東京六大学連盟は5日、国内の新型コロナウイルス感染拡大を受け臨時理事会を開催。1試合総当たりの方式に変更し、5月下旬のリーグ戦開幕を目指すと発表した。 1試合総当たり制での開催は1940年秋、41年秋、42年秋、46年春に次ぐ5回目のこと…

 東京六大学連盟は5日、国内の新型コロナウイルス感染拡大を受け臨時理事会を開催。1試合総当たりの方式に変更し、5月下旬のリーグ戦開幕を目指すと発表した。

 1試合総当たり制での開催は1940年秋、41年秋、42年秋、46年春に次ぐ5回目のこと。感染症拡大による方式変更は、連盟創設後初となる。

 また連盟は今後の感性拡大状況次第で、無観客試合や中止も検討していくとしている。

[小野原琢真]

◆1試合総当たり方式の歴史◆

①1940年(昭和15年)秋

 六大学リーグ史上初の1試合制開催で明大は優勝。チーム打率は1割7分5厘でリーグ5位だったが、投手陣がチーム防御率0点台と躍動した。

②1941年(昭和16年)秋

 「野球統制令」の規則が厳格化され平日、土曜日の試合実施が禁止に。変則的な日程でリーグ戦は実施された。1940年秋同様、投手陣は防御率0点台を記録したものの、打線が応えられず。立大と並ぶ3位に終わった。

③1942年(昭和17年)秋

 戦争による繰り上げ卒業で主力選手10人がリーグ戦前に卒業。残った選手で3勝し、早大、立大と並んだが、勝率の差で惜しくも優勝には届かず。立大と並び2位に終わった。

④1946年(昭和21年)春

 1943年~45年の3年間は戦争激化によりリーグ戦が中止されていたため、久々の開催となった。そのため明大はスタメンにリーグ戦経験者なしと、経験の差が浮き彫りに。早大と並ぶ3位に終わった。

⑤2020年(令和2年)春

 74年ぶりの1試合制。田中武宏監督(昭59文卒)ら首脳陣も未知の方式で戦うこととなるため、その戦略にも変化が生まれるだろう。投手陣では、先発が有力視されていた入江大生投手(政経4=作新学院)、竹田祐投手(政経3=履正社)をどのように起用していくのか。野手陣も積極的な代打起用などが予想される。監督として初のリーグ戦に挑む田中監督にとって、いきなり手腕の問われる戦いとなりそうだ。