エクアドルチームの歓喜の時は、まばらな拍手のなかで祝福された。 殊勲の白星を掴んだダブルスペアが硬く抱き合い、その輪に加わる監督の目からは涙もあふれ落ちる。錦織圭がデビスカップでコートに立つことはなかった テニス国別対抗戦「デビスカップ」…
エクアドルチームの歓喜の時は、まばらな拍手のなかで祝福された。
殊勲の白星を掴んだダブルスペアが硬く抱き合い、その輪に加わる監督の目からは涙もあふれ落ちる。
錦織圭がデビスカップでコートに立つことはなかった
テニス国別対抗戦「デビスカップ」の日本対エクアドル。勝者は、11月にマドリードで開催される”ファイナル”の出場権を手にするこの一戦で、日本は3連敗を喫し、敗者の側に身を置いた。
会場は、兵庫県のビーンズドーム。本来なら日本のテニスファンで埋まるはずのスタンドには、関係者や選手の家族、そしてメディアの姿しかない。
拡大する新型コロナウイルス対策として、ボールパーソンはゴム手袋を着用し、イベントは2日間ともに無観客。そのやや異様な光景のなか、いつまでも解けぬ祝福の輪が、種々のリスク覚悟で日本に乗り込んできたエクアドルチームの覚悟と、デビスカップに見出す意義を物語っていた。
「デビスカップでは、ランキングは大きな意味を持たない」とはよく言われることであり、過去の歴史が示してきた真理でもある。
この現象の背景には、いくつかの理由があるだろう。
日ごろ個人で戦うテニス選手にとって、慣れない団体戦は時に、正にも負にも働くこと。
経済面などの諸事情により、ツアーを転戦する機会が少なくランキングは高くない実力者が、デビスカップには出てくること。
さらに、デビスカップという大会そのものの位置づけが、国や選手によって異なること。
日本がエクアドルに敗れた背景には、これらすべての条件が絡み合いながら根底に横たわっていた。
今回のエクアドル戦に臨むにあたり、最初に発表されたメンバーに名を連ねていたのは、錦織圭、西岡良仁、内山靖崇、添田豪、そしてダブルス・スペシャリストのマクラクラン勉である。
ただ当初から、昨年10月にひじにメスを入れた錦織が、重圧のかかるデビスカップで復帰戦を戦うのは難しいと見られていた。それでも今回、錦織がメンバー入りした背景には、7月の東京オリンピックへの出場資格が絡んでくる。
オリンピックに出るには基本、過去4年間でデビスカップに3回以上出ていることが条件。錦織はすでにこの規定を満たすことは不可能だが、例外処置を申請するうえで今回代表入りしていることは、重要な評価要素になりえるのだ。
もっとも、たとえ試合に出られなくとも、エースの存在は空気を変える。
久々に錦織を加えて士気を高めていた日本だが、直近にきて急激に日本チームを揺さぶったのが、新型コロナウイルスの急拡大に伴う、世界情勢の変化だ。日本からの渡航を制限する国が増え、何よりアメリカまでもが、地域によっては過去14日間の日本滞在者の外出禁止を検討しはじめた。
デビスカップに出場することにより、渡米できなくなるかもしれない——。
そのリスクは、今回の日本メンバーにとっては致命傷になりかねない。なぜなら3月には、北米のインディアンウェルズおよびマイアミで、グランドスラムに次ぐ格付けの大会が連続で開催されるからだ。
そしてこの大会の結果が、東京オリンピックの出場権争いにも大きく関わってくる。オリンピック出場者は6月8日時点のランキングで決まり、56位以内ならまず確定。出場辞退者や1カ国4人の上限枠などを加味すると、60〜65位がカットラインと見られている。
その当落線上に到達するために、現在ランキング90位の内山は是が非でもここでポイントを稼ぎたいところ。また、48位の西岡にしてみても、昨年のインディアンウェルズで得たポイントが多いだけに、それを失効すれば大きくランキングを落としかねない。
デビスカップか、オリンピックの出場権も絡むツアー大会か……。
その葛藤のなかで大きく心が揺れるなか、西岡はチームを離れて、ひと足早いアメリカ入りを決意する。かくして、日本のシングルス上位2選手が試合に出られないなか、単複で勝利を期待されることになったのが、昨年躍進の時を迎え、100位の壁を突破した内山だった。
もちろん内山本人は、今回の事態を「絶対に言い訳にはしないし、自分の任された仕事をしっかりやるのは、エースだろうが控えだろうが一緒」と断言する。それでも、初日のシングルスで276位の選手に大接戦の末に破れ、2日目には、敗戦が即日本の敗退を意味するダブルスのコートに立った彼が、いつもと同じ精神状態でいられなかったことは想像に難くない。
また、相手のダブルスペアは、ランキングこそゴンザロ・エスコバルが69位で、ディエコ・イダルゴは257位と高くないが、アメリカの大学リーグで多くの団体戦を経験してきた者同士。さらには、初日にチームメイトが金星を獲得したことで、「自分たちもランキングが上の選手に勝てる」と信じる力を得ていた。
とくにイダルゴは、第1セットのタイブレークなど緊迫の局面ほど、大胆なプレーでポイントをもぎ取っていく。試合後に両国の監督は、「勝敗を分けたのは、重要な数ポイントでの積極性」と口を揃えたが、それを生み出したのは、前日からの流れと両チームが抱く重圧の差だった。
テニス選手の主戦場が、巨額の賞金と毎週変動するランキングにより構築されるツアーとなった現在、アマチュアリズムを残すデビスカップの在リ方や位置づけが変容したのは、世界的な現象である。しかも昨年、デビスカップ・ファイナルが一都市集結のワールドカップ型になったことにより、その歴史的価値や権威が薄れたと嘆く声も多く上がった。
日本の岩渕聡監督も、「私の頃にはデビスカップが一番大きい大会だったが、今の選手はグランドスラムで上位を狙える。そこの難しさはあります」と、レベルが上がったが故の選手たちの葛藤をおもんぱかる。ただ、そのなかでも「試合前の緊張感や負けた時の悔しさに、選手たちの変わらぬデビスカップへの想いを感じる」と言葉を続けた。
変わるものと、変わらぬもの——。非常事態だからこそ明確になったそれらの要素を、いかに扱い、何を最優先していくのか?
その舵取りが課題として浮かび上がった、今回のデビスカップだった。