまだ「私のベストは、もっと先にある」と信じているからに他ならない。

 彼女が飛び跳ね、泣き叫ぶほどに歓喜の情を表出する時、テニスという競技の歴史に「新たなレガシー」が誕生する。