1993年~2019年Jリーグ『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた第10回:1995年の三浦知良(ヴェルディ川崎/FW) 1998年フランスW杯直前、カズこと三浦知良が日本代表から外れた時、53歳になってもなお現役選手でいるとはまった…

1993年~2019年Jリーグ
『私のMVP』~あの年の彼が一番輝いていた
第10回:1995年の三浦知良(ヴェルディ川崎/FW)

 1998年フランスW杯直前、カズこと三浦知良が日本代表から外れた時、53歳になってもなお現役選手でいるとはまったく想像できなかった。カズの年齢はその時、31歳と3カ月。代表チームを離れるタイミングとしては、どちらかと言えば早い方になる。選手としての寿命は短いかに見えた。

 ブラジルから日本に帰国したのは1990年。23歳の時で、Jリーグがスタートしたのは93年、26歳の時だった。

 翌94年、イタリアに渡りジェノア(セリエA)に1シーズン所属した後、帰国。95年Jリーグ第2ステージからヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に復帰した。28歳の時だった。



1995年、ジェノアからヴェルディ川崎に復帰した三浦知良

 カズが最も輝いたシーズンはいつだったのか。

 Jリーグ開幕元年の93年、カズはJリーグから年間最優秀選手として表彰されている。26歳で迎えたこのシーズンをベストとするのが一般的かもしれない。しかし、ジェノアから帰国した直後、95年の方が、筆者には特別なシーズンに見えて仕方がない。

 出場したのは第2ステージからだったが、そこでカズは26試合に出場して23得点という圧倒的な数字を残している。この年、年間の得点王に輝いた福田正博の得点が50試合で32だったことを考えると、その23という得点が、どれほど価値のある数字か、おわかりいただけるだろう。

 カズは実際、その翌96年、年間の得点王(27試合、23得点)に輝いている。Jリーグはこの年から1シーズン制に転じたため、前年と単純に比較はできないが、カズのベストシーズンを探ろうとすると、この96年も有力な候補になる。

 93年のカズと、95年、96年のカズとでは何が違うのか。93年以前のカズは、チャンスメーカー色の強いアタッカーだった。

 ブラジル時代はウインガーだった。キンゼ・デ・ジャウー時代に出場したブラジル全国選手権では、ポジション別の記者投票で、左ウイング部門において3位にランクされていた。ところが当時の日本に、そのポジションは存在しなかった。

 23歳で帰国。日本リーグ時代の読売クラブでプレーしたカズは、なによりそのスタイルの違いに戸惑った。日本のサッカーが遅れていただけの話なのだが、その年(90年)、21試合に出場し、4得点7アシストに終わったカズは、評価を得られなかった。「鳴り物入りで入団したわりにこの程度か」と囁かれたりもした。

 そこからカズは、プレースタイルの変更に取り組んだ。ウインガーというサイドアタッカーから、真ん中でプレーする2トップ型FWへの転向である。それが実を結んだのがJリーグ元年=93年だった。

 よりFW的な色を強めたカズは、94年、それを武器にセリエAへ渡った。しかし、現地で見るその姿は、日本で見るカズより数段、小さく映った。フィジカル面で劣勢に追い込まれていることは明白だった。

 94-95シーズンのセリエA開幕戦。ミラン戦でフランコ・バレージと空中戦を競った際に鼻を骨折。そこから1カ月あまり、チームを離脱したことが、ジェノアから退団する時期を早めた原因だとされるが、その空中戦でなぜカズはケガをするほど無理をしたかのほうが問題だった。身体を張ることができないとイタリアでは通じないと感じ、頑張りすぎたのだ。焦る気持ちが自分自身に無理なジャンプをさせたという印象だった。

 真ん中ではなく、ブラジル時代のように左ウイングとして勝負した方が面白かったのではないか。現地でカズのプレーを見て抱いた印象だ。「93年型」の自分では、通じないことを自覚したのだろう。カズはバレージとの接触を機に一念発起した。身体を徹底的に鍛え始めたのだ。

 イタリアから帰国した頃は、「趣味は筋トレ」と言ってはばからないほどだった。その結果、プレーに重量感が生まれた。より重さを備えた、本格派色の強いストライカーへと変貌を遂げた。第2ステージからの出場だったが、95年にマークした26試合23点は、その賜物と言えた。

 95年の年間最優秀選手に選ばれたのは、ドラガン・ストイコビッチ(名古屋グランパス)だった。文句なしと言えば文句なしの選出だ。しかし、カズのブラジル時代からの推移を見てきた筆者は、95年こそカズを推したくなる。

 問題は96年との比較だ。28歳から29歳になったカズは、前述のようにJリーグで初の得点王にも輝いている。ストライカーとしてますますスケールアップしていった。しかし、スケールアップしすぎたとの印象も同時に抱くことになった。カズが本来備えていた、いい意味での軽さ、俊敏さ、技術的に言うならば、逆をとる巧さは失われていった。軽さと重さのバランスが失われた状態にあった。素人目に見ても、骨格に対して筋肉が付きすぎているようだった。

 翌97年。Jリーグと並行して行なわれたフランスW杯最終予選では、それが顕著となって現れた。カズは98年フランスW杯直前にメンバーから外れ、帰国の途に就くことになった。衰えたというより、重たい印象の方が強い状態だった。

 あれから22年。いまだカズが現役でいられる理由を独自に推測するならば、かつての「筋トレ」に求めたくなる。現在は、余計な筋肉がそげ落ち、必要な筋肉が保たれている状態。鍛えられた体幹が身体の老化を遅らせている、と見る。