例えば、歌が上手かったはずなのに突然音痴になったり、達筆だったはずの字が読解不能な文字になってしまったり。今まで普通に、他人よりも上手にできていたことが、ある日突然全くできなくなってしまったら――。■NPB球団で2度の戦力外も投げ続ける北方…

例えば、歌が上手かったはずなのに突然音痴になったり、達筆だったはずの字が読解不能な文字になってしまったり。今まで普通に、他人よりも上手にできていたことが、ある日突然全くできなくなってしまったら――。

■NPB球団で2度の戦力外も投げ続ける北方悠誠、愛媛で語った“今”とは

 例えば、歌が上手かったはずなのに突然音痴になったり、達筆だったはずの字が読解不能な文字になってしまったり。今まで普通に、他人よりも上手にできていたことが、ある日突然全くできなくなってしまったら――。

 現在、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属する右腕・北方悠誠は、2年前のある日、突然ボールが制球できなくなった。いわゆる「イップス」だ。

 キャッチャーを目掛けて投げたはずのボールが、明後日の方向に向かって飛んでいく。「まさか僕がって。自分がなるとは思っていなかったし、投げられなくなるとは思ってなかった。元々コントロールはよかったから、結構ショックは大きかったです」。当時の衝撃がよみがえったような複雑な表情で、そう振り返った。

 将来を嘱望されながら順風満帆な道を歩むはずだった。佐賀・唐津商の3年時に、県大会を1人で投げ抜いて夏の甲子園出場の切符を獲得。憧れの甲子園では、2回戦・作新学院戦で最速153キロの速球で10奪三振を記録するなど、パワフルな投球がスカウトの目に留まった。2011年ドラフトで横浜(現DeNA)に1位指名され、大型高卒ルーキーとして初年度デビューが期待されたが、2軍で思うような結果が残せず。1軍昇格の声は掛からなかった。2013年オフに参加した台湾でのウィンターリーグでは、自己最速158キロを計測。翌春は1軍キャンプに参加できたが、2軍で開幕。なんとか1軍に昇格したい。試行錯誤を繰り返す真っ只中で、イップスはやってきた。

 イップスという厳しい現実に向き合う中、2014年オフにはDeNAを戦力外となり、12球団合同トライアウトの末、翌年育成選手として所属したソフトバンクも1年で“クビ”になった。さすがに「もう辞めようかな」と思ったという。それを翻意させたのは、周りで応援し続けてくれた人たちの存在だった。

「イップスになった後、無理矢理明るく振る舞うとか、実際結構キツかった。でも、自分のことじゃなくて、応援してくれている家族のこと、ジイちゃんやバアちゃんのことを考えたら、今年でまだ23歳だし、もっとできるなって」

■ソフトバンクで支えてくれた存在、現実と向き合った右腕が描く夢

 ソフトバンクでの出会いも大きかった。キャッチボールすらままならず、途中で投げ出しそうになる北方に愛情を持って厳しく接してくれたのが、入来祐作3軍投手コーチ(現2軍投手コーチ)だった。

「入来さんがいつも気にしてくれた。用具係をなさっていたDeNA時代も一緒だったんです。僕が投げ出しそうな時は、たまに怒ってくれたこともありました」

 かねてから憧れていた1つ年上の千賀滉大との出会いもあった。「年が近くて喋りやすかった」という千賀には、食事に誘ってもらったり、グラウンドで会話を重ねるうちに「見る目」を教えてもらったという。

「どんな投げ方をしているんだろう、とか、他の投手をじっくり観察するようになりました。トレーニングにしても、当時は松坂(大輔)さん、たまに五十嵐(亮太)さんもいらっしゃって、見ているだけで勉強になりました」

 家族だけではなく、アドバイスや叱咤をくれる先輩の支えも無にできない。改めて、イップスという現実、戦力外通告された現実と向き合うことにした。

 まず、取り組んだのは「自分自身と向き合う作業」だ。イップスになったのは誰のせいでもない。「自分の失敗だったんです」。サッパリとした表情で、そう言い切る。

「いろいろな方が、1軍で投げられるように、よくなってくれ、と思ってアドバイスをくれた。その意見を僕が上手く捉えきれず、噛み砕けなかったからなんです」

 焦らず急がず。キャッチボールができる状態を取り戻すまで、嫌になることもあった。「嫌になった時は、そこでやめて、また次の日って感じ」で、少しずつ少しずつ積み重ねた。100キロちょっとしかでなくなった球速も徐々に戻り、140キロ台も計測するようになった。まだ怖さを抱えながらも、思った場所に制球できるようになってきた。努力は人を裏切らない。少しずつ成果が現れた。

 昨年11月、再び12球団合同トライアウトに参加したが、NPBとの契約は勝ち取れず。BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスに入団することになった。NPB所属選手だった当時は「自分が独立リーグでプレーすることはないだろう」と思っていたが、今は立場が違う。目標は、再びNPB球団と契約し、大観衆で埋め尽くされた1軍のマウンドに立つことだ。

「キラキラした世界で投げたいです。小さい頃からプロ野球選手になることが夢だった。あのキラキラした舞台に立ちたいです」

■DeNA同期入団の選手へ抱く思い、「またアイツに受けてもらいたい」

 DeNAでは1軍のマウンドは経験していない。正直に言えば、「最初は(プロ野球を)ちょっとなめていたところもあった」という。DeNAに入団した後で「高校の時に知らなかったレベルの選手がたくさんいた。1試合投げるチャンスをつかむのも厳しい世界。生半可な気持ちでは活躍できないと分かった」と衝撃を受けた。

「でも、気付くのが遅かったですね」と、バツが悪そうに振り返る。甲子園→ドラフト1位というエリート街道から戦力外。まさかの「失敗」を味わったDeNA時代だが、その経験があるからこそ、今では1軍で投げることの重みが痛いほど分かる。

 もう1つ、具体的な目標もある。DeNAに同期入団した捕手・高城俊人に、また自分がマウンドから投げる球を受けてもらいたいという。2011年のドラフトは1位指名が北方で、2位が高城だった。佐賀出身の北方に対し、高城は福岡出身。同じ九州男児はすぐ意気投合し、昨オフも一緒に自主トレをした仲だ。

「またアイツに受けてもらいたいです。野球を辞めずに続けたら、NPBに戻れたら、また受けてもらえる。僕はまたアイツに受けてもらいたい。でも、まだ本人には言ってません。言ったら、アイツ喜ぶから(笑)」

 他の同期メンバーにも、言い尽くせない感謝の気持ちがある。DeNAと群馬でチームメイトだった伊藤拓郎は、今年7月群馬から離れる時に相談に乗ってくれた。「もったいないよ。半年ちゃんと練習してきたんだから、今年中は続けた方がいい」とアドバイスされ、愛媛マンダリンパイレーツでプレーする古村徹に電話を掛けた。

「球団に話してみるよって言ってもらって、それで入団テストを受けて、今がある。なんか、いろいろな思いに支えられていて…。自分の思いだけだったら、ここまで続けてないと思います」

 愛媛に入団してから、試合で登板する機会が増えた。「試合で使ってもらって、ある程度、結果も出るようになってきた。自分の中に自信が戻ってきた感じがあります。少しずつの積み重ねですけど。もう暴投しても、ほとんど気にならない。自分でも進歩したなって思いますね」と話す目には、力強さが宿る。むしろ、これから切り拓いていく新しい可能性を考えると「楽しみしかないですね」とさえ言った。

■昔と同じ「指先の感覚」、元ドラ1の先輩投手からかけられた言葉

「思いっきり失敗を恐れずに。そういう中でやっています。指先の感覚だけは昔と一緒。でも、158キロを出した当時に戻るっていう感覚じゃなくて、僕の中では新しい感覚ですね。だから、まだまだですけど、多分もっといい方向に行けると思うんです。そういう自信が自分の中に生まれてきたのが一番。158キロを出した時がベストだったけど、今は(人として)絶対成長している。だから、そこよりもっと良くなれるって感覚が、自分の頭の中にはあるんです」

 愛媛では、同じく甲子園→ドラフト1位という道を歩んだ正田樹(元日本ハム)とも出会えた。4ヵ国9チームを渡り歩いた大先輩。34歳の今でも、NPBを目指す若手と一緒に勝負の世界に身を置いている。

 1度は野球を辞めようと考えた北方は、前々から正田に聞いてみたかったことがあった。「あの年で野球をずっと続けているのが、僕には不思議で……。『何でここまで続けるんですか?』って聞いたら『野球が好きだから』って。さらに『お前はまだ23だから、2回も3回も(NPBに)戻れるよ』って言ってもらえた。それでまた気合が入りました」。NPBから独立リーグを経て、再びNPBへ。経験した人にしか分からない言葉の重みが、そこにはあった。

 四国アイランドリーグ総合優勝を決めた愛媛は、10月からBCリーグ優勝チームとグランドチャンピオンシリーズを戦い、独立リーグの頂点を争う。もちろん、目標は優勝。そして、フェニックスリーグに参加して「アピールしたいですね」。NPB球団から声が掛からなければ、トライアウトも受けるつもりだ。

 それでも、自分の中ではNPBへの挑戦を繰り返すのは「あと2、3年」と決めている。

「野球をできる環境は素晴らしいけど、ここにずっといても厳しい生活になる。DeNAを戦力外になった時は、やり残したことがあるような気がしたけど、今の状態だったら、たとえ諦めることになっても、出し尽くせる気がする。もしダメだったら、その時は必要がないってこと。イップスも戦力外もいい経験だったと思います。その時は『最悪や』としか思えなかったですけど、今になったら、いい経験だったなって」

 もう迷いはない。失敗も怖くない。キラキラした舞台で投げたいという子供の頃からの夢に向かって、北方は少しずつ、確実に、そして力強い歩みを続けている。