心地よい武者震いと、ちょっとした違和感。異なるふたつの感情をその胸中に同居させながら、川崎フロンターレのゴールキーパー高木駿は利き足の左足からタッチラインをまたがせた。ホームの等々力陸上競技場に横浜F・マリノスを迎えた、9月25日のJ1セカ…

心地よい武者震いと、ちょっとした違和感。異なるふたつの感情をその胸中に同居させながら、川崎フロンターレのゴールキーパー高木駿は利き足の左足からタッチラインをまたがせた。

ホームの等々力陸上競技場に横浜F・マリノスを迎えた、9月25日のJ1セカンドステージ第13節。明治大学から加入して5シーズン目。念願のJ1デビューは後半24分、夢にも思わなかった形で訪れた。

■「こういう状況になるかもしれないと準備していた」

自陣のゴール前における競り合いで、ゴールマウスを守っていた新井章太が後半開始早々に顔面を強打。治療を受けて何とかプレーを続行したものの、同20分すぎにはピッチ上に座り込んでしまう。

駆けつけたトレーナーが慌てて両手を交差させて、脳震とうを起こしていた新井の交代を告げる。マリノス戦で今シーズン初めてベンチ入りを果たしていた高木は、しかし、すでに心の準備を整えていた。

「(新井)章太さんがクラッシュしたときから、こういう状況になるかもしれないと準備していました。詳しいことはわかりませんけど、頭を打っていたように見えたので。いざ出番が来たときには、もちろん章太さんのことは心配でしたけど、やっぱり『よっしゃ』という思いが…こういうときのためにずっと練習してきたというのがあるし、こういうことでもない限り、なかなかチャンスは巡ってこないので」

緊急事態でも驚くほど冷静だった。不動の守護神、韓国代表のチョン・ソンリョンが大宮アルディージャとの前節で右ひざを負傷。代役として今シーズン初先発を果たした新井までが、退場を余儀なくされた。

試合はフロンターレが1点をリードしていた。デビュー戦がマリノスとの「神奈川ダービー」で、しかも途中出場という極めて難しい状況も、出場機会に飢えてきたこれまでの軌跡を振り返れば乗り越えられた。

心のなかで何度も「よっしゃ」と言い聞かせたのが心地よい武者震いならば、ちょっとした違和感は憧れのピッチを踏みしめた足から伝わってきた。別の意味で、高木の両足は小刻みに震えていた。

「気持ち的には落ち着いて試合に入れたんですけど、足がかなり緊張している、というのがあって…」

新井がプレー続行不可能になる直前に、マリノスのMFマルティノスがフロンターレのキャプテン、MF中村憲剛をファウルで倒していた。試合はフロンターレの直接フリーキックから再開される。

■「とりあえず一回、思い切って蹴ろう」

まずはボールに触って試合に慣れろ、とばかりにチームメートからボールを託される。しかしながら、足の状態を考えれば、まずまともに蹴れない。カクテル光線を浴びながら、高木は腹をくくった。

「とりあえず一回、思い切って蹴ろうと。普通にミスキックをしてしまったんですけど、逆に最初にあのミスをしてしまったから、あとは大丈夫だろうと変な考え方に切り替えて。実際、その後はしっかりとプレーすることができたので」

ボールをセットして、6歩距離をとる。助走をつけてから左足で放たれたボールは、大きくスライスしながら左タッチラインを越えていった。不思議と足の震えが収まっていくのを、高木は感じていた。

3シーズンで8回。マリノス戦を含めて、高木がJ1でベンチ入りを果たした回数だ。2014シーズンからは2年間、J2のジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍して自らに武者修行を課した。

ジェフではユースからの生え抜き、岡本昌弘と激しいポジション争いを繰り広げながら40試合に出場。自信を膨らませながら復帰した今シーズンも状況は変わらなかったが、高木がふて腐ることはなかった。

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■レジェンドの指導で心技体を磨いた

今シーズンのフロンターレのゴールキーパーは、31歳のチョン・ソンリョンを筆頭に、ともに27歳の新井と高木、2012年のロンドン五輪に出場した26歳の安藤駿介の4人が登録されている。

ピッチに立てるのはひとりだけ。しかし、接触プレーが日常茶飯事のサッカーでは、いつ起こるともわからない不測の事態を想定しながら、キーパー全員が入念に練習を積んでおく必要がある。

「Jリーグのキーパーで一番練習しているのは、おそらくウチじゃないかなと。新吉さんのもとでキーパーだけで二部練習を行うこともあるし、すごくハードな練習メニューが多いなかで、本当にアイツらは頑張ってきた。なので、今日もまったく不安はありませんでした」

日本代表FW小林悠をして「新吉さん」と言わしめたのは、菊池新吉ゴールキーパーコーチ。黎明期のJリーグを席巻した絶対王者、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のゴールマウスを守ったレジェンドだ。

2001シーズン限りで現役を退いた後は指導者に転身。ヴェルディの育成組織で指導に当たった子どもたちのなかに、くしくも小学生から高校卒業までヴェルディで心技体を磨いた高木がいた。

当時J2の栃木SCのコーチを経て、フロンターレのゴールキーパーコーチに就任したのが2012シーズン。明治大学から加入した高木は恩師と再会し、再び厳しい指導を受ける日々が幕を開けた。

その菊池コーチから背中をバンバンと叩かれ、気合いと信頼感とを注入されて臨んだマリノスとのデビュー戦。積み重ねてきたものをすべて披露するかのように、高木が何度も躍動した。

■ゴールキーパーとしての精度を磨く

左サイドから得意のドリブルで切れ込んできた、FW齋藤学が放った後半28分のシュートを横っ飛びでセーブ。アディショナルタイムには、マルティノスが至近距離から放った強烈な一撃も体で止めた。

守備だけではない。リードを2点に広げた直後の42分。右サイドからあげられたクロスを、判断よく前へ飛び出して空中でキャッチ。着地するや、迷うことなく左足を振り抜いた。

ボールは約60メートル先、左タッチライン際を駆けあがっていたDFエウシーニョの足元へピタリと落ちてくる。ゴールには至らなかったが、伝家の宝刀、パントキックの初お披露目にスタジアムがどよめいた。

ゴールキーパーの道を歩み始めてから、左足から繰り出されるキックに絶対的な矜持を抱いてきた。プロになってからも、日々の練習で黙々と精度を磨き上げてきた。美しさを伴う軌道に、中村も言葉を弾ませる。

「何本もいいフィードを出していたし、あれが(高木)駿の持ち味。積み重ねてきた準備を、しっかりとやり切るところがよかったと思う」

試合は新井の治療に時間を要したこともあり、異例の長さとなる9分ものアディショナルタイムが表示された。そして、「まだ9分もある」とポジティブに受け止めたマリノスが息を吹き返す。

まずは51分。MF天野純が右サイドから放った低く、速いクロスにFW伊藤翔がフリーで頭を合わせる。至近距離からの一撃を左手で防いだ高木だったが、バーに当たったこぼれ球をMF中町公祐に押し込まれた。

約1分半後には19歳のホープ、MF三好康児がバックパスを齋藤にわたすまさかのミスを犯す。ドリブルで侵入してきた齋藤との間合いをつめた高木だったが、瞬く間にかわされてしまう。

齋藤がペナルティーエリア内の左サイドに侵入し、タメを作る間に所定の位置に戻ったものの、折り返しのパスを伊藤に合わされる。必死に伸ばした右手の先には、悪夢の同点弾の感触がかすかに残っていた。

その2分後の55分に飛び出した小林の劇的かつ執念のヘディング弾で、Jリーグ史上に残る死闘はフロンターレに凱歌があがった。勝利の余韻に浸りながら、高木は反省点をあげることを忘れなかった。

「1失点目に関しては最初に触っているので、そこでしっかりと弾き出さないといけない。2失点目も最後の最後で右手にかすっていたし、あそこで止めていればしっかりとチームを勝たせることができた。ああいった極限の場面で活躍できるようになるには、もっともっと準備が必要だと思いました。チーム全体としても勝っている試合のもっていき方、2点差のまま終わらせるゲーム運びに関しても課題が出ました」

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試合運びを伝える指示もまた、最後尾からピッチ全体を俯瞰できるゴールキーパーの大事な仕事となる。決して浮かれることのなかった高木だが、約30分間におよんだデビュー戦は及第点を与えられてもいい。

同点とされた直後こそピッチにひざまずき、悔しさのあまり拳で芝生を叩きつけた高木だったが、すぐに気持ちを切り替えて「行こう!行こう!もう切り替えろ!」と、大声で傷心の仲間たちを鼓舞している。

「ディフェンスラインの選手たちは特にがっかりしていましたけど…僕自身も『もう時間はないかな』と思ったんですけど、一方で『そういえばアディショナルタイムが9分とか出ていたな』と思い直したので、声をかけて、もう一回みんなに準備させて。失点したあとのキーパーには、そういうことくらいしかできませんからね」

引き分けでもチャンピオンシップ出場が決まったフロンターレは、あまりにドラマチックな勝利とともに、勝ち点3差で首位・浦和レッズの背中を追うセカンドステージの逆転優勝への雄叫びも再びあげた。

■ファンやサポーターは頼もしい存在

一夜明けた9月26日、フロンターレは新井が左頬骨骨折および脳震とうと診断されたと発表した。右ひざ痛が癒えないチョン・ソンリョンは、韓国代表が望むワールドカップ・アジア最終予選を辞退している。

4位につけるヴィッセル神戸のホームに乗り込む10月1日の第14節を含めて、セカンドステージは残り4試合。いつでもゴールマウスに立ち、万全のプレーを演じられる準備を、もちろん高木は整えている。

「ファンやサポーターの熱い応援が支えになりました。本当に頼もしい存在ですし、この先もっと大変な試合もあるなかで、よりいっそう熱い応援をしてくれるので、僕たちもそれに応えていきたい」

1982年にスペインで開催されたワールドカップを制したイタリア代表のキャプテンにして守護神で、当時40歳だったディノ・ゾフは、トロフィーを掲げながらこんな名言を残している。

「ゴールキーパーはワインと同じ。年齢を重ねるごとに味が出る」

27歳の高木はまだまだ中堅の域にさしかかったばかりだが、ある意味でもっとも目立つゴールキーパーというポジションで、稀代のスーパースター・ゾフが指摘した“味”を早くもかもしだしている。