勝利への重圧 「あきらめたくないという思いにさせてくれるもの」。小山舞(スポ=和歌山信愛)は自分にとってのソフトテニスをこう表現した。そこには誰よりも負けず嫌いな小山らしい一面が表れている。主将として勝ちにこだわり、背中でチームを引っ張った…

勝利への重圧

 「あきらめたくないという思いにさせてくれるもの」。小山舞(スポ=和歌山信愛)は自分にとってのソフトテニスをこう表現した。そこには誰よりも負けず嫌いな小山らしい一面が表れている。主将として勝ちにこだわり、背中でチームを引っ張った小山。そこには一体どのような喜びや苦悩があったのか。小山の早大での4年間を振り返る。

 同じ高校から早大に進学した先輩や伝統ある早大軟式庭球部へのあこがれがあったという小山。実業団からの誘いを断り、早大の門を叩いた。そして1年の秋から団体戦に出場するように。2年生時の全日本大学対抗王座決定戦では、決勝で高校時代からのライバルである笠井佑樹(日体大)を破るなど、小山はチームの主力として活躍するようになっていった。「先輩方がいなかったらここまで頑張れていない」。高校とは違って自主性が重んじられる環境のなか、いろいろな面で教えてくれる先輩の存在は小山にとって大きかった。信頼する先輩のために勝つという思いでプレーし、小山は確実に成長していった。

 3年の秋になり小山は主将に就任する。同期が3人しかいないなか、レギュラーとして活躍していた小山が選ばれた形だった。人に注意するのがあまり得意ではなかったという小山はとにかく勝ち、背中で率いていく主将を目指した。「勝っているとかっこいいしついていきたくなる存在」と考えた小山は勝利にこだわるようになっていく。しかし、そこには大きなプレッシャーがのしかかった。自分も勝たないといけないし、チームとしても勝たないという重圧からか力んだプレーが多くなってしまう。それでもその重圧に立ち向かい、チームを引っ張っていった。試合を重ねるたびにチームとして成長していき、そして迎えた最後の全日本大学対抗選手権(インカレ)。インカレ奪還はならず、結果はベスト8だったものの、小山は「やりきった」という思いがあったという。主将としてプレッシャーに立ち向かい続けた1年間。苦手だった「自分で引っ張る」ということに挑戦し、大きく成長できた1年間であった。


主将として重圧に立ち向かった

 代替わり前の最後の試合は関学大との早関定期戦だが、実はこの試合には小山は出ていない。関学大はインカレで最後まで試合がもつれ込み辛勝した相手であったが、そのときの苦しい思い出がよみがえり、精神的な重圧からか小山は体調を崩してしまったのだ。試合に出られないことを、主務を務めた山本沙奈(社=和歌山親愛)に電話で伝えた小山だったが、山本は「(試合に出られなくても)いいよ」と軽い感じで言ってくれた。そのとき小山はふっと気持ちが軽くなるのを感じたという。主将としての1年間、どれだけ小山がプレッシャーと戦ってきたかがよくわかるエピソードだ。結果的にこの試合は、小山が出られない形であったが見事勝利を収め、いい形で次の代にバトンタッチができた。

 自主性を重んじる早大の環境で、自分で疑問に思い自分で考えられる選手になれたという小山。負けず嫌いな性格から、ずっとソフトテニスに取り組んできた小山は大学4年間でさらなる飛躍を遂げることができた。今後は実業団の選手としてソフトテニスを続ける。「まだまだ自分が弱いからこそ、あの選手に勝ちたいという思いが生まれやめられない」。小山は向上心を持ち、さらなる飛躍へ向けて歩み続ける。

(記事 山床啓太 写真 河合智)