テニスプレーヤー、ダニエル太郎——。 彼の存在や名前を、昨年1月に放映されたバラエティ番組『行列のできる法律相談所』で知ったという人も、少なくないかもしれない。ダニエル太郎はカリフォルニアでツアー中断を知った モデルのような均整の取れた長…

 テニスプレーヤー、ダニエル太郎——。

 彼の存在や名前を、昨年1月に放映されたバラエティ番組『行列のできる法律相談所』で知ったという人も、少なくないかもしれない。



ダニエル太郎はカリフォルニアでツアー中断を知った

 モデルのような均整の取れた長身に、甘いマスク。父親はアメリカ人、母親は日本人で、生まれた街はニューヨーク。スペイン暮らしも長かったため、日本語と英語に加えてスペイン語も流暢に操る。そのような国際色豊かな履歴と、古風な和名の取り合わせは、人々の印象にも刻み込まれやすいだろう。

 もちろん本業でも、ダニエルは2018年に大きなインパクトを残している。

 3月にBNPパリバ・オープン(インディアンウェルズ)でノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破って名を上げると、5月のイスタンブール・オープンでは日本人4人目(当時)となるATPツアー初優勝の栄冠を掴み取った。それらの活躍に伴いメディアへの露出も増えたため、街を歩いていても声をかけられる機会も増えていた。

「僕が子どもの頃に思っていたアスリート像に、少し近づいたのかな……」

 そのスポットライトは、ダニエルにとって「失いたくない」と感じる、心地よい輝きだった。

 だが、光射すところには影も生まれ、影は彼の視界を覆っていく。

 一度達した地位から落ちたくないとの思いは、恐れとなり、心を圧した。より上に行くため攻撃的なプレースタイルを標榜するも、それが具体的にはいかなるものか、明確な像を結べない。

 それらの苦しみを経た末に、彼は新たなモチベーションを得て、今シーズンを迎えていたという。2月初旬にはオーストラリア開催のATPチャレンジャー(ツアー下部大会)で優勝し、進む方向が正しいとの確信も得ていた。

 だが……自信を携え向かったアメリカ・カリフォルニア州で、彼はBNPパリバ・オープンを含めた、向こう6週間のツアー中断の報を耳にする。

「あの時は、日本からメキシコの大会に行って、そこからアメリカに入ったんです。まだアメリカはリラックスした雰囲気で、ツアーにまで影響が出るとは、誰も思っていなかったと思います。

 でも、インディアンウェルズのキャンセルが決まった時、僕はけっこうヤバイと思いました。すごく大きな大会が中止になったということは(2週間後の)マイアミ・オープンもそうなるだろうし、ヨーロッパの状況も悪化していたので(4〜6月の)クレーシーズンもダメだろうなと。

 そうなると、今シーズンそのものが、かなり難しいことになるだろうと。あの時、そう思いました」

 日本に戻ったあとのダニエルは、東京のナショナルトレーニングセンター(NTC)で練習する日々を過ごす。だが、状況が目まぐるしく移り変わるなかで、落ち着いた心持ちには、なかなかなれなかったという。

「帰国して1カ月近く経ちますが、まだ気持ちや状況は、あまり変わってないかな。毎日ニュースも変わってくるので、それにリアクト(反応)している感じが大きいです。

 何が起きるかわからないから、計画が立てられない。トレーニングプランにしても、本当なら今週(4月上旬)はトレーナーとやっているはずだったけれど、それもできなくなったので……難しいですね。

 自分でトレーニングしているけれど、いつツアーが再開するかわからないなかでは、『テニスのためにトレーニングしている』と考えちゃうと、モチベーションが上がらない。なので今は、アスリートとしてフィットしようと考えています。基本的な体力、ストレングス、持久力のキャパシティを上げていくことを目標にすれば、がんばれるので」

 目的意識や動機づけを見つける困難さは、今、すべてのアスリートが共有する心の空洞だろう。NTCで練習する選手たちにも、長期戦を覚悟し腰を据える者と、先行きが見えぬ今だからこそ、できる限りのことをやっておこうと追い込むタイプに大別されるようだ。

「そのどちらも正解で、間違いはない」と言うダニエルは、自身は後者のタイプに属すという。「みんなにも『なんで今、そんなにガンガンやっているの?』って聞かれます」と照れ笑いをこぼすが、それが彼の「正解」だ。

 ダニエルが今、「できる限りのことをやっておきたい」と思う訳は、身体が習得しつつあった「目指すテニス」の感触を失いたくない、との思いからかもしれない。

 ダニエルは今季を、新コーチのスベン・グローネフェルトとともに歩み始めていた。グローネフェルトは若き日のロジャー・フェデラー(スイス)や、元1位のアナ・イバノビッチ(セルビア)にマリア・シャラポワ(ロシア)らのコーチを歴任した、世界に名だたる名指導者。そのグローネフェルトを指南役に得たことで、進むべき道がクリアに見え始めたと、ダニエルは言う。

「僕は、あと10年くらいはテニスをできる自信はある。ただ、27歳になり、タクティク(戦術)やテクニックを改善する一番のチャンスは今かな、と思ったんです。

 23〜24歳のころは、ピークは自然と来ると思っていたし、実際に2年前にいい結果は出た。でも、それを続けるには、向上のためにエネルギーを使わないといけないと感じたんです。スベンを雇うのは大きなインベスト(投資)でもあるけれど、そうすべき時期だなと思って始めました。

 彼のような有名コーチは、いろんな選手からリクエストが来る。コーチ探しはタイミングも大きいので運もあるけれど、僕も、彼に選ばれたという感じもあるんです。彼は、単にお金では動かない。自分が手伝える……一緒にやりたとい思う選手としかやらない雰囲気があるので、僕も自信になります」

 加えて、グローネフェルトが語り聞かせてくれるトップ選手たちのエピソードも、ダニエルのモチベーションを賦活(ふかつ)した。

「いろんな選手の話を聞かせてくれるんです。面白かったのはフェデラーの話。スベンがスイスのテニス協会のコーチをやっていた時、フェデラーはまだ若くて、試合中にラケットを投げたりもしていたみたいで。

 それでスベンが言うには、ある時にフェデラーの態度が悪かったので、毎朝6時に起こして掃除係を10日間やらせたそうです。あのフェデラーでも、そんなことをしていたんだって!

 あと僕にとっては、スベンがシャラポワと何年もやっていたことは、すごく大きいです。シャラポワはプロフェッショナル中のプロフェッショナルという印象で、すごく尊敬している選手。

 そのシャラポワが、ラケットの重さやストリングのテンションにすごく細かく、すべてが同じでないとラケットを握らないくらいだったと聞いて、やっぱりそうなんだと思いました。それくらいこだわって、1%や0.5%でも勝つ確率を上げていくことが必要なんだなって」

 テニスの技術や戦術面でも、グローネフェルトとの取り組み以降、成長を感じることができたという。

「去年の12月にスベンがNTCに3週間来てくれて、そこで本格的に始めました。僕、いつもインタビューとかで『次のステップはもっとアグレッシブにプレーすること』と言ってきたと思うんです。でも、どういうふうにアグレッシブにしたらいいか、どうサーブをよくしたらいいかは、なかなかわからなかった。

 スベンはそこを、技術的にどう変えればアグレッシブになれるか、細かく、わかりやすく教えてくれました。なので、これを続けていけばもっと上に行けると、やっと思え始めたんです。

 たとえば、僕は『アグレッシブ』というと、強く打つことだと思っていた。けれど、打つタイミングを早くすれば、そんなにパワーを使わなくてもボールは飛ぶ。

 自分の持ち味は粘り強さであることを受け止め、そのなかでチャンスがある時はどうアタックするかや、ディフェンスからカウンターにもっていくステップの練習などもやっています。厳しいトレーニングですが、自分の上達が感じられるのでやり甲斐があるし、それがすごく必要だったなと思います」

 テニスを含めた自身の人生や、それを取り巻く世界そのものを俯瞰するかのような視野を持つ彼は、若い頃から「焦りたくない」との言葉を繰り返してきた。

 その構えに、大きな変化はない。この先、10年戦っていく自信もある。ただ、その10年間とは、「これだけやっているのだから大丈夫」だと確信できる『今』の連続性でもある。

 だからこそダニエルは、先行きが不透明なこの情勢下でも、今を必死に戦っていく。