2020年のMotoGPは、世界中を騒がせている新型コロナウイルスの影響により、不穏かつ不安定な状態でシーズン開幕を迎えることになった。富沢祥也が優勝した写真の前で同じポーズをする長島哲太 MotoGPの開幕戦は、中東カタールのロサイ…

 2020年のMotoGPは、世界中を騒がせている新型コロナウイルスの影響により、不穏かつ不安定な状態でシーズン開幕を迎えることになった。



富沢祥也が優勝した写真の前で同じポーズをする長島哲太

 MotoGPの開幕戦は、中東カタールのロサイル・インターナショナル・サーキットで、毎年ナイトレースとして開催されることが恒例になっている。このレースに先だち、最高峰のMotoGPクラスはレースウィークの2週間前に、その後、中排気量のMoto2と小排気量のMoto3クラスは合同で1週間前に、それぞれ3日間のスケジュールで同地での最終プレシーズンテストを実施した。

 日を追うごとに世界各地で感染者の報告が相次ぎ、それにともないカタールへの入国制限や検疫対策は、より厳格な方向へ舵を切っていった。そして、イタリアからの入国者に対しては例外なく最低14日間の隔離措置を行なう、という方針を打ち出したため、開幕戦のMotoGPクラスは開催キャンセルが3月1日に発表された。

 Moto2とMoto3に関しては、前述のプレシーズンテストとレースまでの間が数日間しか空いていないため、選手やチームはテストからそのままカタールに居残っていたので実施に支障はなく、この2クラスのみで開幕戦が開催されるイレギュラーな形でレースウィークを迎えることになった。

 MotoGPクラス22名の選手や、チームメンバー全員がごっそりといなくなったこともあって、ただでさえ人気の少ない砂漠のなかのサーキットは、例年以上に閑散とした雰囲気だ。

 走行に先だつ木曜には、レースを運営するDORNAスポーツ社CEOのカルメロ・エスペレータが第2戦のタイGPを、10月4日決勝の秋開催へ順延することを発表。これにより、MotoGPクラスのシーズン緒戦は、ひとまず4月上旬にテキサス州オースティンで行なわれるアメリカズGPとなることが決定した。

 しかし、この決定もあくまで暫定的なもので、ウイルスの蔓延状況や世界各国各地域の検疫対策がさらに厳格化されれば、レースの開催はさらに先送りされることは必至だ。

 実際に、レースウィークの走行が始まってからアメリカでは、オースティンで最大の集客力を誇るSXSW(サウス・バイ・サウスウェスト)の中止が発表され、このイベントの2週間後に予定されるMotoGPアメリカズGPも開催が危ぶまれる状態だ。

 テキサスのレースが中止になった場合、機材搬送等の関係から、その次に開催されるアルゼンチンGPも見送られる可能性がある。そうなると、レースは4月末にイベリア半島南端のヘレスで行なわれるスペインGPまで空白となる可能性もある。

 一方、イタリアでは感染がさらに広がっており、今後、地続きの欧州各国でどのような広がりを見せるのかも、予測のしようがない。レース開催は、刻々と変化する状況に即応しながら、イベント開催の可否を臨機応変に判断していかざると得ない、というのが現在の実情だろう。

 このように不安定な状態でも、金曜にMoto2とMoto3両クラスの走行が始まると、サーキットにはぴしりと張り詰めた緊張感が漂いはじめた。流動的な今後のレーススケジュールはともかく、選手とチーム関係者は今、この時の開幕戦で最高の結果を掴むために、目の前の課題に全力で取り組み、日曜のレースで最高の結果を目指すという、いつもどおりの作業に集中する。

 金曜とセッションと土曜の予選を終え、Moto3クラスでは日本人の鈴木竜生(SIC58 Squadra Corse)がポールポジションを獲得した。

 日曜の決勝レースでは、鈴木は序盤から最後までトップ集団を争ったものの、結果は5位。鈴木がポディウム登壇を逃した一方で、2列目5番グリッドからスタートした小椋藍(Honda Team Asia)が、序盤にやや出遅れたところから終盤に見事な追い上げを見せて、3位表彰台を獲得した。

 このレースのあと、日没後の18時にスタートするMoto2クラスが、今回の開幕戦ではメインイベントとなる。このレースでドラマチックな初優勝を達成したのが、長島哲太(Red Bull KTM Ajo)だ。

 現在27歳の長島は、2014年にMoto2クラスへのフル参戦を開始した。この年はシーズン途中のイギリスGPでセッション中に他車の転倒に巻き込まれて右脚を骨折し、以後のレースを棒に振った。2015年と2016年は選手権のランクを落としてFIM CEVレプソル選手権を戦いながら捲土重来を狙い、2017年にMoto2へ復帰を果たした。

 いつも笑顔を絶やさない好青年で、誰からも愛される好人物だが、けっして突き抜けた天才的資質の持ち主と見なされていたわけではない。

 彼の人柄を愛し、才能を信じる人々はたゆまぬ支持と応援を続けてきたが、2019年終了段階でまだ表彰台経験はなく、ベストリザルトは5位が2回。2020年にMoto2クラスの名門「Red Bull KTM Ajo」に所属することができたのは、CEV時代に所属していたチームであったこともさることながら、その人柄がチームに愛され、才能の開花を期待されていたからでもあるだろう。

 長島とチームは日曜の決勝に向けて着実にセットアップを積み上げ、レースのリズムも磨き上げてきた。レース前には「転倒するか、表彰台か、イチかバチかだ。この勝負でお前が転んでしまうなら、それは仕方ない」と、全幅の信頼を寄せる言葉がかけられた。

 これで、長島が知らず知らずのうちに自らを押さえ込んでいた精神的なリミッターが解除されることになった。

 レースが始まると、どんどん前へ出ていくことができた。限界まで攻めても、どこでブレーキングすればいいのか、どこまでバイクを倒し込めるのか、どんなふうにスロットルを開ければどこまでタイムを詰めていけるのか、限界点が手に取るようにわかり、どんなリスクもすべて自分のコントロール下に収めることができた。

 最終ラップに後続選手を引き離してゴールへ向かってひた走っている時に、ふと、亡き友人、富沢祥也のことを考えた。

 10年前の開幕戦は、世界選手権の中排気量クラスが2ストローク250ccから、4ストローク600ccエンジンのMoto2クラスへと変更された最初の大会だった。その決勝で、富沢は圧倒的なスピードを披露して独走し、初優勝を果たした。

 長島は少年時代から、ふたつ年上の友人、富沢を追いかけるようにレースを続けてきた。富沢はその年の秋に夭逝し、もはやどれほど追いかけようとしても、その背中に追いつくことはできない。だが、あれから10年を経て、今、自分はその時の祥也と同じコースを走っている。

 2010年に祥也がMoto2史上初優勝を飾ったここカタールのロサイル・サーキットで、その10年後に哲太が同じく圧倒的な強さを見せて優勝した。チェッカーフラッグ後のウィニングランで、長島はマシン上で右腕を大きく伸ばし、人差し指で天を指さした。

 砂漠の彼方に日が沈む18時にレースがスタートしてから、20周の戦いを終えて長島がトップでチェッカーフラッグを受けるまでの40分間、息を詰めるようにレースを見つめていた世界中の人々は、世情を覆う不安や閉塞感のことなど、おそらく念頭から消え去っていたに違いない。

 そして、ゴールの瞬間には、10年という歳月を経て紡ぎ出された、事実だけが伝えることのできる祥也と哲太のドラマにきっと心を震わせたことだろう。スポーツが人の気持ちを揺さぶるというのは、そういうことだ。そしてそれこそが、スポーツの勝利だ。