今シーズン、トロロッソはアルファタウリにチーム名を変更した 3月15日にスタートする2020シーズンの開幕戦、オーストラリアGPに向けて、スペインのバルセロナでプレシーズンテストが始まっている。今年も全チームの2020年型マシンが出そろ…



今シーズン、トロロッソはアルファタウリにチーム名を変更した

 3月15日にスタートする2020シーズンの開幕戦、オーストラリアGPに向けて、スペインのバルセロナでプレシーズンテストが始まっている。今年も全チームの2020年型マシンが出そろい、さまざまなテストプログラムを消化するなか、多くのメディアが注目しているのは、例によって「どのクルマがいちばん速いのか」「チャンピオン争いで最も有利なのはどの選手か」ということだろう。

 だが、このプレシーズンテストや、それに先立って行なわれた各チームの新車&体制発表会でも、今季のF1のエントリーリストのある「変化」については、あまり注目されていないように感じる。そう、今シーズンのエントリーリストには「トロロッソ・ホンダ」が消え、代わって「アルファタウリ・ホンダ」という新チームの名前が記されているのだ。

 オーストリアで行なわれた、この「新チーム」の発表会は「ファッションショーとの併催」という形で盛大に行なわれた。だが、華やかなステージ上でスポットライトに照らし出された2020年型マシンのカラーリングや、2人のドライバー、ピエール・ガスリーとダニール・クビアトのレーシングスーツのデザインを除けば、チームの実態は昨年までの「トロロッソ・ホンダ」と何ひとつ変わらない。

 それもそのはず、アルファタウリはトロロッソからの名称変更でしかないからだ。チームを実質的に所有するレッドブルグループが立ち上げた新しいファッションブランドである「アルファタウリ」を宣伝するために、トロロッソのチーム名を変更し、ファッションショーやカジュアルな装いを強く印象づけるイベントを実施したというわけだ。

 一見、ごく小さな変化に思えるかもしれないこの出来事は、しかし、スポーツビジネスとしてのF1がMLBのようなアメリカ型のフランチャイズ方式へ舵を切っていることを象徴していると言える。

 今年からアルファタウリという名称になったこのチームは、もともと1970年代にミナルディとしてスタートし、イタリアの小さな、そして情熱的なプライベーターチームとして多くのファンに愛されていた。90年代後半には日本人ドライバーの片山右京や中野信治が所属していたことを覚えているファンも多いだろう。

 そのミナルディは2006年にレッドブルに買収されて、レッドブルの「ジュニアチーム」的な存在となり、トロロッソ(イタリア語でレッドブルの意)と名付けられたが、イタリアのファエンツァにあったファクトリーや多くの人員はそのまま引き継がれる格好になった。いわば、MLBでモントリオール・エクスポズがワシントン・ナショナルズへ変わったようなものだ。

 実を言えば、2020年のF1のグリッドを占めるチームのうち、ほとんどが何らかの形で一度は名称を変更している。例外は1950年から続くフェラーリと63年創設のマクラーレン、77年初参戦のウイリアムズ、そして今年で4年目の新興チームであるハースだけである。

 たとえばメルセデスは、登録上ドイツのチームだが、ここはそもそも1960年代後半に誕生したティレルが起源になっている。ロンドン南部のバックヤードから始まったティレルは、その後、70年代にジャッキー・スチュワートがタイトルを獲得。F1史上に残る「タイレル6輪車」(ティレルP34)でも知られ、90年代には日本人ドライバーの中島悟や片山右京、高木虎之介などが所属していた時期もある。

 そのティレルは98年にたばこメーカーのブリティッシュ・アメリカン・タバコに買収され、翌99年からはチーム名称を「ブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)」に変更。さらにホンダに買収されて2006年からはワークスチームの「ホンダF1」に、そして、そのホンダが2008年のリーマショックでF1から撤退すると、翌年、ブラウンGPとして王座を獲得。さらにその翌年にはメルセデスがチームを買収し、2014年以降現在に至るまでチャンピオンシップに君臨している。

 一方、現在のレッドブルレーシングの出発点は、元世界チャンピオンのジャッキー・スチュワートが1997年に立ち上げた「スチュワート・グランプリ」だ。これが99年末にフォードに買収され、当時、フォード傘下にあったジャガーのPR戦略に組み込まれて「ジャガーレーシング」となる。

 だが、ジャガーレーシングのチーム運営は度重なるチーム代表の交代などで迷走が続き低迷。2004年、フォードがF1から事実上の撤退を決めた際に、エナジードリンクのレッドブルがチームを買収して現在のレッドブルレーシングに生まれ変わった。今やメルセデス、フェラーリと共に「トップ3」の一角を占める存在となっている。

 こうして、F1の歴史の中でチーム名やブランディングが頻繁に変更されてきたのは、自動車メーカーやスポンサー企業のレースに対する関心や投資が、時代と共に変化してきたからだ。彼らは自分たちのマーケティング戦略や企業としての優先度の変化に応じてF1への参入や撤退を繰り返し、そのたびにF1チームの人材や施設だけでなく「チーム名」や「参戦権」までもが「資産」として売買の対象となった。

 長年、スイスに本拠を構えるザウバーが、チームの実態はそのままに、2019年シーズンからイタリア色の強いアルファロメオ・レーシングとなったのもその好例で、2020年シーズンのF1は、アルファロメオとアルファタウリという、ふたつのアルファ(Alfa-RomeoとAlpha Tauri)が存在するので、何とも紛らわしい。

 また、2021年シーズンには、レーシングポイントチーム(こちらの前身はジョーダン、そしてミッドランド、スパイカー、フォースインディアと名称を変えていった)がアストンマーチンレーシングとして参戦することが発表された。

 こちらは、アストンマーチンがレーシングポイントを買収したのではなく、レーシングポイントのドライバーのひとり、ランス・ストロールの父親で、チームのオーナーでもあるカナダの実業家、ローレンス・ストロール率いる投資グループが、自動車メーカーのアストンマーチンの株式を取得し、大株主になったことで実現した「名称変更」というから驚きだ。

 このように見てくればわかるとおり、F1チームの運営はすでに以前から、MLBやNFL、NBAのようなアメリカ型のフランチャイズ方式のようなものになっている。シーズンを戦うのはいつも同じチームでありながら、F1に参入する自動車メーカーやスポンサーの事情によって、オーナーや名称が変わっていく、というわけだ。

 ただし、現在のF1に限って言えば、本来の「参戦権」という意味で、フランチャイズが「資産」とはなり得ていない。というのも、F1のチーム数が現状では「満席」になっていないからだ。この10年余りにF1に参戦した新チームのうち、USF1やケータハム、HRT、マノーはいずれも財政破綻し、新たに参入してきたのはたった1チーム、ハースのみである。

 現在、F1の最大参戦チーム数は13チーム26台に制限されているが、2020年シーズンは3つのガレージ、6台分のスペースが空いているのが現状だ。

 これらのスロットがすべて埋まれば、各チームが持つ「参戦権」の価値は大きく上昇し、メーカーやブランドがF1に参入しようとする際にも既存のチームを買収することが唯一の方法になるだろう。そしてそれこそが、本来的にフランチャイズシステムと呼称すべきビジネスモデルである。実際に、F1を運営するリバティメディアは、このフランチャイズシステムの導入に意欲的であると言われている。

 グリッドがすべて埋まれば、参戦権としてのフランチャイズ料を課金できるようになり、そうなれば、F1の運営者であるリバティメディアの収益は大幅に増えることになるだろう。また、これが実現すれば各プライベートチームは自分たちのチーム価値の増大につながる。既存のチームを買収し、そこに必要な投資を行なうことで、チームの実力アップ≒資産価値を高めれば、F1参戦を望む自動車メーカーや企業への再売却によって、多額のキャピタルゲインを得ることができるだろう。

 ただし、そうした状況を実現するためにも、6台分の空きグリッドを埋める「新規チームの参戦」はF1にとって大きな課題だ。そして、F1に新規参戦チームを呼び寄せようとするならば、テクニカルレギュレーション(技術規定)の敷居を下げて、新チームが参入しやすくなる措置を講じる必要がある。

 ちなみに、バルセロナテストで走り出した2020年型のF1マシンの中には、あまりにも昨年型のメルセデスに似ているため、「ピンク・メルセデス」と呼ばれているレーシングポイントの新車や、長年、レッドブルの技術支援を受けているアルファタウリ(旧トロロッソ)、フェラーリの支援を受けるアルファロメオなど、事実上トップチームの「2軍」とも言えるチームと、独力でマシン開発を行なう他チームとの不公平感も一部で問題になりつつある。

 たとえば、すべてのチームにマシンの自主開発を義務付ける、現在の「コンストラクター」の定義を変更し、F1でもかつて検討された「カスタマーカー」(他のチームが開発したマシンを他チームに供給すること)を解禁すれば、F1への新規参戦ははるかに容易になるだろう。その結果、26台分のエントリーリストが埋まれば、それがF1にとって「良いコト」なのかは議論の分かれる部分もあるだろうが、フランチャイズ・ビジネスとしてのF1が大きく変わることにもなるかもしれない。(西村章●翻訳 translation by Nishimura Akira)