「勝たなければいけない伝統」 「早稲田には、勝たなければいけない伝統がある。」青木俊汰(法=東京・早大学院)は何度もこの言葉を口にした。前代が5年ぶりの大学日本一という偉業を遂げ、その後を継いだ青木。見事2年連続の日本一を成し遂げた。だが、…

「勝たなければいけない伝統」

 「早稲田には、勝たなければいけない伝統がある。」青木俊汰(法=東京・早大学院)は何度もこの言葉を口にした。前代が5年ぶりの大学日本一という偉業を遂げ、その後を継いだ青木。見事2年連続の日本一を成し遂げた。だが、その道のりは決して順風満帆なものではなかった。数々の重圧やプレッシャーと戦いながら、主将は大学人生を振り返って何を語るのか。そこには、人知れぬ苦悩があった。

 青木がラクロスと出会ったのは大学1年生。それまで小・中・高と白球を追い続けていたが、肘の故障により野球を続けるという選択は難しかった。カレッジスポーツとして有名なラクロスは、文字どおり初心者からでも始められる競技。楽しみながらやれればいい、そう思い軽い気持ちで始めたラクロスに、青木は自分でも驚くほど熱中する。「上手くいけばうれしくてもっとやる。逆に上手くできなかったら悔しくてもっとやる。負けず嫌いなんですよね。」上手くなりたいという純粋な動機で誰よりも練習に励んだ青木は、1年生の冬頃から徐々に頭角を現す。実力を見出されAチームに昇格すると、2年生の4月からは試合にMFとして出場。日本代表などにも選出されるなど、実力を伸ばしていった。

 5年ぶりの大学日本一を遂げた前代が引退すると、学年キャプテンを務めていた青木は主将に就任。ついに青木組が始まった。だが、主将となった青木は大きな苦悩と直面した。青木は中・高でも主将を務め、チームをけん引。主将という立場に慣れていないわけではなかった。だが、選手と監督の仲介役に過ぎなかった当時と比べ、学生主体の早大ラクロス部主将は、下した判断の全てが自分の責任となる。ましてや、長年プレーしてきた野球とは違い、ラクロスはたった4年。経験に基づいた判断ができず、正解がわからない怖さは、青木から『自分らしさ』を奪った。「間違った方向に行きたくなくて。いつの間にか、万人受けするような、主将らしいものを演じていました。」しかし、そううまくはいかなかった。試合経験の少なさが懸念される中で、それまで先輩たちとプレーしてきた青木にとっての当たり前が、新チームでは当たり前にできない。自分の言ったことが、相手に伝わらない、響かない。結果もなかなか出ない。「今年はきついんじゃないの」周りからの囁きは、敏感になっていた青木の心に深く刺さった。「正直あきらめかけていた時もあった。」人知れず青木をおおう虚無感と焦燥感は、主将像を迷走させていた。

 だが、そんな青木に転機が訪れる。青木組にとっての集大成となる関東学生リーグ戦(リーグ戦)だ。大会に向け、不安定ながらもまとまりつつあった青木組は、慶大を相手に開幕戦敗北を喫する。決勝トーナメント進出に向け、2敗目はブロック敗退を意味する。すなわち、引退だ。この時、青木は強い衝動に駆られた。「後悔したくない。」それが結果的に間違った方向でもいい、自分が思った方向へ突き進もう。青木は敗戦した次の練習で選手を集め、勇気を出して初めて自分の本音を伝えた。今まで出しきれていなかった自分の本気を伝えた。チームの雰囲気が変わったのを感じた、と青木は言う。それまで演じていた『無難な主将』をやめ、『自分らしい主将』になった瞬間だった。

 仲間に本気でぶつかった青木の変化は、仲間の本気を引き出した。お互いの本当の姿を見せ、ようやく一つになった青木組は、そこから無類の強さを発揮する。翌戦の千葉大戦で14得点の快勝を収めると、勢いに乗った早大はその後も白星を重ね、大学ラクロスの最激戦区とうたわれる関東地区を2年連続で制する。関東代表として臨んだ全日本大学選手権でも、関東を勝ち抜いてきた地力の強さは圧倒的なものだった。準決勝の九州大、決勝の東北大を、共に5点差以上をつけて勝利。見事2年連続大学日本一を達成した。「ホッとしました。前年に追いついたなと。今年“は”から今年”も“早稲田だったかと言われたのが1番うれしかった。」様々な重圧に打ち勝ち、全学連覇を成し遂げた青木は満足そうに振り返った。


2度目の全学は主将として挑んだ青木

 「勝ちたいという欲は一切なかった。勝たなければいけないという使命感でやってきました。」主将としての1年間をどのように振り返るかという質問に、青木はこう答えた。部の専用グラウンドがなく、練習時間は早朝に限られる。部員も141人と大所帯で、個々で練習時間も異なる。一方で、新人戦は優勝して当たり前というような、常に勝たなければいけない伝統が存在する。その共存が難しかった、と言う。それでも最後は、頑張ってきた仲間にいい思い出を作らせてあげたかった思いが強いと話す。シーズン途中までは信じきれてなかった仲間。本心を伝え合ったことで安心感が生まれ、心から信頼できるようになったからこそ生まれた思いだったに違いない。

 卒業後もラクロスを続けるという青木。見据えるのは2年後のワールドカップだ。大学4年間を捧げたラクロス。社会人との両立は大変なのではと尋ねると、「後悔したくないので。」と返ってきた。目標に対してはどこまでも努力を続ける青木。さらなる飛躍を目指し、次のステージでも『自分』を体現する。

(記事、写真 中島和哉)